創世記1章と2章の矛盾から導かれた二種類の神


 旧約聖書の冒頭に収められている「創世記」では、第一章で六日間による創造物語、第二章以降からエデンの園の物語が記されている。
 この二種類の神話は繋がるものではなく、異なる部分が多い。
 例えば、男と女の創造について。
 旧約聖書創世記第一章では、男と女は同時に生まれる。
(以下、聖書引用はすべて新共同訳)

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
 -旧約聖書 創世記1:27

 創世記第二章では、塵から男が、男のあばら骨から女が生まれる。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった。
 -旧約聖書 創世記2:7
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助けるものを見つけることができなかった。
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を作り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
 -旧約聖書 創世記2:20-23

 人は男女同時に創造されたのか、男の骨から女が創造されたのか。
 旧約聖書は冒頭から、矛盾から始まるのだ。
 今回は、人々はこの矛盾をどう捉えたのか、という話題。

【目次】
1.アダム最初の妻リリス
2.グノーシスによる二種類の神
3.文書仮説による4種類の原典
4.死海文書が明らかにした真実

1.アダム最初の妻リリス

 これは、中世に生まれた思想である。
 創世記第一章で男と同時に作られた女はリリスといい、アダムの最初の妻になったという俗説である。
 このリリスの子どもたちをリリンという。アニメ「エヴァンゲリオン」を知っている者なら、ニヤリとする名称だろう。
 
 リリスという名前自体はユダヤ教からあって、旧約聖書『イザヤ書』34:14で言及される。

荒野の獣はジャッカルに出会い/山羊の魔神はその友を呼び/夜の魔女は、そこに休息を求め/休む所を見つける。

 この夜の魔女がリリスである。バビロン神話のリリートゥが語源であるとされる。
 ユダヤ教では、妊婦や胎児を襲う妖怪として畏れられている。
 
 聖書をラテン語に訳したヒエロニムスは、この夜の魔女をラミアと訳した。
 ラミアはギリシア神話に登場する。ゼウスと結婚したが、ゼウスの正妻であるヘラに嫉妬されて、子供たちを奪われてしまう。以来、ラミアは他の女性の子供を奪う怪物となったという。
 
 中世の『ベン・シラのアルファベット』という書物で、リリスがアダムの最初の妻であるという俗説が生まれた。
 アダムと対等に扱われることを要求したリリスは、アダムと口論になって出ていく。
 その後「生まれてくる子供を苦しめる者」になったという。
 
 結論からいえば、胎児と妊婦を襲う女性の妖怪というモチーフがあって、その嫉妬した理由を中世の人々は創世記第一章と第二章の矛盾から、アダムと同時に生まれたリリスは、男女対等の立場を要求したことから嫌われて家出し、その後、神は改めてアダムの伴侶イブを創造した、ということにした。
 だから、リリスは女性解放運動のシンボルになっているという。

リリス -Wikipedia

2.グノーシスによる二種類の神
 
 改めて、創世記第一章と第二章のテキストを見比べると、主語が違うことに気づくはずだ。
 第一章は「神」。第二章は「主なる神」である。
 また、その性質も異なる。第一章では「言葉」で創造する。第二章では「塵(アダマ)で人(アダム)をつくった」とされるように擬人的に創造する。
 ということで、キリスト教最大の異端として有名なグノーシスでは、二種類の神が生まれた。
 至高神と創造主である。

 至高神はアイオーンという。これはギリシア神話の時の神の一人である。
 造物主のことをデミウルゴスという。これはプラトンの著作に出てくる。
 第一章での「神」はアーリアルで、第二章での「主なる神」はデミウルゴスであり、別個の神ということだ。

 なお、日本語訳の「主」はヘブライ語ではヤハウェを、「神」はエル或いはエロヒムをさす。
 エロヒムは普通名詞で、ヤハウェは固有名詞といってもいい。
 「主なる神」とはヤハウェ・エロヒムとなる。
 
 創世記第一章では「主」つまり「ヤハウェ」という文字は出てこない。
 人を男女同時に創造し、6日間の創造物語が語られる創世記第一章に出てくるのは、神(エロヒム)でしかない。
 第二章でアダムやエデンの園、そしてイブをつくったのは「主なる神」(ヤハウェ・エロヒム)である。
 ヤハウェの初出は、創世記2:4である。

 これを異なる神とすることは、キリスト教の教義に反するので異端とされた。
 しかし、グノーシスと定義された人々は、聖書の、創世記に隠された秘密を探ろうとした。
 ギリシア神話やプラトンの書物に影響されたグノーシスは、アイオーンを高位の創造主、デミウルゴスを低位の創造主とみなした。
 プラトンの思想には「イデア」という概念がある。
 なぜ、我々は高次元のイデアにたどり着けないのか。
 それは、低次元の創造主デミウルゴスによって我々は創造されたからだという。

 なお、グノーシスが参考にした旧約聖書はギリシア誤訳の「七十人訳」であり、そこではヤハウェの名前はすべて「主」を意味する「キュリオス」と訳される。
 彼らのいう低位の創造主であるデミウルゴスは、ヤハウェのことをさすといっていい。
 だからこそ、グノーシスは初期キリスト教からは危険視されたのだ。
 
 グノーシスについては『ナグ・ハマディ写本』にくわしい。
 多神教のギリシアが、唯一神教キリスト教を受容していくなかで、聖書に隠された秘密を探ろうとしたのがグノーシスの出発点といわれる。

グノーシス主義 -Wikipedia

3.文書仮説による4種類の原典
 
 前述したように、旧約聖書ではヤハウェ(主)、エロヒム(神)、エル・シャダイ(全能の神)など、同じ神を指す言葉が使い分けされている。
 そこで、ヤハウェで記された部分、エロヒムで記された部分をまとめてみると、どうやら異なる神話があることに学者たちは気づく。
 19世紀末になると、創世記を始めとするモーセ五書には、次の4つの資料が仮説として定着した。
 
・ヤハウェ資料
・エロヒム資料
・申命記資料
・祭司資料

 これを「文書仮説」という。 
 創世記第一章は祭司資料、第二章はヤハウェ資料がもとになったとされる。
 
 ヤハウェ資料は、祭司資料より先に書かれたとされる。
 この資料はダビデによるエルサレムを聖都とするイスラエル王国が建てられたときに書かれ始めたといわれる。
 王国には神話が欠かせない。
 自分たちの信仰する神であるヤハウェが、いかに偉大であるか。
 それを国民に知らしめるために、口承で伝わっていたヤハウェ神話が体系化されたのだ。
 なお、旧約「エレミヤ書」と同時代の資料とされるラキシュ書簡では、ヤハウェの名は頻繁に出てくる。
 その時代、ヤハウェの名は禁忌とされていなかったのだ。
 
 「エレミヤ書」で書かれたバビロン捕囚以降、ヤハウェ信仰は大きな転換期をむかえる。
 祭司資料は、バビロン捕囚以降の時代に書かれたとされる。
 そのきっかけのひとつが、バビロン神話を知ったことであろう。
 バビロンはメソポタミア文明に属する。現在のイラク、チグリス川とユーフラテス川の間の地域だ。
 そのメソポタミア文明には、人類最古とされるシュメール神話がある。
 バビロン神話はシュメール神話を取り込んで、発展した。
 
 バビロンで奴隷になったユダヤ人は、バビロン神話と向き合わなければならなかった。
 自分たちの神ヤハウェが本物の神であるならば、バビロン神話よりも天地創造を明確に記されなければならない。
 バビロン神話の創造物語は『エヌマ・エリシュの詩』にくわしい。
 創世記第一章は、このエヌマ・エリシュの影響を大きく受けているとされている。
 
 創世記をはじめ、旧約聖書ではエジプト神話とメソポタミア神話の影響が混在している。
 そして、擬人的で嫉妬深いヤハウェと、言葉だけで命令する全能神エロヒムが同じ文章で並列的に語られているのだ。
 このため、旧約聖書創世記は第一章と第二章に統合性がならない。

 例えば「十戎」には二種類ある。
 出エジプト記20:3-17と申命記5:7-21で、それぞれ文面が異なる。
 創世記によれば、十戎は石版に刻まれたはずなので、すべての語句が一致していないとおかしいと思われるであろう。
 この十戎が刻まれた石版は「契約の箱」におさめられていたとされる。
 聖櫃とかアークとか呼ばれていたものだ。
 もし、そんなものが存在していたのならば、せめて、旧約聖書内での十戎は統一できていたはずであろう。

 この文書仮説は、死海文書が発見された二十世紀後半以降も、旧約聖書を理解するために有効であるとされている。

・文書仮説 - Wikipedia

4.死海文書が明らかにした真実
 
 20世紀後半に、死海のほとり、クムランと呼ばれる地域の洞窟で、旧約聖書のヘブライ語原典が発見された。
 死海文書以前、ヘブライ語の旧約聖書全文で最古のものはレニングラード写本(1008年)であるが、死海文書の写本は1世紀に作られたものとされている。
 死海文書の発見により、ヘブライ語聖書の原典は一千年近くさかのぼったのである。
 
 では、その内容はというと、以前に紹介した「死海写本」(土岐健治)から引用する。


 E・トーブは、クムラン出土の旧約聖書写本を、グループ分けが困難であることを認めた上で、とりあえず、あえて次のように分類している。その際にトーブは、200の旧約聖書写本の内、72写本はあまりにも断片的すぎるとして分析の対象から除外し、残る128写本に限定して検討する。
 モーセ五書の写本の内、①52%がMT(マソラ本文)の本文を示し(あるいは、MTとサマリア五書に同程度に近い)、②37%がいずれのグループにも分類されず、③6.5%がサマリア五書の本文を示し、④4.5%が七十人訳聖書の本文を示している。
 モーセ五書以外に関しては、①44%がMTの本文を示し(あるいは、MTと七十人訳聖書に同程度に近い)、②53%がいずれのグループにも分類されず、③3%が七十人訳聖書の本文を示している。


 
 簡単にまとめると、死海写本の旧約聖書テキストは、現存するものと異なっていた。
 しかし、死海写本と呼ばれる文書群でも、テキストは一致していない。
 死海文書で発見された「旧約聖書」というまとまりは現在のものにすぎず、それぞれの文書が様々なバージョンで保存されていたと考えてもらったら良い。
 
 もう一度、「死海写本」(土岐健治)から引用する。

 E・トーブによれば、トーラー(モーセ五書)を伝えるクムラン写本の数は約74で最も多く、次いで詩篇の写本が34、イザヤ書の写本が20ないし24、これらに次いで十二小預言者とダニエル書の写本が8である。
 モーセ五書の中では、申命記の写本が27とその数が最も多く、次いで創世記が19ないし20、出エジプト記が14、レビ記が9、民数記が5ないし6である。
(中略)
 クムラン写本中の旧約聖書写本においてモーセ五書、とりわけ申命記と、詩篇とイザヤ書が突出してその数が多いことが注目される。新約聖書において引用される旧約聖書の中でも、この三つが突出して多いからである。

 
 死海文書を「本当の聖書」とするのならば、創世記に関しても19ないしは20のバージョンから一つにまとめなければならないということだ。
 やがては、それぞれの傾向がまとめられて、今の文書仮説に替わる新たな真実が明らかにされるかもしれないが、まだ一般的ではない。


 死海文書の真実とは、現在の旧約聖書の成立が90年ごろのヤムニア会議以降であることが明らかになったということである。
 旧約聖書は古代から石版に刻まれた不変のものではない。
 だからこそ矛盾があるのだし、グノーシス主義者が至高神と創造主を見出したり、中世の神秘主義者がアダムの最初の妻をリリスと定めたり、19世紀に文書仮説が生まれたわけである。

 旧約聖書を初めて手にした者は、あまりの矛盾の多さと統合性の無さに頭を抱えることだろう。
 しかし、この矛盾こそが、人類の信仰を知る鍵となるのだ。