土岐健治『死海写本』の感想を書くはずだったもの


 『死海文書』という響きは、アニメ『エヴァンゲリオン』のファンを招くことなるので面倒なことになる。
 死海文書に新約聖書の真相が隠されているという、『ダ・ヴィンチ・コード』に代表される陰謀論は、物語としては面白いが、一神教がなぜ生まれたか、という答えを知ることはできない。
 『エヴァンゲリオン』で聖書に興味を持った人も、雑学知識が増えるばかりで、一神教の核心にふれることはできないのではないか。
 
 さて、この本はそんな『死海文書』の入門編である。死海写本と題していないのは、ライト層には難しい内容だからである。
 この本を読むのは、キリスト教聖書が手元にないと厳しい。あと、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』は読んでおいたほうがいい。そんなの入門編じゃない、という人は、この本を手にすべきではない。
 
 死海写本の重要な点は2つある。一つが、旧約聖書の原典である、ヘブライ語写本の最古であること。もう一つが、新約聖書と同時代のユダヤ教エッセネ派(非主流派)の思想を知ることができることだ。
 ここで問題となるのが、旧約聖書の最古となるヘブライ語写本である。その内容は、これまでの聖書の常識をくつがえすものだったからだ。
 
 近年、『旧約聖書』という言葉に宗教的中立性がないという声が多い。キリスト教聖書は旧約聖書と新約聖書に分かれていて、旧約聖書はユダヤ教の聖典とほぼ同じである。また、旧約聖書の一部(モーセ五書と詩篇)はイスラム教の啓典である。
 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という、世界の大半の人が影響を受けている一神教の源泉となるのが、旧約聖書なのだ。その文脈で語るならば、キリスト教的価値観である『旧約聖書』という名前はふさわしくないという意見である。
 
 そこで、最近は『ヘブライ聖書』という言葉が生まれて、Wikipediaではこの用語に統一しようとする動きがあるようだが、これが実に誤解を招く表現なのだ。
 経緯を知らずに、旧約聖書をヘブライ聖書と置き換えるのは、かなり危険な行為なのでやめたほうがいい。
 
 これは、旧約聖書はヘブライ聖書、新約聖書はギリシャ聖書と呼び替える動きである。
 旧約聖書の原典はヘブライ語であり、新約聖書の原典はギリシャ語である。だから、そう呼ぼうという話である。
 これの何が問題なのか。
 そもそも、キリスト教はギリシャ語で生まれた。だから、キリスト教にとって、旧約聖書はギリシャ語訳である『70人訳』だったのだ。
 新約聖書の文書群を書いた人のなかで、ヘブライ語を知っていたのはパウロだけといわれる。
 新約聖書の福音書で引用される旧約聖書の語句は、すべて『70人訳』を元にしている。
 なかには、ヘブライ語っぽい用語も引用されているのだが、これが不正確なのだ。
 代表的な例が、マタイによる福音書27:46「エリ・エリ・レマ・サバクタアニ」。これは旧約聖書詩篇22篇冒頭句なのだが、ヘブライ語とアラム語の混合である。くわしくは、以下のWikipediaを参考に。

イエスが使った言語 -Wikipedia
 
 だから、キリスト教旧約聖書という文脈でいえば、歴史的にはギリシャ語の70人訳である。
 しかし、今の旧約聖書日本語訳は、ヘブライ語のマソラ本文『レニングラード写本』を、もっとも重要なテキストとしている。

レニングラード写本 -Wikipedia

 70人訳とマソラ本文とは、異なる部分が多い。
 多くの人は、旧約聖書のテキストは、石に刻まれたように、一言一句ゆらぐことのない内容であると思われるかもしれないが、実際はかなりの異同があるのだ。
 
 さて、死海文書という、世界最古のヘブライ語写本が発見された。
 これぞ、旧約聖書原典の決定版だと思われるかもしれないが、これまた異同があるのが問題なのである。
 具体的には以下の通り

死海文書に含まれる聖書テキストを分析すると35%がマソラ本文と一致し、5%が七十人訳聖書の系統であり、5%がサマリア五書の系統に含まれるものである。残りはまったく独自の系統に属するものである。
死海文書によってわかったことは、2,000年前のユダヤ教文書が現代の学者たちの想像以上に豊富なバリエーションを持っていたことということであり、それによって現代のヘブライ語聖書は歴史的には三つの源(マソラ本文、七十人訳聖書のオリジナルとなったヘブライ語聖書、サマリア五書(サマリア人共同体の伝えてきたモーセ五書))から発しているという広く定着していた仮説が覆されるに至った。

死海文書 -Wikipedia

 すでに、ユダヤ教神学、キリスト教神学というのは打ち立てられている。それは、聖書を不変なものとして生まれた教義である。
 ところが、死海文書の発見により、旧約聖書のテキストは流動的であることが判明した。
 そして、それを知るためには、当時のパレスティナの歴史背景を抜きには語れないのである。

 キリスト教を学んだ人はヘロデ大王については知っているだろう。
 しかし、その前のハスモン朝時代のことは知らないのではないだろうか。
 旧約聖書には「マカバイ記」という、ハスモン朝につながる書があるのだが、いかんせん、キリスト教プロテスタントでは外典あつかいされている。
 日本でもっとも読まれている新共同訳聖書では「旧約続篇」という謎カテゴリーがされている書である。
 だが、このマカバイ記を読まずに旧約聖書を語ることはできない。
 前置きがかなり長くなったが、ここで紹介する土岐健治の『死海写本』という本は、ハスモン朝に至るユダヤ教の流れを理解する必要性を伝えた書物といえるだろう。
 
 個人的にマカバイ記は示唆されることが書物である。
 これは、当時のパレスティナを支配していたセレウコス朝のユダヤ教迫害に対抗して、ユダヤ人独立のために蜂起したハスモン一族のひとり、ユダ・マカバイを主人公としている。
 このマカバイ戦争では、様々なユダヤ教の問題点が浮き彫りになる。
 例えば、安息日について。
 マカバイ記一2章29章で、ユダヤ教を守るために蜂起した民衆が安息日に攻撃されて全滅するという顛末が語られている。彼らはユダヤ教の律法に定められた安息日を守るために、抵抗されないまま虐殺されてしまったのだ。
 この結果、安息日でも自衛なら良し、という新たなユダヤ教の解釈が生まれる。
 
 ここまで読むと、多くの読者は首をかしげるはずである。
 なぜ、このマカバイ戦争以前でも、安息日に自衛すべきかという問題は起こらなかったのか、と。
 特に、エレミヤ書に出てくるバビロニアのエルサレム攻囲戦において、安息日が律儀に守れたとは、とても考えられないのだ。
 保守的な聖書学者ならば、バビロンもエルサレムも安息日は同じだったのだと説明するかもしれないが、18ヶ月にわたる攻囲戦、人々が赤子を食べて飢えをしのぐほどの惨状において、安息日が守られたとは、到底考えにくい。
 このエルサレム攻囲戦はヨシヤ王の宗教改革以降の話である。伝統的に、この宗教改革は申命記に基づいて行われたといわれるが、申命記で定められた律法にもとづいて、エルサレム攻囲戦が行われたのならば、この安息日自衛問題は、もっと明るみに出ていたはずなのだ。
(そもそも、バビロン捕囚以前のユダヤ暦は六曜であったといわれる)
 
 申命記というのは、きわめて理想主義な掟が並べられていて、ユダヤ教でもその解釈のためにタルムードを欠かすわけにはいかないし、キリスト教神学の創始者パウロのいうように「律法を知れば知るほど罪深くなる」という結果を招くことになる。
 ハスモン朝時代というのは、そんな理想主義のユダヤ教が初めて支配の道具となった時代であり、その解釈をめぐって、サドカイ派・パリサイ派・エッセネ派というキリスト教徒にはおなじみの分派が生まれるわけである。
 そういう過程を抜きに、ぱっと旧約聖書を読んでも現代人には理解できるはずがないのだ。
 
 と、土岐健治の『死海写本』の感想を語るはずが、その前置きだけで冗長になってしまった。
 初心者向けとは言い難く、学術的からは程遠い駄文である。
 まあ、このnoteは思いついたものをつらつらと書き連ねるのが目的なので、適当に読み流してもらいたい。

 感想については、後日、ちゃんとした形でまとめよう。