- 運営しているクリエイター
2015年2月の記事一覧
別れましょう (とらばーゆ 1986.4)
だいぶ前のことだが、ある男のひとに、女と別れたいがどうしたら別れられるかと、きかれた。
彼は二人の女とつきあっていて、そのうちの一人をだんだん本気で好きになり、もう一方とは別れたくなった。ほかの女ともつきあっていることが本命にバレれば、ふられてしまうことは確実だと、あせっていた。
女と別れるなんてカンタンよ、ようするに、相手のイヤがることをして、嫌われてしまえばいいのよと、わたしはいった
飲みたい女、飲めない男 (とらばーゆ 1986)
これも、ずいぶん前のことだ。
酒を一滴も飲まない男とつきあったことがある。ある晩、その男と、ほかのひとたちといっしょに酒を飲んだ。といっても、もちろん、その男はコーラしか飲まなかった。キリッとおいしい焼酎があり、すすめられて、わたしはけっこう飲んだ。
その翌日、わたしは上機嫌で、男にいった。「きのうの晩の焼酎、おいしかったなあ。スイスイはいっちゃったけど、今日、ぜんぜん二日酔いしてないわ
「ごはんが恋しい」 (とらばーゆ 1986)
外国を旅していると、日本食が食べたくなる。わたしは、嫌いな食べものはないのだが、辛すぎるもの、塩のききすぎたもの、油っこいものは苦手なのだ。だから、外国で、しつこい味のものばかり食べていると、さっぱりした日本食が恋しくなる。
去年の夏、ドイツのブレーメンの友だちの家に居候して、二ヶ月間、ドイツ語学校に通ったときは、せっせとお鍋でごはんを炊いては、生卵をかけて食べたものだ。
そのドイツ語学
「ドイツの白いアスパラガス」 (鎌倉書房 1988.4 "四季の味")
去年の二月から八月まで、西ドイツのブレーメンにいた。
東京の二月は、寒い日はあっても、もう、春がそこまで来ている気配がある。ところが大寒波は去ったとはいえ、ブレーメンの二月は、まだ、冬のまっただなかだった。三月になっても、東京のま冬以上に寒い日が続き、長い冬のトンネルを、いつになったらぬけられるのか、春が待ち遠しくて、たまらなかった。小さなクロッカスの花が咲き始めた四月、ふたたび吹雪になった
ボラれたタクシー (週刊小説 1986.10)
これまで、外国でタクシーに三回、ボラれている、
最初は八年前、ロサンゼルスで。二キロぐらいの距離で、メーターは二ドルもいってなかったのに、十ドルだといわれたから、払ってしまった。外国旅行になれていなかったので、まだ、英語で文句がいえなかった。
なぜか、その運転手は、「どこから来たか」とか、話しかけてきて、感じがよかった。わたしが降りるときには、「グッド・ラック」と、声をかけてくれた。朝か
無題 テーマ:旅行達人のノウハウ (ザ・ホテル 1987.3)
わたしとドイツ人の相棒が一週間滞在したラザの宿では、シャワーが使えるのは夕方四時から七時までだった。うす暗い小屋で、霧雨のように少ししか出ないぬるま湯のシャワーを、鳥肌を立てながら浴びたあと、テラスで日光浴をした。
中国のチベットの中心である、ラマ教の聖地として古くから栄えた街、ラサは、標高三千六百mのところにある。高い分だけ太陽に近いからだろうか、空気は冷たいのに、九月中旬の陽ざしは、夕方
忙しかった九州旅行 (石だたみ 1989.3)
博多といえば、おじいちゃん、お元気ですか。だいぶ、あたたかくなりましたね。
天神から歩いて十五分の、中央区舞鶴に、母の実家があり、今でも、九十九歳のおじいちゃんがいる。
おじいちゃんは、足腰はさすがに、ちょっと弱ったが、頭のなかは、はっきりしている。会うと、「親孝行しなさい。人生は、努力、努力、であるん」と、お説教されてしまう。
去年の暮にはドイツ人の夫のデイルクとおじいちゃんの家に
さりげなく酔えるロマンチック横浜、港町酒場探検記 (サントリーシスターズクォータリー 1989)
ヨコハマって、港、公園、しゃれたレストランと、アベックの好きなものがあり、デートに最適っていうイメージ。
しかし、自分自身について考えてみると、ヨコハマでデートしたことは何度もあるが、ちゃんとロマンチックな経験って、全然ないなあ−−−。
まだ明るいうちに、港の見える丘公園、山下公園などを、ハイキング気分で、せっせと散歩。中華街でお粥を食べて、そこいらの喫茶店でお茶を飲んで、東京へ帰宅。そ