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ビブリオテーク

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読んだ本について紹介。紹介するのは、他の人があまり読んでいない本ばかりかと。
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2019年2月の記事一覧

バナナ剥きには最適の日々/円城塔

生き物とは何か? 僕らは生き物に出会ったら、ちゃんと生き物とわかるのか? 道にバナナの皮が落ちていたら、僕らはそれを生き物だってわかるのか? それが地球外生命体であるかもしれない可能性に思い至ることができるのだろうか? 円城塔の短編集『バナナ剥きには最適の日々』にはそんな問いを誘発する話が満載だ。 地球外生命に出会わない日々。「宇宙人とかいようがいまいが、どうでも良いのじゃないか」と、ヒト型人工知能を搭載した無人地球生命探査機の「僕」はいう。表題作「バナナ剥きには最適

サピエンス異変/ヴァイバー・クリガン=リード

「誰でも知っているとおり、長く働いたからといって仕事がはかどるとはかぎらない」。 この科学技術全盛ともいえる21世紀に、僕らはいまだ科学的にみたら不合理だらけな仕事や生活をし、社会や環境のデザインをしてしまっている。 そんな考えが、最近僕自身のなかで徐々に否定しがたく明らかになってきて唖然としている。 自分たちがこれからも健やかに生きる環境というものを、最近の科学の研究結果を参照して考えてみた場合そう思うのだ。 僕らは健やかに生きる環境というものをもっと科学的にみてデザイ

セレンゲティ・ルール/ショーン・B.キャロル

答えは「オオカミ」だろう、おそらく。 何の答えかというと、イノシシやシカの獣害被害をいかに食い止めるか?という問いに対する答えとしてだ。 ショーン・B.キャロルの『セレンゲティ・ルール』を読んで、そんな考えが思い浮かんだ。 「生命はいかに調整されるか」という副題をもつ、この本は、人体にしろ、より規模の大きな生態系においてにしろ、異なる有機物間、あるいは生物間での調整が機能しているか機能しなくなっているかによって、病気や環境問題などが発生したり治癒したりということが起こると

地球外生命と人類の未来/アダム・フランク

「先進技術を発展させた文明は、平均してどの程度長く存続できるのか?」 この問いは、1961年にアメリカの天文学者フランク・ドレイクによって考案された、この銀河系に存在し、地球に生きる僕たち人類とコンタクトできる可能性をもった地球外文明の数を推定するための方程式における、7つあるパラメーターのうち、最後の1つだ。 他の6つは、 1.この銀河系で1年間に誕生する恒星の数 2. ひとつの恒星が惑星系を持つ割合 3. ひとつの恒星系がもつ惑星のうち、生命の存在が可能となる状態の惑

虚構の「近代」/ブルーノ・ラトゥール

素晴らしい本だった。 少なくとも僕にとって、このブルーノ・ラトゥールの『虚構の「近代」』は、最近気にかけて考えてきたことに1つの軸を与えてくれた、意味ある一冊だった。 気にかけてきたことは何か?といえば、「人間があらゆる意味において、あらゆる人間以外の生物、そして非生物と共生関係にある中で、人間の無自覚な拡張が自分たち自身の生活や生存をリスクに晒すような影響を与え続けている状態から、いかにどちらの方にシフトすれば良いのか?」ということだ。 それは『自然なきエコロジー』(紹

タコの心身問題/ピーター・ゴドフリー=スミス

すこし前にオフィスで意識だとか心の話題になった。 意識というのは、どの程度、人間以外の生物に存在するのか。会話に参加していた人の中にも、意識は人間にしかないのでは?と考える人と、それ以外にもあるだろうと考える人に意見は分かれた。 では、意識ではなく、心ではどうか?という話になり、心のほうが意識よりも、幅広い生物がもっているのではないかという話を僕はした。頭の中にはアメリカの哲学者トーマス・ネーゲルの「コウモリであるとはどのようなことか」だったり、ユクスキュルの環世界があった。