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ビブリオテーク

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読んだ本について紹介。紹介するのは、他の人があまり読んでいない本ばかりかと。
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2018年12月の記事一覧

エピローグ/円城塔

意識を持ち、ほかの存在のことを見ている存在は、何も人間だけではない。 ほかの存在のことを気にして、それらと依存しあい影響しあい、時には排除したり利用したりぞんざいに扱ったりしながら、自分以外の存在とともにありつつ、自分が宇宙の中心であるかのように勘違いしている存在も、人間だけではない。 ほかの動物だろうと、植物だろうと、いや非生物的な存在だろうと、人間と同じように自己中心的にほかの存在のことを考えている。 そんな非人間中心の考え方に興味を持ったのが、2018年後半の2ヶ月あま

四方対象/グレアム・ハーマン

2018年もいろんな本を読んだ。 ちょうど1年前の年末年始にかけて読んだのはゲーテの『ファウスト』(書評)だった。19世紀初頭に書かれた、この作品はあらためて近代という、人間と世界のあいだに亀裂が認識された世界が明確に描かれていた。 「ありとあらゆる道徳観念が、耐えがたいまでの重荷を負わされ」、「たえず、神の権威と、直接、関係づけられ、「罪という罪は、極微小の罪にいたるまで、宇宙世界と関係づけられる」と書くホイジンガの『中世の秋』(書評)やジョルジョ・アガンベンの『スタン

モノたちの宇宙/スティーヴン・シャヴィロ

僕らの生きる世界はさまざまなモノが複合的に重なりあって構成されている。 それは家やスマホや衣服や食物やペットや水や空気のような物理的なモノだけではない。家族や企業や部活や学会や議会などのさまざまなコミュニティや組織のようなものもあれば、法律や学問分野や、数字や言葉や通貨などの物理的な形をもたない概念やしくみもモノといえる。美術作品や音楽作品、料理の種類、あるいは、さまざまな素材や部品などの人工的なもの、血液や細胞、DNA、分子、原子、電子、ニュートリノ、あるいはダークマター

有限性の後で/カンタン・メイヤスー

しばらく前から続いてる新しい哲学書を読み進める私的プロジェクト。 新たに読み終えたのは、思弁的実在論(Speculative realism)の地平を開いたカンタン・メイヤスーの『有限性の後で』だ。 2006年に書かれたメイヤスーの処女作である本書では、カント以降の哲学が、「相関主義[correlationisme]」に支配されているとされ、それとは異なるあり方として思弁的実在論が提唱されている。そのことをメイヤスーは非常に数学的・論理的な方法をもって証明していく。 前提