見出し画像

年に一度、"光る君"だった同級生へ

NHK大河ドラマ『光る君へ』を観ていて思い出した、中学生の頃の出来事がある。

通ってた学校では年始に生徒全員が参加する百人一首大会があった。でも当然ながら真面目に取り組んでいる生徒なんてほとんどいなくて。
底冷えする体育館で、マフラーを座布団代わりにしコートを着込んで、何人かに分かれてひたすらカルタをとる。それでも何枚かとれれば嬉しかったりはしてキャッキャとはしゃいでいた。

中学2年生の時、たまたま同じ対戦グループに仲のよいギャルたちがいたこともあって、「普段勉強を全然しないお調子者の私がいっぱい取っちゃった!みたいなノリおもろくね?」という流れになり、途中からみんな放棄して、私の手元に残りのカルタを集め、50枚くらいとったことにして終了となった。

学年全員の上位者の表彰が始まり、2位で私の名前が呼ばれ「いぇ〜い!」とか言って前に出てふざけていたのだけれど、1位の子は1年生の時にクラスが一緒だった、百人一首がめちゃくちゃ得意な女の子で。普段は大人しいんだけど、年に一度この時だけは、学年中に存在感を発揮するような子だった。

それでなんだか無性に私、「まずいことをしてしまった」という罪悪感に苛まれた。ちょっとした文房具だったけれど景品が出て、先生からも「よく頑張ったわね」などと言葉をかけられ、そして隣にはそれを本当の実力で勝ち取った同級生がおり。
自分が軽い気持ちでしたことが思いのほか大事になってしまったこと、そして、自分が軽んじていることに対して、無垢に真剣に向き合っている人というのもいて、その人の気持ちを侵す権利は私なんかにはないということが、その内気な同級生が照れくさそうに表彰されている姿を見てしみじみと身に沁みたのだ。

やったらアカン冗談ってある。
それは、その後の人生の大半を「不謹慎だ」「不真面目だ」と叱られ、しかもさらにその大半に悪びれる様子もなく生きてきた自分であっても、したたか堪えるお灸だった。

それでもまだ2位でよかったよ。あの時私が1位を取ってたら、あの子どんな気持ちになったろう。

と、こんなことをインスタのストーリーに先日書いたら(そうよ私はこの量↑の文章をストーリーにあげる女)
友人が、もう私たちとは完全に疎遠になっている件の彼女の本名で検索をかけて、勤め先の会社の広報誌を見つけてきたんだけど……なんとそこに……!
彼女が会社の業種に絡めた和歌を選出し解説してるコーナーがあって、
こんな伏線回収あっていいんか!とめちゃくちゃ感動してしまった。

和歌、大人になってもちゃんとずっと好きだったんだ。
和歌が好きなこと、会社のみんなに受け入れられてて、尊重されてるんだ。

それは、ただのエゴだけど、自分の罪悪感が少しだけ晴れた知らせだった。
しかしこれも、もしも中学2年の百人一首大会で私のほうが優勝していたら、なかった未来かもしれないではないか……。
それにしても、チートで50枚とった人間よりも数とってるのすごいよな。

年に一度、百人一首大会の日に”光る"君へ。
今も和歌が好きだってこと、勝手に私も嬉しいです。

今年は日曜日の夜8時になると、あなたのことを思い出すということが増えるかも知れません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?