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おんなのこのからだでお金をかせいだことがあります。

「コンビニからエロ本がなくなる日」に寄せてー

文学フリマで、田房永子さん責任編集「コンビニからエロ本がなくなる日」を購入した。
ライターの武田砂鉄さん、桃山商事の清田さん、漫画家の瀧波ユカリさんをはじめ様々なジャンルの書き手の方が「コンビニから成人向け雑誌がなくなる」ことについて考察している。
一冊まるまる、このテーマだ。思わず手に取ったものの、これは読むのに気合がいるタイプの本かもしれないと思った。

その思いはすぐに覆ることになる。
論者が皆、「コンビニからエロ本の撤退を!!!」という立ち位置というわけではなかった。
桃山商事の清田さんは「自分にエロ本を否定する資格はあるのか」と自問し、武田砂鉄さんはエロ本の有り無し論を社会の問題へと提起する。
少年アヤさんは「過去の傷つけられた自分を救う」という切り口で語り、どるきゃぷてんこと漫画家のドルショック竹下さんは自身の「エロ雑誌仕事」を振り返って素直な告白をしている。
巻末にささやかに添えられた、美容ライターの長田杏奈さんが紹介するフェミアイテムの文章が美しくてほっとした。
ここまで読み手にスタンスの多様性を示しているフェミ本はすごく新鮮だった。

正直、読み手として考えの及ばない自分に情けなさがあったが、そういう人たちにも優しくかつ毅然と手を差し伸べているし、どのスタンスをとればよいか考えあぐねる読者のことも肯定しているように思えた。
気づきと希望に溢れたエネルギッシュな一冊だった。

さて、このように多くの視点をくれた「コンビニからエロ本がなくなる日」を読みながら、蓋をしていた出来事が閉め切った分厚い扉を押し開けようとしてきて不安になった。

私にも「女の子の体」で商売をしたことがあるという過去がある。

私はかつて、芸能事務所でマネージャーをしていた。俳優やバラエティタレントなどの他に、グラビアアイドルのマネージャーをしたこともあった。
美しい肉体にできるだけ映える水着を選び、扇情的ではありつつも過激ではない絶妙な写真を何千枚という候補から選び出す。毎月のように暖かい地域へと飛び回り、自分はサングラスに日焼け止めを塗り塗り完全防備体制でカメラマンの横に立ち、それっぽく「いいですね、いまのカット」とか口を出していた。
青年誌における水着グラビアのあり方、ヌードでないDVDの存在意義についてもやもやとした思いが頭をかすめることもあった。でも、誰もそんなこと議論しなかったし、答えはでないから「犯罪おかしてるわけじゃないし」とかいって主語を大きくして頭の中の焦点をぼやかした。

22歳で就職し、30代に近づくにつれ、だんだんと「自分の中でありかなしか、考えないようにしておく出来事」で、メシを食うのがきつくなってきた。
女性の年齢や容姿に関して揶揄されやすい古い体質の業界に窮屈さも感じていた。
自分自身さえ、そうやって女として消費される感覚があるのに、ましてや、女の子を水着にして世の中に送り込むなんて……。
でも、明るく健康的な水着姿が今月も雑誌の表紙を飾れば、その反響に安堵し、またせわしなく次の仕事にとりかかっていた。

青年誌のグラビアはエロなのか、否か。
その問いと、真剣に向き合わないようにしていた。

「私って結局おっぱいだけなんですか?」
そう言ってタレントから泣かれたこともあった。そんなことはないと言った。そのときは本気でそう思っていたし。彼女のキャラクターを生かして、バラエティに進出させて、スターにするんだ!とプランを描いていた。
でも、実際には彼女のまぶしい肉体を、バンバン出版社に売り込んでいた。

仕事は本当に楽しかったけど、いつも気持ちの折り合いがつかなかった。
「水着の仕事は「エロ」を売り物にしてるんじゃない、「かわいい」を売り物にしているんだ。かわいいは正義だ!」と割り切ることも
「女性のからだを売り物にするなんて違う!もっと中身で勝負させるんだ!」と覚悟を決めることも私にはできなくて、自分にできないのにタレントに「腹を決めろ」ということが心苦しくて、そんな風にぐずついた感情で仕事をすることが同僚や会社に申し訳なくて、
結局結論を出せないまま会社をやめることになった。

まぁ、つまり、結論を出すことを放棄したとも言えるかもしれない。

性的なものだけとは言わず、女性の身体が商売になること、それ自体、本当のところ、どうなんだろう。今でもわからない。女性だけじゃない。男性の肉体もそうかもしれない。仕事でなくたって、自分の生き方についてだってそうで。最近携わっている女性向けwebメディアでは、セクハラ問題や女性の働きやすさについて光を当てる記事を作ろうと鼻息荒くパソコンに向かっているわけだけど、夜になればそれこそ、どるさんがママをつとめるゴールデン街のsea&sunで、にんにく卵黄くらい煮詰めた下ネタをぶっぱなすのも楽しくて爽快でしょうがない自分がいる。

本書はあくまで「コンビニにおけるエロ本コーナー」への見解について取り扱っている。成年向けコンテンツそのものの是非についてはまた別の話になる。

でも、私にとってすべては、地続きでつながっている。自分の女性性を自虐することも、あの子のおっぱいも、そしてコンビニから消えゆくあの一角も。
全部今まで考えないようにしていたことだった。

成人向け雑誌コーナーはこのほど、コンビニから姿を消す。それはなんのためなのだろう?ではなぜ、女性が水着姿になる雑誌はコンビニから姿を消さないのだろう?何が違うんだろう?どうして違うんだろう?

結局これだけ書き連ねても「考えるきっかけをくれました」みたいな夏休みの読書感想文みたいな締めにしかならなくて恥ずかしいけど、まずは自分の身の回りにある保留にしておいた感情を一個一個解凍していきながら、地続きにある世の中の問題といつか真っ向から戦っていきたいと思った。

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