見出し画像

しずかなきもち②

(前回からのつづき)
妻が入院している間、職場の理解と厚意により、穏当な解決策を得て(保育園送りは少なくとも僕が行けるように調整できた。延長保育を活用しながらお迎えヘルプさえ確保できれば、なんとかなる)、仕事を破綻なく続けるメドが立った。この場を借りて感謝します。妻は病院で安静にしている。仕事の件も、とりあえず落着した。これから、娘の「きもち」の話をしようと思う。

・・・

長女、当時3歳。パパからから突然、「今夜から当分、ママはいないんだ。赤ちゃんが生まれるまで、病院でしずかに寝ていることにしたんだ。でも、大丈夫。パパと一緒にがんばっていこうね」と宣告される。

そして、世はコロナ。突然の母親との離別に重なり、出産予定日の数ヶ月間、面会は家族すら不可能という極限状態に、長女は追い込まれた。何の心の準備もなく期間限定シングルファーザーとして世に放たれた僕と、何の心の準備もなく、大好きなママと何ヶ月も会えない宣告をされた長女の2人暮らしが、妊婦健診の翌日からはじまった。

意味不明にもほどがある。ほんとうに、これ以上理不尽なことはないだろうと思う。当時の彼女の心痛を思うと、今でもいたたまれない気持ちになる。

長女の気持ち、心のはたらきを、考えに考え抜いた。完全に僕に依存するだけでは、この状況を彼女自身が処理しきれないのは明白だった。彼女に、なんらかの「武器」は持たせてあげたかった。そのひとつが「しずかなきもち」。

「パパは、しずかなきもちが好きなんだ」と、何回も彼女に伝えた。

そうしたら、彼女も、自分が「しずかなきもち」の時に、「パパ、◯◯ちゃん、いま、しずかなきもちだよ」と、教えてくれるようになった。

「しずかなきもち」は奏効した。彼女の心の中に、一本、芯が入ったような気がした。気のせいかもしれないが。

・・・

12月。イベントごとだけはスキップしたくないと思い、クリスマスツリーはちゃんと飾って、2人でクリスマスを祝った。買ってきた飾りはキラキラ反射して光るボール。とてもキレイなのだけれど、飾りつけ作業が、ボールの上部の突起に開けられた小さな穴に紐を通しツリーの枝に結びつけるという、大人でもむずかしいものになってしまった。長女は何度も飾りのボールを床に落とした。たいへん脆いそのボールの飾りは、床に落ちるたびに、カシャン、と儚い音を立てて割れた。カシャン。カシャン。彼女はその小さな音に配慮するかのように、小さな声で泣くと、気を取り直し、作業を再開した。

・・・

3月。ひな祭りの時期になっても、ママは帰ってこなかった。やっぱり、イベントはすっぽかしたくないと思い、ひな人形を飾ることにした。ふたりで取り扱い説明書を解読しながら、しかるべき段にしかるべき人形を置いていった。「次はパパが並べるんだよ」「次はあなたが並べるんだよ」と、声をかけ合いながら、並べた。「しずかなきもち」が、ふたりの間に流れた。

並べ終わったあと、セルフタイマーで、ひな人形の隣にふたり並んで、写真を撮った。

・・・

ママが双子を出産したのは、ひな祭りが終わってしばらく経った、3月のおわりごろのことだった。

(おわり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?