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想像力は。

 本を読むと何にいいのだ、と時々夫に詰め寄られる。
 私が息子たちに読書を一生懸命推進していた十年前は毎日のように。
「君本を読め本を読めって言うけど、本を読んでも国語の成績は全然伸びないじゃないか」
 成績を盾に取られると分が悪いけど、国語の成績のために読んでいるんじゃないよ。本を読むことで、たくさんの経験や価値観をいただくことができるし、何より想像力が養われるんだよ。だって情景を読みながら想像しないと読めないでしょう?
 私の説明は彼に届いたか届かなかったか。
 
 さて、今年も6月がやってきて、もう下旬に差し掛かっている。
 6月22日は水島の空襲、29日は岡山空襲の日である。79年も前のことだ。

 私の父方の伯母は二人いるが、本当はもう一人いた。7歳で亡くなった。
「二回焼かれた子」それが私の伯母、洋子(ひろこ)伯母だ。

 1945年6月22日。洋ちゃんは自宅の2階で留守番をしていた。お父さんは出征していない。お母さんは近くの保育園の園長先生だったから不在。お姉さんが二人いたけど、それぞれ動員されていたり学校に行っていたりで不在。
 そこへ飛行機が編隊を組んでやってくるのが見えた。洋ちゃんは学校で習った通り、窓から身を乗り出して、みんなに聞こえるように「敵機来襲!」と叫んだ、窓の枠が傷んでいることを知らずに。

 長女の啓子伯母がその夜のことを書き残している。「号泣する母、数日後の葬儀に一時帰宅した無言の父の埃まみれの軍服、小さなつぼ」
 そしてその1週間後、今度は岡山が襲われた。深夜2時のことで警報も鳴らなかったという。飛び起きて、身一つで逃げるしかなかったと啓子伯母は言っていた。だから、洋ちゃんのお骨と自宅は全焼した。
 家族は無事だったが、祖母はその灰を集めてハンカチに包み、二度とその身から離すことはなかった。「洋ちゃんは二回戦争で焼かれた」この短い一言の重み、悲しみを想像できない人に、我が子にはなってほしくない。


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