見出し画像

コルビュジェが現代で推すのは、ハウスメーカーやプレファブ高層建築 - 『建築をめざして』 : まったり建築論批評 #1

さて、まったり建築論批評の記念すべき第一回である。しかしながら、まずこれを始めようと思ってから時間が経ってしまったことをお詫びしたい。そして第一回目に対象とするのは、その記念回にふさわしい、みんな大好きコルビュジェ(Le Corbusier)である。

建築を勉強していてコルビュジェが好きっていう人は非常に多い。近代建築の巨匠であり、なんなら近代建築の三大巨匠なんて言われている。建築を勉強していない人にとってはガウディの方が有名なのかもしれないが、やっぱり建築を勉強している人にはコルビュジェかミースかライトなのだ。学生は大体その中の1人を熱烈に信奉しており、その人の意見であればどんなものでも受け入れる。課題は大体その真似事になる。(一風変わったことを示したいがためにもうちょっと変わり種の人を好きという学生ももちろんいる。)

さらに、コルビュジェは執筆活動も多くしており、現代でもいくつかの文献が残っている。そうなると思想的な観点でも影響が強い。そしてその著書の中でも代表的なのが、今回扱う『建築をめざして』である。この著書は、コルビュジェにとっては初期の著作ではあるものの、彼の考察がかなり鮮明に語られている。ただ、そもそもこの本は1冊の本として最初から執筆されたものではなく、1920-21年の間に、「エスプリ・ヌーボー誌」に連載されたものをまとめたものである。そのため本著の中では繰り返し同じ文章が語られることも多い。このようにまとめられると、またこれか、ってなるけどそのためだ。例えば以下の文章はこの本に3回現れる。

「建築は、「何々様式」とは何の関係もない。」

(p. 37, p. 43, p. 51)

まあこの本の批評はこの後の本文でするとして、彼の有名な建築思想をまず一つ紹介しよう。そう、「近代建築の五原則」だ。その内容は、Wikipediaによると以下のとおり。

  1. ピロティ (les pilotis)

  2. 屋上庭園 (le toit-terrasse)

  3. 自由な設計図 (le plan libre)

  4. 水平連続窓 (la fenêtre en bandeau)

  5. 自由なファサード (la façade libre)

これは意匠系の建築学生なら誰でも知っている。知らなかった人は今覚えておこう。周りの学生と話すときに知っていないと、あの建築学生間の特有な知識マウントにやられてしまうことになりかねない。また、この知識マウントは建築学科内では非常に強い力関係を表す。さらに細かい小ネタも持っているとなお強い。そして「ピロティ」なんて建築をやっていない人は絶対に使わないワードを覚えるのも重要だ。積極的に使うことで、自分たちは他の人たちとは違うのだ、特別な存在なんだと言い聞かせることができる。どの業界でも同じかもしれないが、これがこのあと出てくる建築家という人間たちの特徴を形成する。

まあそれはいいとして、この5つをよく見てほしい。まず思うことはレイヤー違くね?ということだ。

明らかにピロティや屋上庭園、そして水平連続窓は建築における要素であ離、それぞれは独立している。したがってその全てを組み合わせることもできるし、一つだけ使うことだってできる。単純に住宅を決めるときにあるような、「大きなリビング」とか、「風呂トイレ別」といったことに等しい。それに対し、自由な設計図(よく平面図とも言われる)や自由なファサードはより大きな思想的なものである。普通はまず自由な設計図とファサードが大枠としてあって、その下にピロティとかの要素がくるはずだ。近代建築の二大思想は自由な平面とファサードで、三大要素はピロティと屋上庭園と水平連続窓です、なら本当はとても理解しやすい。

と、こんな批判をこの後も書いていくことになる。いやいやコルビュジェを批評するなんて本当にどうかしている。コルビュジェが好きな人にはめちゃくちゃ怒られるかもしれない。なのでこの後は申し訳ないが有料とさせていただく。ただ本当は、これまで建築を勉強していて、かの巨匠のお言葉だからとなんとなく全て受け入れてしまっていた人にぜひ読んでほしい。また、そんなコルビュジェが好きではない人はそのまま楽しんでほしい。

この書評は、吉阪隆正訳の『建築をめざして』SD選書21、1967年第1刷・2010年第33刷、鹿島出版会 を文献とする。本文中の引用においてページ数しか書かれていないものは全てこの本からの引用である。


ここから先は

11,981字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?