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【終始】

日本の文化、日本人の感性の中、生活の中、様々な場面で、

わりとまりを大切にしている。

終始一貫だと思っている。

ある意味で終わりと始まりの区別はないのかもしれない。

終わりは次の始まりであり、始まりは次の終わりであると、

心の深いどこかで思っている。

終始一元、無始無終、なんだと捉えているのかも。

宴会などで閉会つまり会を終わりにするときは「お開き」と言う。

閉会は次の会への開会を意味しているのかもしれませネ。

終始=シュウシ=収支。

終わりと始まりが一貫しており、同じだと言うことは、

お金や人の流れも含めて出と入りのバランス、

すなわち収支はどこかでつじつまが合う。

収支が合うとは、プラマイ(±)ゼロであって、

無であることを伝えているのかもネ。

お金の出し入れの台帳は、出納帳(スイトウチョウ)と言うのは面白い。

出る方が先で、入る(納める)方が後の順番となっている。

始まりとは終わりが一致するものこそが宇宙の法則であり、原理でもある。

終始が一致するものは、アイウエオの五十音(コトタマ)でもある。

五十音は、アから始まりオで終わる。

アはα(アルファ)でありオはω(オメガ)を示している。

終始の意味を持つ日本語だからこそ、

世界の謎解きができるのかもしれませんネ。

コトタマ(五十音)でこそ謎解きの収支が合致するのかもね。

終始


コトタマ(言霊)を通しての興味やサポートを嬉しく思います。感謝しています。💕