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「エンジニアは学び続けるべきか」論争の無意味さ

少し前、長年議論が続いている「エンジニアは学び続けるか」論争に新しい種火が灯された。
元ツイートが見つからなかったが、おそらく同じツイートを見た人の反応が下記。

以前かなり大きな種火になったのが、「エンジニアとして勉強する時間は就業時間内に給料が発生するべき」というものだった。
我々の業界は常々こういった「勉強」を起点とした話題で熱くなりがちである。

人間は本質的に仕事が好き(嫌い)である

マクレガーという心理学者で経営学者の人が、XY理論という説を提唱した。

  • X理論=人間は本来、仕事が嫌いであり、しっかり管理して働かせないといけない

  • Y理論=人間は本来、仕事が好きであり、高次の欲求(自己実現欲求とか)を満たせるように導くべきである

「勉強」における不満の突出は、いわゆるX理論を基底とした問題提起であると考えられる。
「なぜ俺たちは余計な仕事したくないのにさらに勉強まで求められるんだ!」という不満だ。X理論の言うように「本質的に仕事が嫌い」であるならば的を射ている。

この論争の無意味さ

タイトルに書いたように、これは意味を為さない問題提起である。
経営者目線で見れば、従業員であるエンジニアが個人的に努力した結果を事業に活かしてくれれば言うことはない。
勉強時間に給料が発生することに対して諸手を挙げて応援できる企業は少ないだろう。

逆に、個人の目線で見れば自分の可処分時間を最大化したい。難しい問題や、今まで経験したことのない領域の学びに頭を悩ませる時間を減らしたいわけだ。
それより趣味や家族のために時間を使ったほうが個人の人生単位における幸せの絶対値は向上するだろう。

つまり、経営者はY理論を信じたいし、局所的な個人QOLの最大化と言う意味ではX理論が正しいと言える。

立場によって正義が変わる論争は落とし所を見つけなければいけないが、残念ながら個人は労働者の数だけいるし、企業も星の数ほどある。
統一的な正義は国が法として設定するべきだが、さすがに勉強するかしないかまで政府が決定権を持つことはしないだろう。

勉強しない人が増えればライバルは減る

自分はかなり勉強する側の人間だったし、今でも毎日勉強時間を設定している。しかしながら、すでに経営者としての立場があるため、給与をもらう側の気持ちに戻ることはできない。
その環境だからもう何を書いても「勉強したほうがいい派」にしかならないことは前置きしておきたい

だが、これについては明確な理由を持っている。
なぜなら、これだけみんなが「勉強しなくていい理由を見つけたがっている」という状況ならば、自動的にライバルが減るという見方ができるわけだ。
職務がら、エンジニアのスキルについてはよく目にする機会があるが、与えられた仕事を与えられただけするエンジニアとそうでないエンジニアはスキルにはっきりと差が出る。
それを理解した上で「学ばない」選択肢を取るのであればもはや言葉はいらないだろう。

もしあなたが「学ぶ」ことを選ぶのであれば、そのままでいい。
数年後に明確すぎる差として、スキルシートにそれが乗るし、仮にエンジニアから経営者や管理者になったとしても、緩くない気持ちでいられる。

暇つぶしが溢れる平和な世界の住人

我々の世界、特に日本は、すでに衣食住が満ち足りて、娯楽に精を出すことが許された世界である。
平和で、多くの情報やモノが自動的に与えられ、そこから選ぶだけで生きていける。先人たちが汗水流して作り上げた平和な世界だ。

ただ、これを享受しているだけだと一つ疑問が残る。
次世代は誰が作るのか、ということだ。
先人が作り上げた世界も完璧ではない。改善し続けれなければいけない。現代人全員であぐらをかいていたら、我々の子どもたちの世代では困ったことになるだろう。

「自分たちが生きている間に世界が壊れなきゃそれでいい」という考えもあるし、おそらく個体の生命活動の本質として正しい気もする。
だが、自分は罪悪感を覚える。それいいのか、と思ってしまう。

自分は、「勉強し続けること」は大人として子どもにその姿を見せなければ責務だと、自身の思想として変換した。
これからも大人として、大人たる振る舞いをしていきたいものだ。

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