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社員向けIT研修・プログラミング教育のシラバス作成で感じたこと

弊社ではIT教育事業を展開している。
ゆえにシラバス作成をひたすら実施する期間があり、ちょうど今がそのときだ。小さな会社なので社長である自分もせっせとシラバス作成をしているわけだが、そこで感じたことを書き留めておきたい。


対象ごとにカスタマイズしないと意味がない

まず話したいことが、提供する企業や団体、年齢層ごとにカスタマイズしなければ無意味だということだ。
これは認知能力やITリテラシーの差ということではなく、目標設定が異なること、そして前提知識・ドメインが異なることに由来する。

製造業の例

たとえば、製造業を例に取ってみよう。

研修を受ける人の話をよくよく聞くと、ある程度その業界で頑張ってきたという自負があり、そこそこ大人なのでITの基礎を理解している、と自認していることが多い。
当然、自身の領域である製造にまつわる知識もあるため、多少難易度が上がった知識であっても、自身のフィールドに当てはめて学べば容易に習得できるという節もある。さらに「研修を受ければ何かできるようになる」という固定観念を持っているケースも多い。

製造業における機械の動かし方や、報告書の書き方など、定型作業だったら「研修後、即マニュアル通り実行」がうまくいくことも多い。
しかしながら、ITスキルは「日常の作業にIT技術を浸透させて活用する」という、自らによる適応が必要となるため、そこで手が止まってしまうパターンが多かったりする。
そこが我々講師陣の大きな課題だ。我々は、学んだその先へ自ら進む推進力を養いたいのだ。

領域別技術転用の経験

したがって、まずは伴走しながら「自身の領域へIT技術転用」を体験していただく。
ただしここには大きな障壁がある。我々講師陣には製造業の勘所など皆無だからだ。そこで、共に課題設定し、課題解決する道のりを歩むことになる。
さらにこのステップでも問題がある。講師が手伝いすぎてしまうという問題だ。
本来、学ばせる対象である受講者の機会損失につながるため、ここは神経を遣うべき箇所となる。

さらに状況に応じて、目標設定を都度スケールアップ、スケールダウンしたり、方向性を微調整したりと調整する可能性は無限大となっていく。
コスト増大や精神的摩耗を避けるためにも、本来であればパッケージ化した内容を提供するべきだが、それだと本質的な学習に結びつかず、互いに消化不良で終わってしまう。

学生の例

弊社では企業向け研修だけでなく、学生向けやtoC向けにも教育事業の間口を持っている。
そこから派生して通年の専門学生向けシラバス作成もしているわけだが、専門学校の体験授業講師を通して、意外とこれも難易度の高いことだとわかった。

まず、大きな目標は「挫折させない」ことだ。
せっかく夢と希望を抱いて入学したはいいが、教わる内容が難しすぎるとそこで挫折してしまう。
長くIT業界におり、長くプログラミングや関連技術を生業にしていると最初のハードルがいかに高かったかを忘れそうになる。そのときに「こうであったら良かったのに」をシラバスに詰め込む。

C言語ひとつにしろ、プログラムを乗せる対象が相当シビアでない限り、現場でガリガリ書く機会はほぼないと言っていいだろう。
それでも学ばせる。
それが将来的にC++やC#、さらにその他のスクリプト言語に通ずる知識と技術であることを理解していただく。昨今ではRustやGo言語といったハイパフォーマンスかつかゆいところに手が届く言語も増えている。
低級言語を学べとは言わないが、学生から始めて時間がたっぷりあるときには、現代プログラミング言語の祖となるC/C++で基礎力を養うことを強くおすすめしたい。それゆえシラバスに組み込んでいる。(自分の領域にゲーム開発が含まれていることもある)

もちろん、これを社会人向けに行うことはない。
学生であるがゆえに徹底して素振りをさせるのだ。だが、挫折を防ぐ仕組みとして小さな成功体験の積み重ねを組み入れることにしている。
毎回授業で「何かが作れた」を体験させることで、とにかく停滞している感覚による自身の能力への猜疑や不安を解消させていきたい。

本を読まない、PCを触らない人口の増加

若者の活字離れ、PC離れはよく耳にするが、実は大人もかなりの数がそうなっている。
仕事でパソコンを使う人もいれば、書類を読み込む必要がある人もいるが、課題図書を設定しても、「ここをダブルクリックして」といっても、そこに到達できない人が一定数いる。

周囲の人に話すと、揶揄する人もいたりするわけだが、自分も今の職業に就いていなければバーテンダーを続けていただろうからあまり馬鹿にできなかったりする。
スマートフォンがあればたいてい事足りる、と今でも思ってしまう。たまたま小説が好きなので活字離れはしていないが、若い頃は図鑑以外の実用書なんて読もうとも思わなかった。

これらのことから、IT教育はボトムアップが大切であると考えている。
すべては救えないが、前向きに学んでくれさえすれば現在地がゼロでも救える設計にするべきだということだ。
我々の世界は思っている以上に「人が動かなくても回る」世界になってしまっているが、その中で「世界を回すモノづくり」をする人を少しでも多くして豊かにしていきたい。

本質は怠惰なのか

精神科医の熊代亨先生著作の『人間はどこまで家畜か』(早川書房)という最近刊行された書籍がある。
現代社会を形成する人間が自己家畜化している構造を語る非常に面白い本だった。

他にもマズローの欲求5段階説、マクレガーのX理論/Y理論、このあたりも自己家畜化につながる考え方だ。
特に日本という国は、他人からどう見られるかを異様に恐れるゆえに、時流に身を任せがちである。「罪の文化」「恥の文化」を提唱した『菊と刀』にも通ずるところがある。

「学ぶ」という行動は非常に能動的かつ高尚な行いだと思う。
だからこそ、現代人とミスマッチなのではないかとも感じる。
だが、それでも人は学びたいし、できれば自分を高い次元に自ら引っ張っていきたいという欲望があるはずなのだ。

本質的に人は怠惰である、これは否定しない。
できれば食っちゃ寝して楽しいことだけしていたいし、痛みも苦しみも負いたくない。
知識が身につけば身につくほど、見える世界が鮮明になって苦しむことになるかもしれない。

我々教育者はそういったジレンマの中で、少しでも学びは楽しいものであるという熱意をシラバスに詰め込んで今日も歩いて行こう。


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