見出し画像

能と拍手

 能と拍手。どのタイミングが良いか、それともしない方が良いのか。

 結論から先に言うと、能には原則として拍手は必要ありません。
 
 西洋演劇や音楽会にはカーテンコールがあり、歌舞伎には見得や引っ込みに掛け声を受ける間があります。これらは、お客様と演者との間にコミュニケーションが成立することを前提としています。

 一方で、能には見所とやり取りするマナーが存在しません。囃子のお調べが済んで笛方が幕から姿をあらわし、太鼓方(大小物では大鼓方)が最後に退場するまで、誰一人ニコリともせず、声を掛ける間もなく、改めて舞台挨拶に戻ってくることもありません。
 Wikipediaの、歌舞伎の大向うについての記事

(Wikipediaの信憑性は一先ずおきます)
ここには
「原則として舞台が無音のときに掛ける」
とありますが、能において無音は、全員が息をツメた結果の間であって、そこでの掛け声や拍手はあり得ないことです。

 三島由紀夫は「芸術断想」で
『それはとりわけ「大原御幸」のやうな劇的な能の場合に言へることだが、一旦劇がはじまると、劇はいささかも渋滞することなく、ただそれに内在する劇的論理のみに従って流れる。(中略)能には少なくとも心理的な間といふものがない』
と書きました。
 そのような仕組みが、拍手に象徴されるような心理的肉体的な開放を、見所にも役者にも容易に許さないのです。

 これらは、もともと寺社に奉納する芸能であったことから来ているのだと、私には思われます。お客ではなく、神仏の方を向いているのです。それは見所にお尻を向けているのではなく、見所の後押しを受け、一体となって演技を捧げていたのではないでしょうか。

 以上のようなことから、本質的には能に拍手は、少なくとも演者に対しては必要ないと考えているのです。
 喝采するとしたら、それは演者にではなく、その向こう側にあるものに捧げられるべきなのでしょう。
 そして、現代に生きる私達は、その向こう側のものを見失いがちです。

続く予定。
(芸術断想の引用は、新潮社の三島由紀夫全集31巻47㌻)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?