見出し画像

喫茶店


最悪だ。

僕は今、立川駅の近くにある喫茶店にいる。

取引先の田崎さんと打ち合わせをする時はいつもこの喫茶店を利用する。
田崎さんから事故の影響で電車が遅れているらしく、もう少し時間が掛かりそうだから先に入って待っていてくれと連絡が来た。
それが最悪の始まりだ。


ヘビースモーカーの田崎さんの為、
喫煙席で唯一空いていたテーブル席を確保して一安心したのも束の間、
僕の座ったテーブル席の右隣には、

3年前に別れた元カノの父親が座っていた。


嘘だろ、おい!
人違いであれ!と思い、
3回横目で確認したが、
はい、間違いないです。
3年前に別れた彼女のお父様です。

ガキ使のききシリーズ風に言えば、
わたしの隣に座ってるのはぁ〜
3年前に別れた元カノのお父様です!!
‥‥‥‥ピンポンピンポーン!
大正解だ。

芸人としては罰ゲームを逃がしてしまい絵的には美味しくないのかも知れない。
元カレとしては絶対的に美味しくない絵だ。


どうしよう。席を変えるか。

いやでも田崎さんは超が付くほどのヘビースモーカーだ。残念ながら喫煙席は全て埋まっている。
田崎さんは基本的にすごく優しいが、ニコチンが切れると酔っ払った早乙女太一並みに手が付けられない。

クソ、酔っ払った早乙女太一なんかと仕事の話なんて無理だ。しかも田崎さんの会社は超太客だ。
田崎さんは優しいからよっぽどの事が無ければ怒ったりしないが、万が一、僕が犯した失礼で取引に問題が生じれば僕の首は簡単に飛ぶ。
でもこのまま隣に元カノのお父さんが座ってる状況も絶対嫌だ。万事休すか。


『おや?久しぶりだね』

『えっ‥‥?』


話しかけられたあーーー。

最悪に最悪が塗り重なったあーーー。


『私だよ、私。中村だよ』

『あっ!!?ご無沙汰しております、おとう、、
中村さん!!』


僕はさも今気付きましたよという演技をして、
席から立ち上がりお父さんにお辞儀した。

『はっはっは、やめてくれよ仰々しい。
 今日は仕事かい?』

『そ、そうです。今からここで打ち合わせがありまして、、』

『そうかそうか、それじゃあお邪魔してはいけないなあ』

『いえいえ!お気を遣わず!こちらこそ申し訳ありません、お休みのところ』


そうかい?とお父さんが答えた。

あーーくそ、速攻でバレた。


でもある意味、良い機会なのかも知れない。

3年前に別れた元カノとは家族ぐるみの付き合いだった。元カノは実家暮らしで、僕は何度もその家に遊びに行き、何度もご飯をご馳走になり、何度も泊まらせてもらった。さらには家族旅行にまで連れて行ってもらうほどだった。

ご両親は僕に対してすごく優しく接してくれた。うちには娘しかいないから、息子が出来た気がして嬉しいと。


しかし、色々な要因があって僕たちは別れた。
僕が彼女を振ったのだ。

沢山お世話になったご両親に対し、感謝と謝罪が出来なかった事は3年間僕の心残りになっていたのも確かだ。

『あの、中村さん、、』

『ん?』

『その節は本当に申し訳ありませんでした!
中村さんと奥様には大変お世話になったのに、恩を仇で返す形になってしまって、、』


ほんの束の間、沈黙の時間が流れたが、
元カノのお父さんは大きく口を開いた。


『はっはっは、いいんだいいんだ!
男女の事だ。君が我々に対してそこまで気を揉む事じゃないんだよ。こちらこそ君に気を遣わせたんじゃいかと心配してたんだ。
ありがとうね、しっかり伝えてくれて。』


あまりにも優しく話してくれるので不意に涙が出そうになる。

最悪が最悪に塗り重なっただとか、速攻バレたとか考えていた数分前の自分をぶん殴りたい。



『ところで君の仕事は、相変わらず電子機器メーカーなのかい?』お父さんが僕に尋ねる

『あ、グスッ、、はいそうです。』

涙必死に堪えながら答えた。

確かお父さんは八王子にある味噌メーカーの重役だったはずだ。


『中村さんは、味噌メーカーでお勤めでしたよね。今日はお休みですか?』

『ああ、あそこは、半年前に解雇されたよ』


最悪だ。
最悪じゃねーかこんちきしょう。
おれの馬鹿野郎。

『あ、あぁ、それは大変でしたね、、』

『なあに、こんなご時世だからしょうがないさ、娘が男に捨てられて悲しむ顔を見るより100倍マシだよ!はっはっは』

『えっ、、、?』

あれ?聞き間違いかな?
聞き間違い、だよね?ん?あ、冗談かな?

『えーっと、、そしたら、今は何を?』

『今かい?今は家内とUberEatsの配達をしているよ』


あれ?駄目だ、聞き間違いとしか思えない内容が続いてるぞ。家内とUberEatsの配達?
それともやっぱり冗談なのかな?はて


『う、、Uber Eatsですか、、?』


『ああ、そうだよ。君は使ったことないかい?
あれが50も過ぎた体には中々大変でね。先週、どしゃ降りの日があったろ。あの時も吉野家の配達が入ってね、届けに行ったら高校生4人の注文で、私が受け渡すと『うわ、おっさんびちょびちょじゃん!ウケるw』って言われて写真だか動画だかわからんが、スマホで撮られたよ。家内なんかマックの注文でスマイル5個頼まれて、若いカップルに指を差されながら爆笑されたらしい』


『そ、それは、、酷い話ですね』


『なあに、まだ家のローンも残ってるしね!私も家内もこんなことじゃ凹たれんし、3年前の娘の悲しむ顔と比べたら屁でもないよ!はっはっはっはっは』


あ、全然許してねーわ。全然憎まれてるわ。
どうしよ、これ。
田崎さーーん、
早く来てぇーーーー。
もうどんな空気でも今より絶対マシだから、
早く来てくれーーーーー。




『あの、いや、、その、本当に、申し訳ありませんでした』

『んんー?何がだい?先程も言ったが、君が謝る事なんて何一つないんだよぉーー?ははっ』


乾いた笑みをこぼしたお父さんの目は、
全然笑っていなかった。

この顔はあれだ、ここで会ったが百年目の顔だ。
おれ、ここで殺されんのかも。
殺されるくらいなら田崎さんなんか無視して帰ろうかな。仕事なんてどうでもいい。
もう無理。帰りたい。



先程とは違う種類の涙が溢れそうになった時、
不意に喫茶店に大声が響いた。


『すいませーん!大変お待たせしちゃって!!』


30代前半くらいの恰幅が良く、爽やかなスポーツマン然りのような男性が僕の席の前に現れる。


『あ、、田崎さぁ〜ーん』

思わず情けない声が出た。

これ以上無いくらいのタイミングで現れた、
神様仏様田崎様。
田崎さん、田崎さーーーん!!
田崎たん、田崎しゃん!
と子犬のように田崎さんに抱きつきたい。


『いやー、すいません本当に。電車が思ってたよりすんごい遅れちゃって、、
あの?こちらの方はお知り合いですか?』

田崎さんがお父さんに視線を向け、僕に尋ねる。

『え、ええ、、以前プライベートでお世話になった中村さ、』


『彼が3年前こっぴどく捨てた女の父です!!』

『へ?』 田崎さんが間の抜けた声を出す。

このクソじじい!!
完全に俺を殺しにきやがった!!
田崎さん、訳わかんなくてポカンじゃねーか!!


『いや、あの、違うんですよ、田崎さん、、この方はですねぇ、、』

『何が違うんだ?何も違うことは無いじゃないか?君は私の娘を捨て、我々家族の好意を踏みにじり、傷付けたんじゃないのか?ぅんん?先程の謝罪は、その謝罪だろぉ?』


もういい。こいつ一発ぶん殴ろう。

そう思った矢先、またも喫茶店に大声が響く。


『ちょっと待てぇぇえい!!!』

ここで予期せぬ乱入者が現れた。
それは僕の隣の隣、つまりお父さんの右隣に座っていた、クタクタの野球帽を被りずっと競馬新聞を読んでいた、年齢の割に精悍さが残っている印象の、この喫茶店の常連っぽい60代くらいの男性だった。
あ、前歯が1本無い。


『悪いが話は勝手に聞かせてもらった。
なあ、お父さんよぉ、おれはそこの兄ちゃんの事はこの喫茶店に入ってきた数十分しか知らねえ。でもよ、すげー誠実に、真面目に、あんたに話してた事はわかるぜ。だからそんな卑屈にならねーで、兄ちゃんの事、許してやれよ』


前歯が1本無いおじさん、、

『そ、そうです!僕は彼の仕事の時しか知りませんが、とても誠実な仕事をする方です。うちの会社ではとても評判良いんです。そんなやたらめったらに好意を踏みにじるような人じゃない!』

た、田崎しゃーーん、、


駄目だ。また泣きそうだ。
まさかこんな短時間で3回も泣きそうになるなんて。なんなんだこの喫茶店は。
コーヒーになんか入ってるのか。


『えーい!うるせえうるせえぇぇ!!!』


それまで黙っていたお父さんが、
突如として口火を切った。


『お前らに、お前らなんかに俺の気持ちがわかってたまるかっ!俺はな、大学を出てからずっと同じ味噌メーカーで働いてきたんだ!一生懸命働いて、結婚して、子供が産まれて、やっと自分の家を建てたんだ!それから十数年後、娘がこいつを家に連れてきた。最初は歓迎してやったさ、優しく受け入れたさ、でもな、こいつは、こいつは、、、俺が建てた家の風呂で、俺の娘とイチャコキやがったんだ!何回も何回も!それだけなら百歩譲ってまだいいさ、でもな、娘とこいつがイチャついた次の日、必ず、必ず俺が風呂に入るとなぁ、こいつの、こいつの、、
こいつの白濁がっ、、、チキショーー!!!
それから俺は風呂に入る度にこいつの顔が浮かびやがるんだ!!しかも娘はコイツに捨てられた、半年前に22から勤めた会社は不景気であっという間に倒産、今じゃ夫婦揃ってUberEatsの配達員だ。汗だくになりながら日銭稼ぎだよ。そんな汗だくの身体を洗い流そうと風呂に入ってもこいつの顔が浮かんで来やがる。そんな俺の気持ちがお前らにわかんのか?!!!
こんちくしょーがぁあ!!』


僕たち3人は呆気に取られた。
開いた口が塞がらないという言葉を初めて体感している。


『いや、あの、お父さん、、それはですね、』

『うるせぇぇ!!言い訳なんか聞きたくないし、
次、お父さんと言ったら殺すぅ!!』


こ、こぇーー。


『‥‥兄ちゃん、謝んな』

お、おい、前歯が1本無いおっさん


『僕も謝った方が良いと思います。』

おいぃーー、田崎ぃーー。


『ちょ、ちょっと待って下さいって!!
確かに、他所様のお宅のお風呂で不貞を働き、不十分な処理をしたのは申し訳ないと思ってます。でもそれは、そちらの娘さんがですね、、』

『貴様ぁぁ!!娘を愚弄する気かぁ!!
殺っす!!!』

『ち、違います!それにですよ、別れた原因も娘さんが僕に嘘付いてキャバクラで働いてたんですよ!!夜間の専門学校行ってるって僕に嘘付いてから別れたんです!!』

『キャバクラで働いて何が悪い?』


え、えぇーーー

『キャバクラで働いていたのは、君との将来の為に少しでもお金を蓄えようとした娘の献身的な愛だろう。大体それを黙っていたのも、君を心配させまいとする娘の優しさじゃないか。それをなんだ貴様はぁ!!』


くそ、無茶苦茶だこの親バカ。
誰か、誰か助けてくれ。


『うん、そうだな。これは兄ちゃんが悪い。』

て、てめー!!歯抜けじじい!!!


『そうですね。今時キャバクラで働いてたから振るなんて、器が小さすぎます。』 

田崎ぃぃーてめーもかこの野郎!!!


『貴様、土下座しろ、土下座』
『そうだな、謝ったほうがいい』
『うん、早く謝った方が良いですよ。
あ、タバコ吸ってもいいですか?』

さあ謝れ。ほれ謝れ。さっさと謝れ。










次の日、
会社を辞めて温泉で最悪を洗い流した。