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令和5年に向けて

2022年。

気づいたら年末年始も一瞬で終わり、2022年を迎えました。

前回書いたのが平成から令和になったタイミング。約3年ほど前になるみたい。令和に変わる瞬間を友人みんなで集まって祝ったことも思い出した(エモかったな。。)そんな記事は公開はしていない非公開投稿ですが(これを機に公開しようかな。。笑)

2021年は自分の中でも大きな変化のある年だったので、しっかり振り返りをしたいと思い、PCをカタカタし始めました。
(書き始め1月4日。遅 → 見直し1月6日。遅遅 → 公開1月12日。遅遅遅)

3ヶ月に1エピソードくらいの振り返り&備忘録的なやつなので、ほんと時間があったら読んでみてください。超大作になるかもです(質ではなく量的な意味で笑)


0.その前に、、、2020年のお話

2020年の2月からCS(カスタマーサポート・カスタマーサクセス)の立ち上げを行っていましたが、なかなか成果が出ず、正直に話すと同年の9月には年内で退職したいと社長に告げていました。

正直このときの気持としては、RA(法人営業)、CA(キャリアアドバイザー)としても微妙な成果、そしてチャレンジさせてもらったCSですら、しっかりとした成果が出せず、自信を喪失していました。お金を生み出す生産者としての素質がない、僕は仕事が出来ないタイプの人かもしれない。。。と

当時は、そろそろコロナが落ち着くだろうと考え、学生時代から好きだった接客業のバイト求人を見て「カフェ店員になる!」と友人に伝えたりするくらいに何かへ挑戦することへの自信はなくなっていました。(CSを立ち上げる当初、ここでも成果が出せなかったら仕事を頑張るのを辞めようか迷っていた背景もあり、、)

そんな中、紆余曲折あり、2021年の3月まで会社に残ることになりました。そして有りがたいことに年明けには希望していた採用人事での内定もいただき、同年の4月から別の会社で働くことが決まってもいました。(実績ではなく、僕の人となりと自分の夢・目標に期待してくれて本当に嬉しかった)

1.成果と向き合う

4月から働く新しい会社も決まったので、
3月までは今まで育ててもらった会社に恩返ししよう。
そんな意気込みで1月からは働いていました。がむしゃらでした。

ことあるごとにRAやマーケのメンバーにも色々と口を出し、ましてや、違う事業部でもあった人材紹介事業部のCAにも色々と言った。その時の口癖は「こうした方が会社の為になると思います」だったと思う。ぶっちゃけ他の社員から見たらかなり生意気な発言も多かったのでは?と今でも思います笑

辞めることが決まって、社員からの見られ方を気にしなくなっていました。その結果、生意気な発言が多かったものの、会社の利益を目的にひたすら行動していたので、後々、意外にも評価されたのは嬉しかった。社長のよく言っていた、コトに向かうを体現出来た瞬間だったかもしれない。

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※まだ3ヶ月経ったばかりだが既に懐かしく感じる前職のバリュー。毎朝このバリューを体現した人をCrewが推薦し、月次で表彰していたが、めちゃめちゃいい文化だと思う。現職でもやりたい

各所に口出しばかりをしている中、元々僕がやる予定はなかったが、学生との面談もするようになりました。(CSとして成果を出すためにはこれが肝だと思い、周りのキャパ的な心配を押し切って進めた)

毎週のようにクライアント企業と定例MTGを行い、毎日のように学生と面談を重ねた。自分の担当した学生が行きたいと言っていた企業から内定が出た時、クライアントが一緒に働きたいと言ってくれていた学生から内定承諾をもらえた時。電話口で涙するくらいに一緒に喜んだ。今思い出しても涙ぐむ。(そんな彼ら彼女らは今年の4月からみんな社会人か。。感慨深い)

かなり結果が出た1社は20個以上の内定と7名の承諾を出せた。採用単価を大手企業並みまで下げられたのは嬉しかったなぁ(僕の在籍当時の一番の太客にもなりました)また、僕が退職までに対応した全クライアントからの売上が、前年度の3分の1くらいになったのは達成感に溢れた(RAではなかったので、正確にはRAの売上成果)でも正直これが今の自信にも繋がっています。

ただ逆に結果をまったく出せなかった企業もあった。イベント参加者にひたすら架電して、クライアントの説明会へ案内。興味付が難しく、時には説明会も飛ばれ、クライアントからクレームも受けた。イベントで会った学生のみで母数が増やせない、そんなパイ中から結果を出すことの難しさも感じた時だった。今でも人事の顔を思い出すと、期待に答えられなかった申し訳無さでいっぱいだ(最後、担当者は僕のことを嫌っている雰囲気で満々だったので、多分このNoteは見ないだろう。。何か返せる機会があったらいいな)そんな酸いも甘いも経験させてもらった1年ちょっとだった。

注釈:当時CSの目標はイベント出展した企業の来期での継続率でした。(人材業界のモデル上、継続前提のSaaSモデルではなかったので、毎年クライアントの検討時期にRAからの営業が必要でした)なので成果(内定承諾)を出すために、イベント出展後のフォローがメイン。接点数、歩留まりを上げていく為に架電から面談、面接対策まで出来ることを何でもやってました。

2.残る決断

4月から新しい会社に行く予定でしたが、会社の状況、自分のやりたいことを見つめ直し、8月の会社の期末まで残ることにしました。

僕の人事になりたい想いとして「人がイキイキ・ワクワクと、愚痴なく働ける組織を作れるようになりたい」とも考えていて、当時この会社の状況を見渡すと、沢山出来ることがある、いろんな部署と関わる事ができる僕だからこそ尚更だ。と感じ、期末まで残る決断をしました(おこがましいですが)

残る覚悟を決めて、当時の内定先には延長の交渉ではなく、辞退したいと連絡しました。理由は約9ヶ月も待たせるのは自分のエゴ、担当者への甘えだと思い、自身の覚悟を持つ、退路を断つ目的でもあります。(実はその前にも1回延期をお願いしたふしもあり、2回も延期のお願いするのは違うと思ったこともあります。)

当時お世話になった役員には申し訳ない気持ちが強かったですが、辞退した旨を伝えたところ、応援してくれました。これが頑張るモチベーションにもなりました。ほんと転職を考えたタイミングからお世話になりっぱなし。。いつか別の形で返したいと思います。

3.自分の現在地を知る

そんなこんなで3月から6月まで出来ることを精一杯しました。4月にはCSの仲間も新たに増え、僕も更に自分の事業部の仕事に集中出来るようになりました。(この時は1月から蒔き続けた種が芽を出した、先程書いたような成果が出始めたタイミングでもありました)

毎日がとても充実していて、辞めなくて、諦めなくてよかったな。と思っていました。(全社会議で詰められすぎて病みそうな時期もありましたが今では笑い話です。笑)

そんな中、もっと自分の業務の幅を、キャパを広げていきたいと思い、7月から現職での仕事を業務委託として手伝い、更には8月末から知人のスタートアップの立ち上げの支援などまで行うことになりました。

あれから約半年経っての感想は、
「自分は理想に対してまだまだだ。」と。。。

本業:プラスαの業務が全く出来ていない。。。
現職:全然仕事を巻き取れず、報酬以上の仕事が出来ない。。
支援先:コネクションを使った支援だけで業務的な支援が出来ない。

経験してみて難しかったのは課題がバラバラ過ぎて、それぞれ考えて取り組むと、異様な疲労でした。使ったことのない筋肉を初めて動かしてる感じのやつ。今まで24時を跨ぐくらいに働けていた(小声)のにも関わらず、疲れて20時には寝落ちしたりする日も珍しくは有りませんでした。。

この時から夜には遊ぶ予定を減らし、ひたすら時間を作る意識を作りました。それでも足りず休みの日にも作業してたりでしたが、もっとすごい人達は平日だけでもこの仕事の量をこなせるんだろうなーと落ち込みつつも、「赤ちゃんが生まれたばかりから、立て歩けるはずがない!」と謎の思い込みで頑張りました笑(やる気入れ直したタイミングでコロナになったのはつらつらでした。。)

コロナから復帰し前職の引き継ぎを終え、有給消化は一泊だけ旅行に行く以外、ほとんど現職と支援先の仕事に時間を使い、気づけば10月が始まりました。

最終出社日に素敵なコートと鞄をいただきました。(地方に住むメンバーはオンラインでも祝ってくれ嬉しみでした)お気に入り過ぎて鞄はヘビロテし、コートは沖縄の帰省にも持ってきました。(多分気温的に使う機会は羽田→家のタイミングのみですが笑)

4.転職から年末まで

いざ、10月。最初は研修の日々で、長時間の講義が苦手だった棚原は、研修中に寝落ちしてしまい、同じ月に入社した先輩にはスクリーンセーバーと呼ばれるようになりました笑(よろしくないけど懐かしい、、、)

10月の苦戦したことは情報を集めることです。
研修以外の時間は基本放置で、かなり時間を持て余し、会社の文化だなーと感じつつ、会社のドライブ漁ったり、当時は中途エンジニア採用にも関わりそうな雰囲気だったのでエンジニア採用に関しての勉強をしていました。(今は新卒のエンジニア採用で関わっているのでもっと勉強しなくては汗)

未経験のポジションへの転職だと(たぶん)研修の合間に、正直何をしていいか分からない時間等もありました。今後、そのような中途で入社するメンバーなどにはtipsなどを渡して効率的に時間を使ってもらえるような形を整えたいな。。ウチの特殊な完全自律型制度が影響している気もしますが。(プレスは少し古い内容です)

そんな研修ばかりの二週間を過ごした頃に役員から「今年の新卒は横の交流がないので交流会をやることにしました。交流する会社は社長と会食し、決まっているので日程調整から企画をお願いします」「新卒採用がホントに成功しているか?分析したいですね。調査お願いします」と無茶ぶりが飛んできて、、、研修と並行して進めていた僕のスケジュールは10月末から11月の頭までパツパツでした。今となってはいい経験。笑(そんなことを思っていたら、また今月も急な依頼が飛んできました。成長痛だと思って頑張りたいと思います。笑)

11月の2周目からは現場社員との1on1(組織開発の文脈で)と人事としてのエージェントさんとの商談、また学生との面談がスタートし、雑務も含めるとこれまたパツパツ(忙しぶってるうちはまだまだなぁ笑)
そんなこんなで12月は業務時間に余裕がない日々が続きました。

また現場社員との1on1を通じて、「この会社は組織開発のやりがいのある会社だ、、」と、強く感じました(思っていたよりも整っていなかった笑)
そんなこんなで、どうやったらもっと良い組織になるか?色んな施策を考え、新卒採用イベントに出たり、新しい業務を教えてもらったりとしていると12月も終わってしまいました。(師走と言わんばかりに、、、)

もう3ヶ月経過したのか、、、あっという間すぎる。充実しているものの、不安も感じる(密度薄い時間になっていないか?)3ヶ月でした。

5.2021年の忘れ物。令和4年目は、、、

上記でつらつらと思い出したことを書きましたが、2021年の反省点としては振り返りが甘かったなーと思っています(年末に転職をすると前職でのアウトプットがほとんど見れなくなるので、忘れてることばかりな気もする)

やっぱり成長って、思考して、実践して、振り返って、新しいチャレンジをして、、、そんな繰り返しの中であるのかなと思ってます。学生にも伝えてますが、そんな私がふわっと振り返りをしてしまったのはもったいなかったなーと思います(特大ブーメランとはこのことだ←)
頭の中では定期的にやっていましたが、何かしらアウトプットしないと形にならない、定着しづらい。と、強く実感しました。

この2022年は昨年よりも、初めてのことばかりに触れる年だと思うので、だからこそ、人事2年目としての仕事がちゃんとこなせるような、そんな土台を固められるような年にしたい。人の心の声を引き出し、組織課題を解決できるプロになるためにも。


長かったので、要するに笑

2021年を迎えるタイミングは人生を諦めかけてて、たまたま逃げられない状況になり、次も決まったので恩返しの気持ちで、粘り強く仕事に取り組むと成果に繋がりました。成果を出していく中での葛藤もありましたが、自分の決めたことをやり切り、そしてやりたいことが更に学べそうな環境に転職。入ってみると学ぶ環境ではなく実践をしなくてはいけない環境でしたが、百聞は一見に如かずとも言うように、僕のキャリアにとっても、とてもいい選択をしたかと思ってます。手当たり次第にやるのではなく、自分の限界を見極め、選択と集中を意識する。そして、振り返りの形をしっかり残します。そんな令和4年になる今年のテーマは「時間の密度をどれだけ濃ゆく出来るか?」です。

時間の長さは変えられない、変えられるのは密度だけ

僕の座右の銘になっている前職の社長の口癖です。
素敵な言葉との出会いをありがとうございました。

今年はもっともっと工夫して頑張るぞ〜。

久々にNoteを書いてみての感想

定期的にアウトプットしないとえげつない量になるなーと思いましたw
約5700文字という大学のレポートでもほとんど書いたことない量😂
(しっかり序盤のフラグ回収しました笑)
2022年は月イチくらいで日記はつけようと思います。

あと、以前に書いた2つの記事を読んでみて当時の感情や考えていた事を思い出せたので、しっかり形に残すのはいいなーと思いました。(自分の拙い文章でも自己肯定感上がったなと笑)

長文に付き合っていただきありがとうございました!
ではまた。来月?(投稿するかは未定ですがやります笑)

たな

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