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夢の礫。

私が西野亮廣の為にやるべき事は併走ではなく、
「もう充分だよ、止まりなよ」って
無理矢理にでも止めるべきだったのかもと
今となっては思う。

ただ、"プペルは人生を賭けた大勝負"
とわかり過ぎていただけに、
やったるぞ!の士気を下げてしまう気がして、
「もういいよ、休みなよ」って言葉を
どうしても私の口からは言えなかった。

『作品も作った事がないお前に何がわかるんだ』
『俺の人生なんだから気の済むまでやらせてよ』
って思うだろうなと。だって、死ぬ気で作った、
魂込めて作った作品がプペルだったから。

西野さん、ごめん。本当にごめんなさい。

アレコレと騒動が起きる前の1月26日に書いた
タムココサロンの記事をブログ化↓↓↓

何故、私が地方プペル行脚をするか?の話。

私が映画館に行く事で動員を1人でも2人でも
増やせるなら増やしたいって想いは勿論の事、
西野亮廣を"孤独"にさせたくないの気持ちも。

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毎日、映画の宣伝になるような記事を書いて、
YouTubeで話して、クラファンのリターンして、
映画館を巡って、エゴサーチして、分析して、
新たな戦略を練って。コレら全て、映画の為。

そして、ソレらは間違いなく、
西野亮廣にしかできないんだけど、
だからと言って、口先の「応援してる」だけで
めちゃくちゃ近くにいるスタッフが見てるだけ!
は半端なく、"孤独"を感じるだろうなと。

「結局、映画をヒットさせたいのは俺だけかよ」

身体の疲れ、精神的な疲れが出れば出る程、
"孤独"は堪える。虚しささえ感じると思う。
#経営者の人なら特にわかるんじゃないかな
#いくら自分の会社と言えども
#自分の為だけならこんなにもやれてないはずで
#背負っているモノや皆で見たい景色があるから
#身体に鞭を打ってひたすらに爆走している訳で

「私には西野亮廣みたいな事は出来ない」

コレも間違いない。ただ…
#出来ないから何もやらない
#出来ないけど何かやる では大きな差がある。

逆に言うと…不安や疲れを感じた時に
モチベーション、メンタルキープぐらいしか、
やってあげれる事はない。

「頑張って」「応援してる」も勿論、大事。
でも、ちょっと疲れたなって時に
"アイツも頑張ってるから"で頑張れたりする。

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部活やマラソン、受験勉強で、そういう瞬間を
経験した人も居るんじゃないかな。
心折れそうになった時、サボりかけた時、周りを
見渡したら、同じように頑張っている人がいて、
「もうちょっと自分も頑張ろう」みたいな。

そういう存在が同志であり、仲間だと思う。

自分がめちゃ元気で、やる気に満ち溢れてて、
イケイケな時、結果が出まくっている時は
他人がどうであれ、関係ねーよと突っ走れるけど
自分が弱ってる時、心が折れそうな時に
周り見渡して、後ろ振り返ったら、
そこに誰も居ない…はしんど過ぎる。

後ろを振り返る時は来ないかもしれないけど
もし、振り返った時には涼やかに
満面の笑みでベッタリ後ろをキープしてたい。
#現実はゼエゼエでヒイヒイの可能性大
#振り返るともっと死にかけの奴が居るパターン
#ヤベェ奴が真後ろに居る恐怖心からスピードUP

コレは仕事仲間だけじゃなくて、
友達や夫婦、親子でも当てはまると思う。
勝負する時に「やって来い」と背中を押し、
さらに併走してくれる相手が居る人は強い。

あとは、単純に、二度と戻らない時間の共有。

これからも続く長い人生の中で
大勝負を、2020年の年末を、
2021年の年明けを思い出す瞬間は必ず、ある。

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その時に、もし、仮に私がそばに居なくても、
「一緒に走ってくれたよな、アイツ」と
漏れなく思い出される存在でいたい。

忘れられない人、つまりは、記憶に残る人。
"足跡、爪痕を残す"ってそういう事だと思う。

■西野亮廣エンタメ研究所

■タムココサロン






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