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日本学術会議 任命拒否 10・8質問の解説その②

答弁の逃げ道を塞ぐ

前日、10月7日の衆議院での政府答弁にどう斬り込むかーーこれが私の質問作成の詰めとなりました。

肝となるのは憲法15条1項。
ーー日本学術会議の会員は特別職国家公務員であり、内閣総理大臣が任命権者。それは憲法15条1項を前提としている。
つまり「形式的任命だが、推薦のとおりに任命しなければならないというわけではない。総理に憲法15条に立脚した裁量権がある」という意味です。

「その1」で紹介した通り、83年の丹波総理府長官「推薦していただいた者は拒否はしない」という答弁があり、かつ当時15条1項に関する答弁は存在しないーー本来、これだけで十分な反論であり、上記の答弁は通用しません。
それでも憲法15条を持ち出して逃げることが予想されました。どうすれば逃げ道を封じることができるか。

ここに一石を投じたのは、内閣法制局でした。
7日夕刻、質問通告。質問の内容を大まかに伝えるのですが、答弁を探る場でもあります。
「形式的任命だが同時に総理に裁量がある、これはどう考えても矛盾しますよね。私は理解できないのだけど」

率直に疑問を投げかけると、法制局が「そういう答弁が過去にある」と言ったのです。
驚きました。「本当にあるの?」「確かあったと思います」「思いますではダメだ。あると言ったんだから、必ず文書で示してほしい」

この文書が吉と出るか凶と出るかーー提出されたのが、1969年7月24日衆議院文教委員会の会議録2ページ分でした。

国立大学特別措置法の審議。東大安田講堂立てこもり事件が1969年1月。国立大学が異常な状況になっているもとでの特別措置法の審議です。

大学の選考によって決定した学長を文部大臣が任命拒否することが法律上ありうるかという議論が、ギチギチと展開される。そのなかで、高辻法制局長官が憲法15条1項を指摘したうえで、次のように答弁しています。

高辻法制局長官の答弁
「単に、申出のありました者が気に食わないというようなことではなくて、そういうことで任命しないのは無論違法であると思いますが、そうではなくて、申出があった者を任命することが、明らかに法の定める大学の目的に照らして不適当と認められる、任命権の終局的帰属者である国民、ひいては国会に対して責任をはたすゆえんではないと認められる場合には、文部大臣が申出のあった者を任命しないことも理論上の問題としてできないわけではない」
1969年7月24日衆議院文教委員会 会議録6ページ

国立大学が一部の学生の暴力的な占拠によって、講義も入試も不可能となる異常事態を念頭においてもなお、文部大臣による任命拒否は、具体的には可とする答弁はできない。任命したら国民が罷免を求めるような「明らかに不適当と認められる場合」のみ、理論上は任命拒否できる、という答弁。
質問者は、具体的にどういう場合かと何度も迫る、しかし法制局長官は現実にはまずあり得ないと答弁するーーこういう質疑が繰り返されていました。

これしか、形式的任命と任命権者としての裁量を両立させる考え方を示すことができないーーこれは決定的でした。

そもそも、法律が違う、しかも異常事態で特別措置法が必要という状況での答弁。これを日本学術会議の法に則った推薦と任命に当てはめることは無理筋です。「根拠」とさえ言えません。
しかし、政府があえて持ち出した考え方は、逆に菅総理を追い詰める文書となりました。

明らかに不適当な人物を学術会議が推薦したということか、6人は任命したら国民が罷免を求めるような人物なのか。
憲法15条1項は、総理の任命権の条文ではありません。
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」ーー国民主権の条文です。
ならば国民、国会の求めによって、任命しなかった理由を示さなければなりません。

憲法15条を持ち出せば持ち出すほど、菅総理が窮地に追いやられることとなったのです。
高辻法制局長官の答弁は、自力ではたどり着けないものでした。法制局の職員が国家公務員として本来の職務を果たしたことに、心から素直に感謝します。

余録
衆議院の審議を踏まえるーー法案審議でも衆議院の速記録を熟読して質問を作っています。
衆議院は、政府がどう答弁するか、その場で臨機応変な切り結びが求められて、質問者の緊張は私以上だと思います。

政府の答弁がおおよそ見当がつくなかで、同じ議論ではなく発展させた議論にするーーここに参議院の質問の醍醐味を感じています。
そして二院制の大切さも実感します。