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【DEEONEインタビュー】酒とラップに溺れる日々が作り出した、魂のアルバム

Salmon Sperm Sparxのラッパーとして阿佐ヶ谷を中心にライブ活動を展開してきたMC DEEONEが、インストバンドKAWAI JAZZ、シンガーのTamuraryoらとともに新たなプロジェクトを立ち上げた。その名も「TDKJ」。2020年より楽曲制作を開始し、2022年3月23日にフルアルバム「TDKJ」を発売した(配信リンク)。日本では珍しい生音ヒップホップの傑作アルバムは、一体どのように作られたのか?その舞台裏に迫る......(Interviewer: SABU)


記事中の人物
■DEEONE(MC...TDKJの”D”)
1985年、東京都生まれ。中学時代にHIP HOPの世界に目覚める。23歳からフリースタイルを始め、2013年からTamuraryoも参加するオルタナミクスチャーバンド「Salmon Sperm Sparx」のラッパーとして阿佐ヶ谷を中心にライブ活動を展開。2016年にアルバム「Salmon Sperm Sparx」をリリース。2020年、ラッパー・GUIOのアルバム「Guipiece」の収録曲「Omoide」に客演。instagram
■KAWAI JAZZ(楽器演奏...TDKJの”KJ”)instagram
東京・吉祥寺を拠点とするミニマルハードコアソウルトリオ。カワイもいないしジャズじゃない。スローガンは「渋ビート」。これまでに5枚のスタジオアルバムをリリース。2022年4月27日にアルバム「METABOLISM」をリリース。
■Tamuraryo(歌...TDKJの”T”)
アメリカ(コネチカット州)出身のシンガーソングライター。2019年に初のソロアルバムをリリース。現在、ソロ、バンド両方でアーティスト活動を展開する。Twitter

酔いどれラッパーDEEONEの誕生

ーーこんにちは、今日はお時間頂きありがとうございます。インタビュアーのSABUです。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

ーーでは早速ですが、今回のアルバムリリースの話を伺う前に、まずDEEONEさん自身について色々聞かせてください。今年でラップ歴が13年になるそうですが、そもそもどのような経緯で音楽活動を始めるようになったのでしょうか?

音楽への入り口は、父がドライブで掛ける音楽でした。子どものころ、休みの日に父とドライブに行くってなると車の中でマライア・キャリーだったりグローヴァー・ワシントン・ジュニアだったり......とにかく良い感じの洋楽がずっと流れてて。それで音楽が好きになりました。日本人だと久保田利伸やglobeが好きでしたね。

ーー洋楽も邦楽も聴いてたんですね。

はい。それで、中学生の時にDragon Ashの「Let yourself go, let myself go」という曲をカウントダウンTVで聴いて、ハマっちゃって。学校帰りはよくタワレコやTSUTAYAに寄って、CDをレンタルしてました。家でひたすら音楽を聴き漁る毎日でしたね。

日本のHIP HOPは何でも聴いてましたけど、特にBUDDHA BRANDやDOBERMAN INCといった、割と海外っぽい雰囲気の作品がツボでした。

ーーなるほど。好きな音楽の幅が凄いですね......ラップをやろうと思ったきっかけは何だったんですか?

最初は「自分で音楽をやろう!」なんてことは全く思ってなかったんです。だけど中学・高校と同級生だった友達がライブでラップをやってて、そのうち無理やりフリースタイルセッションを仲間内でやらされるようになりました。「無理に決まってんじゃん、才能ねぇし」みたいに思い込んでいたんだけど、20歳過ぎて、酒を飲みながらやってみたら「あれ、めちゃめちゃ調子いいじゃん!」ってことに気づいて。できちゃったんです。そこから酒とラップに溺れる日々が始まりました(笑)。

ーーお酒とセットなんですか(笑)。影響を受けたラッパーとかはいますか?

鎮座ドープネスからの影響は大きいかも。ケータイで撮ったようなyoutubeの動画があるんだけど、それを観て衝撃を受けた。鎮座ドープネスが櫻井響っていうヒューマンビートボクサーと一緒にセッションしてる動画なんだけど、凄くかっこよくって。これまでのラップって、ケツだけで韻を踏むとか、カタカナみたいな響きばっかりだったりとか、そういうありきたりなものが多かったんだけど、彼のラップはリリックの内容というよりも、フローや聴き心地を重視してて、とにかく気持ちよくビートに乗っけていく、みたいな感じがあった。

だから自分もフロー重視のラップがやりたかった。で、それが酔っ払って真似してたらできるようになったんです。ポイントは泥酔して、自分に酔うってこと。「俺最高!音に乗る!」みたいな。酒の存在は大きかったですね(笑)。

ーーライブ活動はどのようにして始めたんですか?

きっかけは、職場で同い年の同僚に「ヤバイラッパーの友達が居るから!」って誘われたことでした。大学を2年で辞めて、19歳から原宿のスニーカー屋で働いていたんです。

名前はド忘れしたのですが、USのR&Bシンガーが来日した時のオープニングアクト(前座)でバイリンガルラップをやったっていうすげぇやつだったんです。

で、そこからいろんな友達を紹介してもらったんですよね。かなり気合の入ったDJとも知り合って、ビートを作ってもらったり、一緒に練習して、渋谷の「UNDERBAR」ってクラブで、ちょこちょこライブするようになったんです。「ライブ枠あるから出てみなよ」って誘ってもらって。23歳の時です。

ーー最初のライブはどうでしたか?

もうカチコチで散々でしたね(笑)。初めてだったし、結構緊張しいだったので、出演する前から遊びに行って、酔っ払って、曲がかかっていれば所構わずフリースタイルをする、みたいな感じで気分を盛り上げていったんです。でもいざクラブでマイクを握ってラップをしてみると、なんだかいつもと声の出方が違う。抑揚のバランスも悪い。息が続かない。観に来てくれた友達には「ダイちゃん、案外声量ないね」なんて言われてしまって。それが最初のライブでした。

ーー最初から上手くいったわけではないんですね。

はい。渋谷に「渋谷VUENOS」っていう大きめの箱があって、そこのサブステージに出る機会もあったんですけど、いざライブだってなるとガチガチの視野狭窄状態になって、もうライブ1週間前から緊張してましたね。

それでも月1〜2回くらいのペースで、25歳くらいまでやっていったんですよ。イベントに遊びに行くこと自体は凄い好きだったし、大好きな曲がかかったら酒飲みながらひたすら踊り倒して、金も使った。めちゃめちゃ疲れるんですけどね。

ーー好きなことだから続けられたんですね。

当時は楽曲制作はしていなくて、ひたすら泥酔して宅飲みの中で何時間もラップしていました。全然関係ない友だちとドライブしてても突然ラップ始めちゃうわけですよ。「お前うぜぇよ、いい加減にしてくれ、今ちげぇだろ!」って言われるくらい、ラップに前のめりな、HIPHOP信者でした。

でも、ある時から、一緒に遊んでいた仲間が私生活のトラブルでみんなの前から消えちゃったり、自分も腐ってたりして、なんだか周りとの人間関係が疎遠になっていくんですよ。自分はラップやりたいけど「これからどうすっかな〜?」みたいな感じで、これからの動き方について考え始めていました。

ーー将来について考え直す時期があったんですね。

Tamuraryoとの出会いとバンド活動:Salmon Sperm Sparx

そんな時、転機が訪れたんです。

一時期、スニーカー屋の仕事から離れて、派遣のバイトをしてたんですけど、職場で3歳年上の斉藤君っていう人と出会ったんです。初対面からめちゃめちゃ気の合いそうな感じで、バイブス近いなって思って。仕事終わりに「話が合うかな?」って思ってちょっとフリースタイルしてみたら「やべぇ、俺もやりたい!」みたいに言ってくれて。それから2人で遊ぶようになるんです。そうすると、斉藤君が「俺の友達がフォークソング作ってるんだけど、最近ヒップホップにもハマっててさ、今度連れてくるよ」って言ってくれて。そうして出会ったのが、Tamuraryoだったんです。初対面からかなり打ち解けて、その後、家が近かったから彼の家でセッションやって遊ぶようになりました。2012年くらいだったかな。

ーーこれからのことについてどうしようかと考えていたら、不思議と新たな出会いがあったわけですね。

そうそう。その繋がりからサックス吹くやつとか、ベース弾くやつも仲間になって、一緒にセッションするようになりました。音楽のジャンルはごちゃまぜで、ファンクっぽいのもあったり、バラードっぽいのもあったりして、自分はとにかく思いつくまま形にしてひたすらラップしていった。これが「Salmon Sperm Sparx」っていうバンドになるんです。

ーーサーモンスパームスパークス……って、どういう意味なんですか?

直訳すると、鮭・精子・爆発って意味です(笑)。みんなで「なんか爆発したかっこいい名前ないかな」って話をしてて。その時ふと、小さい頃大好きだったTBSの「どうぶつ奇想天外」の鮭の回を思い出したんです。鮭のオスって、繁殖するためにボロボロになりながら海から自分の故郷の川へと戻ってきて、真っ赤になって卵にウォーーーって叫ぶように射精しながら死んでいくんですよ(笑)。この瞬間が俺らに通ずるって事で「Salmon Sperm Sparx」という名前になりました。その名の通り、俺たちも弾け飛ぶようなライブを阿佐ヶ谷でやってて。2016年に同名のアルバムも出しました。ラップが俺で、ボーカル・ギターがTamura、キーボードとラップを斉藤君(バンド内では通称フェイキー)、サックスに若林、ドラムに田村宗一郎、そしてベースにマオ君(後にクリスに変わり、今はベータナ)の6人です。

ーーyoutubeで動画観ましたけど、物凄くエネルギッシュでしたね。

ライブでお客さんと絡むのがすげえ楽しいなって初めて思えて。今までライブで楽しい記憶がなかったけど、ここでやっとそういう経験ができたんですよ。ライブをさせてくれていたガムソーって箱も最高で。ノルマに追われるなんてこともなく「いいんだよ、君たちは楽しく演奏してくれれば」っていう感じで、本当に伸び伸びやらせてもらいました。「どんなジャンルの曲でもラップを乗せられるようになろう」って思って、俺もたくさん場数を踏んでレベルアップさせてもらって。それが俺のラップの下地になっていったように思います。俺にとってはここでのTamuraとの出会いが本当に大きかった。出会わなかったら「飲み会でしかラップやらないただのウザい人」で終わり、だったと思う。

ーーそれはちょっとウザいかもしれませんね(笑)。

そのうちみんなも結婚したり子どもができたりするようになって。世の中もコロナ渦になった。2019年のライブを最後に活動は止まってるけど、また続けていこうとは思っています。

新プロジェクト「TDKJ」へ


ーーでは、ようやく本題の今回のプロジェクト「TDKJ」について伺います。ソロ活動やバンド活動をされていたという事ですが、どういう経緯で今回のアルバムリリースに至ったのでしょう?

Tamuraがやろうよって声をかけてきてくれたのがキッカケです。2018年だったかな。彼がソロ名義のリリースイベントでKAWAI JAZZと演奏したんですけど、その時に「ダイちゃん、やっべートリオいるから、絶対一緒にやったほうがいいよ!」って言われてたんです。

ーー先にTamuraさんがKAWAI JAZZと知り合ったんですね。

はい。ちょっと時間が空いて、2年後の2020年の3月にようやく「おっしゃ、やろう!」ってなって、吉祥寺のスタジオに入ったんです。俺は仕事終わりだったからテンション上げなきゃ!って思って赤ワインのボトルを1本持っていって、飲みながら約2時間、楽しくセッションしました。

ーー初対面でそれぞれ違う音楽をやってきた人たち同士で、いきなりセッションがうまくいくものなんですか?

それがもう最初から「素晴らしい!」という印象でしたね。あっちも「やばいっすね」って認めてくれてて。KAWAI JAZZは独特なベースラインを弾く小松君に、マシーンのようなドラムを打つ鈴木君、そして哀愁漂う美しいメロディを奏でるギターの千葉君の3人なんだけど、「よっしゃ、これでやんのか!一発目からこれはやべぇな」みたいな感じで、とにかく楽しかった印象しかなかったです。

その後、Tamuraがすぐにスケジュールを組んで、いついつどこでレコーディングしてって、青写真を書いてくれて。2020年の5月にアルバムのベーシックを録ろうってことになって、何回かセッションしながら、こんな曲作りたいねって話をしていきました。

ーー進行役というか、スケジュールはTamuraさんが立てたんですね。レコーディングはどうでしたか?

新代田の近くにあるbig turtle STUDIOという雰囲気のいいスタジオで、藤城さんっていう凄い人格者のエンジニアさんと仕事しました。レコーディングでは、とりあえず録る曲全部弾いていってくれって言って、楽器を全部一発録りで録音しました。1曲目に至っては、作曲も含めその場での完全即興でしたね。

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ーーそんな事可能なんですか......?!

KAWAI JAZZくらいしか出来ないんじゃないですか?(笑)神業ですよね。4〜5時間やったんですけど、「疲れてもうできねぇ!」ってなるくらい、全力を出し切ってくれました。一応録音時はラップも乗せてセッションしたけど、ラップは後で録り直す前提でやりましたね。最終的にM5の後半以外全部入れ直しました。

ーー楽器を一発録りした後、ラップを入れたという事ですね。

そうですね。そこからデータをもらって僕がラップのセクションを作るぞってなって。でも結局そこに1年くらいかかっちゃったんですよ。「やべぇ、なんか良いの全然できねぇなぁ」って。ジャックダニエル買ってきて、一晩中KAWAI JAZZのビートを聴きつつ飲みながら、泥酔状態でどうにかこうにか書きました。全部で8曲あるんですけど、2曲できたらスタジオ入ってレコーディングして......っていうのを繰り返して進めていきました。

ーー出来たところから少しずつ進めていったと。

「本当にこれでいいのか」って何度も何度も悩んだけど、先月、先行リリースしたシングル「Between Mirror」でのみんなの反応を見てみて「あぁ、これでよかったんだ!」と安心しました。僕がラップやってるってこと自体知らなかった友達も多かったんですけど、SNSでは「凄く良かったよ」ってリアクションがいろんな人たちから届きました。

ーーそれは嬉しいですね!MVカッコよかったです。

当初はアルバム一本で行く予定だったんですけど、直前にTamuraが「リリース前に先行でシングルを出しておいたほうが良い宣伝になるんじゃないか」と、ハッと気づいてくれて。「だったらMVもあったほうがいいよね」ってなって、シングルのリリース2日前に急遽新宿で集まって、全部Tamuraが撮影してくれたんですよ。そこにはSalmon Sperm Sparxのフェイキーも出演してくれています。

ーー良いアイデアですね。Tamuraさんはカメラマンでもあるんですか?

それが実はカメラマンじゃないし、動画を撮影するのも初めてだって言うんですよ。撮影から編集まで全部ひとりでやってマジすげぇなって思いました。撮影の日、たしか17:00に新宿に集合して、撮影を終えて解散したのが20:00。「まぁ明日か明後日以降になるかな」って思っていたら、24:00くらいにスマホからピーンって音が鳴って、え!って思ったら、もう出来てたんです。作り方は知らなかったからyoutubeで適当にhow toを調べてそれを観ながらやったそうです。もう出る水ねぇよってくらい雑巾を絞るように、頭からアイデアをひねり出してくれたのが、あの「Between Mirror」のMVだったんです。彼の凄いところは、即調べる癖がついているところですね。

ーー思いついてから実行に移すまでが早いですね。

完全に信頼しきってるのでほぼ彼に丸投げみたいなところはあるんですけど、マジすげぇなって感じですね。自分はパフォーマンスやってるだけでフー!って一息つくくらいだけど、彼はこのビデオの流通だとか、外部とのやり取りとか、全部やってる。しかも僕の意見もよく聞いてくれて、一切喧嘩もしない。何か言うと「やりたいならとりあえずやってみよっか」って感じ。まず受け止めてくれる。キッチリ理屈で詰める部分もあるけど、ノリでいいじゃんって適当なところもあって。そこが彼の面白いところですね。

アルバム「TDKJ」:全曲解説

ーー色々なストーリーがあって出来たアルバムだったんですねぇ......しかしこのアルバム、捨て曲が全然ないというか、ホントに全曲良いですよね。私も車とかで普通に聴いてます。

ありがとうございます(笑)。照れますね。

ーーインタビューは本来ここで終わりなのですが、せっかくなのでアルバムの全曲解説をお願い出来たりしないでしょうか?

歌詞についてとかですかね?良いですよ!1曲ずつ解説しましょう!(以下全曲解説)

M1. Drunken Life

初っ端1曲目なので、まずはイントロ的な内容の歌詞にしようと思いました。20代から酒浸りの人生なので酒の話、KAWAI JAZZとの出会い、そしてビーサン(Salmon-でのTamuraryoの愛称)の立ち位置をテーマにラップしました。「酒がなければ存在しなかった」と言っても過言ではない自分の人生。酒まみれで這いつくばってでも、パーティでぶち上げよう的なノリです(笑)。今回のアルバムはこの曲から書き出しました。この曲は、トラックが出来た時点で「1曲目っぽいね」という話をしていましたね。

M2. Between Mirror

トピックは1曲目と同じ、酒にまつわる話です。イメージとしては1曲目で呑み始め、2曲目で泥酔している、といったような感じです。ちょっと早いかな(笑)。物語の「白雪姫」に「鏡よ鏡……」ってくだりがありますけど、この曲も「鏡」がひとつのモチーフで。「理想と現実の鏡と鏡の間で酔っ払って、フラフラと行ったり来たりしている」、そんな曲です。2月にシングルカットした曲でもあります。聴いてくれた友達に「サビの部分は何からサンプリングしたの?」って聞かれたんですが、「いや、これはTamuraのヴォーカルだよ」って話をしたら驚いていました(笑)。


M3. Be Yourself

曲自体がメロウで暖かい感じがするので、「明るめのトピックがいいかな」と思ったんですが、やはりちょっとダークな部分が......(笑)。この曲も結構お酒についてラップしてるんですが、飲んだ時というより、飲んだ次の日の昼間......という感じになってます。
このリリックを書いていたのは、コロナ渦で仕事がストップして、家で自粛生活をしていた時でした。twitterではコロナ渦を巡って、いろいろ叩かれて病んじゃう人もいたんですけど「結局そんなことになったって、誰にどう言われたって、気持ちを強くもっていくしかないよねー」って、そういうメッセージです。
人に何を言われても、「こうじゃなきゃダメだ」みたいな同調圧力があっても、結局は自分のために作り込まなきゃ、選択していかないといけない!と思いながら書きました。ちなみに、この曲のキーボードはTamuraが演奏しています。

M4. One Thing

この曲はラップのフローがかなり好きなんですよ。曲は、俺がドラムの鈴木君に「こんな風に叩いて」って言った時に出来たビートです。マシーンのようなドラムに、ギターは渋くて哀愁漂う。ベースは浮遊感があって個人的にはかなりツボな曲です。
リリックは、俺はホラー映画が好きなので「リング」の貞子がいる井戸のイメージから始めました。淀んだ暗い水の中で大量の髪の毛がまとわり付く様子を、自分自身のネガティヴさと重ねた感じです。井戸の底に差す一筋の光に向かってもがく……みたいな。ラップを始めたものの、何年もくすぶり続けたイラだちをぶつけました。

M5. At The Drive In

俺の中では、プツプツとしたギターとメロウなベースの音色から、ジリジリと太陽が照り付ける荒野をオンボロの車でゆっくりと走るイメージな曲です。
ラップはかなり悩んだ結果、日常生活でふとした時に人に当たってしまう時とか、何気なく感じた些細な苛立ちを、言葉遊びを尽くして表現にしました。リリックの後半は子どもの頃からのヴァイブル的な作品であるアニメ「エヴァンゲリオン」とシンクロさせました。曲に関して言うと、最後のサビが終わるパートからの展開が最高に気持ちいいですね。星が綺麗な真夜中にレイヴで聴きたい!


M6. Superstitious

この曲は自分の日常をラップしました。言葉遊びもほとんど無く、日々そこで感じてきたことや、見て見ぬ振りをしてきた想いを直視したというか。
泥酔した翌日、ハードな二日酔いで職場に向かい、仕事を始めるシーンから始まります。原宿のスニーカー屋で働いているんですが、そこは一般的な履物屋と違ってレア物の類いを扱う店なんですよね。一足一足にバックグラウンドやエピソードがあったりするんですよ。
中高生の頃から原宿、特に裏原は憧れの場所でしたね。当時のカルチャーが無かったら今の世界的なファッションシーンは無いかもしれないし。
今は違う職場ですが、19歳からのらりくらりと働き出して、一見、華やかに見える世界にも地味な側面がある。光と陰があるということを知るようになりました。
もう一度、初心に立ち返り帯を締め直す!そんな気持ちをぶつけてます。

M7. Gravity

この曲もめちゃくちゃお気に入りですね。
バンド隊のレコーディング前の練習で、メロウなのお願い!っていうお題、というか提案をしたら千葉くんが即興で弾いてくれて、そこから始まった曲です。もう本当にギターの旋律がめちゃくちゃ美しいし、ドラムも小気味よくてツボに入りました。甘くて切ない感じだったので、昔の彼女のことを話そうと思ってリリックを書き始めました。目を瞑ると情景が浮かんでいたので、スラスラと書けて、こんなにフローもリリックもバッチリと短時間で完成したのは初めてでした。
子どもの頃から一人で映画館に行ったり、空想したりすることが自分の日常だったので、この感覚を次に繋げたいと思いました。
タイトルはサンドラ・ブロックが主演の映画「ゼロ・グラビティ」から取りました。この映画も最高。

M8. Let's Get Mad in This Town (With My Friends)」

これは最後に録音した曲で、当日まで詩も出来てなかったんですよ。今までにラップしていたようなビートでもないし、「どうすっかー」って感じでした(笑)。その間にTamuraがサビパートを録り始めたんですが、これまた凄く良くて。曲も含めてD'Angeloっぽい感じです。何テイクか録っている間に、サクッと飯を食いに行ったんですけど、ジャックダニエルの小瓶を買ってきてグビグビ呑んでました(笑)。小難しいフローや言葉使いはやめて、過去の思い出だったり、このアルバムを作るに当たっての素直な気持ちを歌いました。

ーーありがとうございました!こうして聞いてみると、アルバムが後半に向かうにつれ、段々お酒じゃなくて日常や思い出などパーソナルな歌詞になっていく作りになってるんですね。かなり濃厚な内容のアルバムになりましたね。

本当濃いアルバムになりましたね。今回のリリースで「TDKJ」のプロジェクトはいったん終わりになるんですけど、今後もTamuraとだったり、KAWAI JAZZのベースの小松君とも絡んで、ビートを作ってもらって、曲づくりができたらいいなと思っています。

なんとなく、数年後に「あのアルバムよかったよね」ってなって、また集まってアルバムを作ろうって話になったりするんじゃないかなって感じがしています。

ーー酒とラップとの出会いから始まり、素晴らしいアーティストたちと出会い、いつの間にかここまで来たか!という感じですね。今後の展開がとても楽しみです。今日はどうもありがとうございました。

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