→を自分に向けろ
2ヶ月前の12月にこんな事があった。
12月1日は宅建試験の合格発表日
そう僕は、令和3年度の宅地建物取引士の試験を受けていたのだ
デザイナーを業務とするものがなぜに宅建?
その話はあとでするとして、
1日の午前9時半にネットで合否が決まる案内が出る。
今年の合格点は34点!だと早朝のYouTubeでUPされていた。
自分の自己採点が34点!
これは行けるんじゃないのと少しワクワクモードでサイトを観る。
受験番号探す。
あれ?1702-5202が無い(5203はどう見ても5202ではない)
マジ?ないないない。
これって不合格ってことだ。
あ〜やってしまった。
原因は答案の書き間違いかもしれないが
自分の点数が34点だとここ50日あまり信じていたので
かなりショックがでかい。
心の中でモヤモヤとした感じが自分の中にあって
この不合格を正直に受け入れることが出来ないでいる自分がいる。
それでもこのチャレンジのために少なからずこの事を知って応援してくださる方に
不合格の案内を知らせる。
皆さん自分のことのように僕のチャレンジを応援してくれた方々
その人たちの笑顔を見たかったのになぁ〜
往生際悪いけど、午前中はなにか仕事していても少し上の空だったのかもしれない
空は大荒れで風が強い。
窓を見つめていると
今年の勉強の時間のしんどさが走馬灯のように流れていく。
あんなに勉強したのに〜、あんなに頑張ったのに〜
あんなに
あんあに
確かに自分の時間をある程度この勉強に費やした240日
でも結果が伴わなかった。
問題は、これからどうするかだ。
このまま諦めてフェードアウトしていくか、
来年の10月試験に向けて再チャレンジするか?この2択しか無いんだが
心の中にもう二度とあんなに勉強をしたくないという感情と
でも合格して笑顔で次の未来を切り開きたかったという想いが錯綜して
結論というか覚悟にまで行かない
そんな時に久しぶりに『不動産大学』の棚田先生のメッセージを聞いた。
[https://www.youtube.com/watch?v=eFs98YQzOZo]
ここでこんなこと言っていた
不合格。ここでやめれば不合格は不合格のままだけど
諦めなければ合格したとき、
この不合格は、合格のための貴重なステップだったと置き換えることができる。
なるほど確かにそうかもしれない。
また何人かの応援してくださる方からこんなメッセージを頂いた
『田村さんがお店に来てくれた後に、宅建について調べました。
合否の結果が12月までわからないことも知りました。
自己採点の事を考えると、田村さんは受かっていたんだと思います。
ほんのちょっとのことなんだと思うのです。
私が言うのは失礼だと思うのですが、、、。
田村さん、もう一回受けませんか?!
もう二度とあんな受験勉強はしたくなーいっておっしゃっていたと思うのですが。
なんだか腑に落ちなくて。私もなぜかメッチャ悔しいんです
合否が出たばかりの時にこんなメールしてすいません』
これはある方のメールだけど僕の心に刺さった。
ここまで想って応援してくれる人がいる事実。
時間は流れ、事実は確かに変わらない。
僕の人生は、このときから2021年に宅建試験は不合格だったという事を起点に時は流れる。
合格だったという人生とは別の人生を歩み始めるのだ。
その事実は変えられないんだ。
変えていけるのはこれからの未来だけだもんね。
あと棚田先生はYouTubeの中でこんな言葉も言っていた。
『自分に矢印を向けろ!』
原因は全て自分のやり方、勉強の仕方にあると認識せよ。外的要因に原因を求めても何にもならない。
誰かを責めたいという気持ちは理解できるが、いっとき誰かを責めたら
次は矢印を自分に向けて立ち上がりなさい。
これまたそのとおりだ。
ここがスタートなんだ。
自分自身の『ゴキゲン力』が試されている瞬間だと思った。
不合格なんだから不機嫌でいるなんてナンセンスだよ。
こんな時だから『ゴキゲン』でいることの大切さをオレは学んでいたのではないか。
そうなな言葉をこれまた応援してくれるある方から頂いた
『試験に落ちようが、会社がどうにかなろうが、
自分は自分で何か損なわれるワケでは無いから、
ゴキゲンで生きた方が良いってことだ。』
ものすごく大きな実験台に放り出されたんだな(苦笑)
という貴重な経験をさせてもらった。
そもそもなんで宅建を受けようと思ったのか?
今思うと不思議だ(自分で言うな)
多分バランス取りたかったんだと思う。
50歳代最後の年、これから還暦でゼロポイントに戻る前に
一度試験勉強というものをガチでしてみたかったのかもしれない。
僕は高校の受験以降今まで試験とは無縁の世界にいたから
何かを学んでそれを勝ち取っていくという世界の人々に憧れがあったのかもね。そんな事を思い自分で決めて、学校にも入って未知の世界に踏み込んだわけだけど。
正直甘いものではなかった。
恥ずかしい話だけど。教科書に書いてある専門用語が読めない!なんて読むのこれ?かつなんのことなのか意味不明。
一事が万事こんな感じだから途方にくれたのだ。
でも毎週月曜日と木曜日18時40分に学校に行き、21時過ぎまで学校、その後復習するという生活がスタートするんだね。
学校は週2日だけど、劣等生な僕は、毎日、毎日過去問(カコモン?これも初めて知った)に向かい◯と✕を付けていく日々
このために買った無印の落書き帳に暗号のような◯✕が並ぶ並ぶ(笑)
そんな生活をほぼ毎日続けた。
いろんなことを犠牲にしたが、幸か不幸か世間はコロナに蔓延され外には出れない時期だということもあり、仕事もホント少なくなり、何かしないと心が折れそうになる僕を、勉強が救ってくれたのは事実だ。
みんなも経験あるんじゃ無いかな?
苦難の克服方法は、それよりも大変な苦難を抱えることで、その前の苦難が苦難と感じなくなるんだよね。
ずるい方法だが僕の場合、勉強がいろんなバランス整える効果があったのかもしれない。
とにかくそんな毎日を200日以上続ければ多少はアタマに刻まれるのだけど
試験が近くなるにつれ、自分の大きな欠点に気がつく(遅いって)
それは…
記憶が全く定着しないということだ。
試験はほぼ暗記が全てなので致命的
覚えても、覚えても、流れていく記憶
それと問題を深読みするのか、疑うのか、素直じゃないから、問と違うことを思い込み間違える
この2点の欠点のおかげさまで
僕は学校の模試で万年ビリという笑うに笑えない状況を招いてしまうんだ。
さすがに凹んだ、試験前にこれじゃ〜ね
といっても試験まで1ヶ月を切ったあたりから何故か記憶が定着するように少しづつ、少しづつなってくるんだ。
あきらめるな!もう一息で試験に向き合えるぞ!
本番一週間前には、50問の問題の中で30問を超えれるようになってきた。
もしかしたらイケルんちゃうの?
まぁ結果不合格だったからそれもコレも大きな僕の誤解だったんだけど
あれから2ヶ月経過して
不思議と不動産絡みの仕事が来る。今までスルーしていた文面が観ただけで理解が出来る自分がそこにいた。
確かに不合格ではあるが、勉強が僕の目を変えていたんだね。
不謹慎な言い方かもしれないが
資格がなくても僕の廻りには、資格を持った優秀な友人たちがいる。
彼らと少しだけ宅建語?で話ができる。
それだけでも大きなギフトではないかな。
試験や資格は確かに大切で僕は不合格であることは間違いないけど。
得たものは意外にも大きかったのかもしれない。
負けは負けでも使える負なら、負けじゃないかもね。
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