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Netflixで「火垂るの墓」解禁

火垂るの墓がNetflix解禁だそうで。
これで潰れかかったジブリも一息つけるのではないかと安堵する一方、僕はこれアメリカ人に見せて良い作品なのかどうか、ちょっと気になっています。
右派活動家の橋本琴絵さんがXでつぶやいておりましたが、実はこの作品中で節子を殺したのは戦争ではなく、兄の清太なんだよな。

新潮文庫 アメリカひじき・火垂るの墓 
野坂昭如


これは故人である野坂昭如氏の原作を読めばはっきり描かれているのですが、清太のモデルは野坂氏ご本人です。いや「モデル」という表現が適切なのか?どちらかと言えば、あの原作小説は戦時を生き抜いた自身の回想の中で、妹へ対し犯したことへの懺悔と後悔を告白しているような作品です。
その書を初めて手に取ったのは中学生の時でしたが、未熟であった自身のおかした罪と向き合うかのように、改行もなく延々と書き連ねられる文章の羅列に、胸が苦しくなったのを思い出します。
まあ、内容についてはこれくらいにしておきます。
まだ読んだことのない方は是非読んでみていただきたいのですが、野坂氏の原作に登場する「清太」はアニメのような妹に対し優しい労りを見せる少年ではありません。自分が生き残るために、実の妹でさえ無碍に扱う、当時は日本全国の何処の都市にもいた戦災孤児です。
ただ、それだけにアニメは原作とはかけ離れた誇張がされているかと言えばそうでもありません。
ここが高畑勲監督の凄さだと思えるのですが、氏は清太を単なる「悲劇の英雄」にしない為に、本編の冒頭シーンやラストに工夫を凝らしているのです。

火垂るの墓/1988


これは有名なエピソードなのでここで紹介しても良いかと思いますが、劇中で神戸駅で野垂れ死んだ清太の魂はその後何度もリピートして蘇り、同じ苦難と絶望を繰り返し強いられている様が描かれています。

清太の魂は自身の亡骸を見つめる


こうした隠れた演出はおそらく、原作小説に込めた野坂昭如氏の心根を慮ることと、原作へのリスペクトが成したことではないかと想像します。

グレイグ オブ ザ ファイアフライズ…か。
長くない?


Netflixで配信開始後、海外からの感想や評価が早速相次いでいるようですが、こうした点を踏まえ純日本人の私からすると、この作品が米国人に理解できるとは俄かに信じ難いのです。
彼らとは流れている血も子々孫々の代となっても背負い続ける歴史も違う。どんな好意的な感想も礼賛する気にはとてもなれない。

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