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ABA/X 第一円「算賊狩りの弾」

珠尾弾(たまおだん)の母、計(けい)が珠気帯びの現行犯で逮捕された時、すなわち弾の5歳の誕生日を街の洋食レストラン「アンザンテリブル」のお子様ランチでお祝いした瞬間から4361分後の弾の目には、両手首を固定された母と、先ほど「13852」と番号の振られた手帳を見せてきた若い男性が、同じく「11779」を見せてきた中年男性と何事か話し合う光景が映り込んでいた。一般の乗用車と変わらない黒いセダンに乗せられた母に、どうしても今すぐ伝えたいことのある弾は、窓ガラスに手をついて言った。
「にまんごせんろっぴゃくさんじゅういち」
母の顔は見えなかったが、間違いなく正解している確信があった。

「何度来たって同じだよ」と一遠総(いちえんそう)が左手を振る仕草が娘の鳴(なり)には見慣れた光景で、それは店内の常連客にとっても同じであるのか「あの兄ちゃんも懲りないね」と囁く声がコーヒーを啜る老人の席から聞こえてくる。ボタンダウンの白いワイシャツにきっちり締まった赤色のネクタイも虚しく、その燃えるような情熱を総の左手の風に消されてしまう彼は、いつものように一礼して店内を後にした。

「別に私はどっちでもいいんだけど」と鳴は言ってエプロンを後ろ手で結ぶ。日本珠算連盟、通称ニシュレンの発行するガイドブックに「珠玉店」として掲載されることは一般的には名誉とされているし、実際父である総が昔から研究を重ねて考案してきた珠食たちは、味はもちろん算育のために必要な栄養素を豊富に備えている。近年この街から多くのソロバニスタが輩出されている背景に、この店アンザンテリブルが貢献している可能性さえあると鳴は考えていた。

「今だってたくさんお客さんが入ってくれてるだろうが。こう言っちゃなんだが、お前に貧しい思いをさせてるつもりだってないぞ」
総はコーヒーを啜る老人の席を示す番号を記した伝票を、人気メニューのひとつである算元豚のカツカレーを乗せたトレイに忍ばせながら言った。
鳴は2日前の自分を思い出しながらもう盛大に転ぶことのないように慎重に料理を運ぶと、イチボ算椒ステーキに九条ねぎを添える総の元へ戻る。

「私だって学校のかばんをステラマッカートニーにしたくて言ってるわけじゃないよ。ただ毎日毎日断られてあの人可哀想だなと思って」
ビシッとしたスーツに身を包んだエリート然とした男が門前払いされて帰っていく姿を思い出す。ロースカツをカレーに潜らせる常連の老人から「お嬢ちゃんはああいう男が好みなのかい」と飛んでくる不愉快な冷やかしに聞こえないフリをして、厨房に下げられていた食器を洗い始める。
「むしろ真逆だよなあ」と総が笑った。
「タマちゃんはそんなんじゃーーーー」
鳴は言いかけて、誰も幼馴染の名を出したわけではないことに気づき、その先を飲み込んだ。

ゲームセンターの駐輪場に強面の男が倒れている。阿波楠(あばくす)高校へ通う生徒たちは「またか」と口々に言いながらサドルに跨った。
弾が「アバ高の鉄砲玉」と呼ばれ、周囲に恐れられるようになったのは入学してすぐのことだった。やや強引な手段で部員を勧誘しようとした算盤(そろばん)部の上級生の顎に躊躇なく拳を振るったためだ。やがて弾の元には悠郎(ゆうろ)や泉斗(せんと)に吏良(りら)といった不良仲間が集まり、近隣の高校との諍いも起こり始めた。
ソロバニスタを目指す学生の多いこの珠(たま)市において算盤同士で戦う算劇と違い、暴力による惨劇は珍しくたちまち噂は広がり、珠力に伸び悩み周囲から失望されたことで非行に走るようになった不良たちが、阿波楠高校の周りをうろつき始めるまでに時間はかからなかった。

「また相手の算盤へし折ったのかよ」
悠郎が苦笑いを浮かべながら弾に声をかける。
「最近お前算盤狩りって言われてるらしいぞ」
膝の埃を払いながら泉斗が続いた。
「イライラすんだよ、こんな下らねえもんができるできねえで見下したり見下されたりよ」
真っ二つになったそれを“親の仇のように”睨みつけながら弾は言った。その横を白色の軽自動車が通り過ぎていく。黄色のナンバープレートに「珠58 か 69-31」と記載されているのが見えた。
普段口数の少ない吏良が「どうした?」と訝しむ。ハッとした弾は「なんでもねえよ」とかばんを拾ってそのまま帰路についた。
脳裏には2204の数字が焼きついている。

事件に算盤やソロバニスタが関わることは算盤全体のイメージを低下させる。ニシュレンは警察やメディアにも多大な影響力を持ち、以前開催した大きな珠算大会のイメージキャラクターに起用したアイドルグループのメンバーが後に刑事事件で逮捕された時は、名前の後を容疑者の代わりに「非ソロバニスタ」とわざわざ呼称させるほどの徹底ぶりであった。そのような組織で働く栗上芯(くりあがりしん)にとって、最近珠市で発生していると噂の算盤狩りは見過ごせない事件だった。不良が喧嘩をするのは好きにすればいい。しかし破壊された算盤の画像が面白おかしくインターネットに出回るような事態だけはどうしても避けたかった。
珠市には最近ーーー訪問してすぐ追い出されるだけではあるがーーー毎日のように仕事で赴く用事があるため、ニシュレン職員の中でもこの話題を栗上に振ってくる者も多く、まさかお前じゃないだろうなといった軽口を叩かれてもいた。

「また伺います」と言っていつものレストランを後にしたある日、栗上は最近自分が算盤を触っていないことに気がついた。いつもなら通り過ぎるだけのゲームセンターに車を停めたのは、ここに「算賊狩り」の実機が置いてあるかもしれないと考えたからだ。算賊狩りは今から四半世紀前に登場した、今ではレトロゲームにあたる懐かしの一作だ。算盤の力を悪用する算賊と呼ばれる敵を、女神シュザンヌの加護を受けた正義の算盤の力で打ち倒していくアクションソロバニングゲームで、算盤状のコントローラーで実際に加減乗除の計算をしながら正確かつ迅速に敵を撃破していく、栗上が子供の頃に慣れ親しんだ作品である。
あまり店内の照明が当たらない奥まった場所を探すと隅の方にそれはあった。赤いスツールに腰を下ろしてコインを投入する。久しぶりに子供に戻ったような高揚感があった。

ニシュレンの職員であることそのものが高い珠力の証明であり、違法に珠力を増幅させた副作用によって発生するコントロール不全による珠気帯び、またその先に待つ珠乱の前科がないことを保証されている。
栗上はリズミカルに珠をパチパチとさせて必殺技のプラススラッシュやマイナスクロスなどを発動し、次々とステージをクリアしていく。気づけばワンコインで最終ステージのボス、デンタクルとの決戦を迎えていた。
決して計算を間違えないデンタクルの攻撃は強力だが、栗上の指はそれを上回る速度で攻撃を重ねていく。壮絶な打ち合いとなったラストバトルはデンタクルの断末魔によって決着し、画面には平和になった世界が映し出されていた。
これはかなりいいスコアが出たかもしれない。地元のゲームセンターで算賊狩りの上位スコアを独占していた栗上をもってしても、過去のTOP5に入るのではないかという好感触があった。結果が映し出される。しかし今獲得したスコアは10位以内にも入っておらず、1位から全て同じ名前で埋め尽くされていた。
恐らく今までに自分が出した最高記録でもギリギリ9位か10位に入れるかというレベルのハイスコアがずらりと並んでいる。どんな人間がこんな記録を?近くを通った老人の店主を捕まえて問う。
「こちらのお店、どなたか著名なソロバニスタが来店されているのですか?」
店主は首を傾げて「そんな人来ないよ。来てもこんな古いのやらないでしょ」と否定した。
では誰が、の質問を見透かすように店主が続ける。

「そこの記録を出したのは5歳くらいの子供だよ。もう10年以上前になるね」

栗上は全てのスコアに等しく記載されたアルファベットに目をやると「DAN」と小さく呟いて、禁煙していた煙草に火をつけた。

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