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twitterの人間関係に疲れた時
一度twitterから離れる。
離れようとすると、最初は「繋がりを失うんじゃないか」と不安になる。ただ、案外自分にはこの繋がりしかないと思っていても、離れてしばらく経つと忘れてしまう。
忘れるまでがとてもしんどい。苦しい。不安。でもマイナスの気持ちには、ひと月、ふた月でだんだん慣れてくる。1年も経つと、なくても問題がないと感じる。
一度離れてそのままtwitterのことを忘れ去ってしまったな
ものの一生を考えると
ものも人間と同じ様に、意味を持って生まれ、ものとしての一生を全うして欲しいと思う。愛情を持って扱われて欲しいと思う。
それは量産品でも手工芸でも、同じことなのかもしれない。
なるべく捨てずに済むものを作る
私はものを捨てるという行為に、勿体ない、怖い、寂しい、という強い不安を感じる。
子供の頃から、ものを生き物のように感じて名前を付けたり子供の様に扱ったりすることが度々あった。( その反面、雑に扱うものも多かったが )
自分も捨てられたくない、という思いから、ものに共感するようになったのだろう。
それなので、ものを作るのならば愛情を持って作って、愛情を持って長く使いたいと思っている。
なるべ
ものづくりの姿勢(メモ)
いつの間にか、誰かに認められたくて何かを作ってたけど、これからは自分が何を作りたいのか追求していきたい。
作りたいんじゃ無いかもしれない。
誰かが作りたいとワクワクした気持ちを、自分も共有したいだけかもしれない。
仕組みを考えるのが好きなだけかもしれない。それを活かして、ついでに誰かのワクワクを共有させてもらうのがいいのかもしれない。
とにかく、自分がなにを一番大切にしているのか今は突き詰
世の中全員に認められたかった頃
幼い頃の私は、ゴーイングマイウェイな人間だった。
他の多くの人が好むことを特に好きになれず、自分の好きなことをしていた。
それでも見栄は人一倍あって、自分が好きな中でも、有名なものを特に声をあげて好きだと言っていた。
女子中学生にしては変わった音楽の趣味、QUEEN。
だけど他の中学生も知っている、We will rock you が好きだと公言したり。
それよりも '39 が好きなのに
初対面でも本音を伝えるまっすぐな人が、私の心を解放した
自分の本心が大切だと気付いたのはここ数年、実際に自分の本心を引き出せるようになったのはここ数ヶ月のことだ。
やっと錆びついた蛇口をひねれるようになったのだから、そこから溢れる言葉が止まらない。
先日、ある人が開催する勉強会に参加した。
その分野に関する腕は確かだが、唯一の接点であるtwitterでは共感出来るような出来ないような赤裸々な気持ちやポエムをつぶやいている怪しい人物だ。
私の中の
忘れやすい夫とnote − 夫婦のコミュニケーションにnoteを活用する
私の夫はおしゃべりだ。
それでいて、話した内容をすぐさま忘れる。
彼は私を、「検索機能付きのボイスレコーダー」として使っている。
要はこういうことだ。彼の思いついたこと全てを私に話しておく。
そうしておけば、必要な時に「僕、この間何て言ってた?」と聞けば、私の耳に録音した内容が返ってくるシステムである。
忘れやすいが、こういう頭はキレる夫である。
ただ、私の頭のメモリも限られている。
好きなことをして生きるということ
好きを仕事にする。
好きなことをお金に変えるっていう考え方がある。
それが出来るということは、覚悟や様々なことに折り合いをつけられるということ。
それは、そういう人は、すごく頭と心が洗練された人だということ。
私はそれに、そういう人に、尊敬と憧れの眼差しを向ける。
その一方で、それは私らしくない生き方だと感じている。
最低限の生活が出来るよう、最低限の仕事をする。
そして、自分の好き