クマが出た

医療系の研究施設で働いている。独り現場で独り暮らしだ。24時間ぼっち状態。だが自由はある。自由とは好き勝ってやることだと思っていたが実際は違っていた。好き勝手やれる選択肢を持っていることが自由なのだ。

故にそれを選択できないのなら自由の持ち腐れ。僕もそうだった。自宅と仕事場の往復もそう。そこにイレギュラーを入れられる選択肢はあったにもかかわらず、いつもと変わらない選択をし続けていた。

そう考えると僕のいたずら心は疼き出す。目的は無い。おそらく非効率だろう。それでもいつもとは違う選択肢を選んでみた。仕事帰り、国道を右折すると自宅だ。それを直進してみる。家に帰っても独りだ。ペットも飼ってはいない。帰りが遅くなろうとも、誰も困らないのである。

直進すればそのまま山を一周できてしまう。おそらく3時間のドライブコース。途中でお腹も減るだろう。早めにコンビニで食料を調達した方がよさそうだ。暗くなってからの運転は気を付けた方がいい。田舎は野生動物の宝庫だ。さながら天然のサファリパーク。急に飛び出してくる者もいるだろう。

サルは賢い。あまり飛び出しては来ない。道端でこちらをじっと見つめるくらいであまり害もない。鹿は要注意だ。怯えた目でこちらを見つめたまま突撃してくる。彼らに「止まる」という選択肢は無いのであろう。

それよりも注意が必要なのは猪だ。彼らの特異技は猪突猛進。何も考えずに道へ飛び出してくる。けれども本当に注意しなければならないのは、その後だ。大きな猪が道を横断した後も、ブレーキから足を動かしてはいけない。かなりの確率で「うりぼう」が群れを成して親を追従するからだ。

正直かわいい。短い脚で必死に走っているが遅い。たまにコケる者もいる。そこに車で突っ込むことは避けたいのである。

田舎は野生動物の宝庫。それはなにもドライブコースに限ったことではない。たまに通勤路でも衝突したと思われる痕跡に出会う。その類の話もよく聞かされた。仕事場でも問題になったことがある。

いつもは無口な館内放送だがその日は鳴り響いた。「ただいま敷地内で熊が確認されたので外出は控えてください。繰り返します、ただいま敷地内で...」。正直怖い。ニュースで流れてくる熊の問題は、対岸の火事であった。それが実際に起こっている。「熊を見たい」という好奇心はあるのだが、圧倒的に恐怖が打ち勝っていた。

そういえば熊の駆除で世間は炎上していた。ニュース報道がきっかけで賛成派と反対派の意見がぶつかったみたいだ。やはりいつの時代も争いの種は「自分が正しい」。自身の掲げる正義の正当性を主張し合う争いが起きたのである。

決着はつかない。誰もが納得する答えは存在しないからだ。加えてお互いが防戦一方なこともある。相手を論破することは攻撃だが、それも相手の武器を無力化するためのもの。基本的には防衛戦略に見える。自身の正義が存続できればいいのだろう。そう思える炎上だった。

これは難しい問題だ。争いの原因を深く辿れば、おそらく価値観の多様性に行きつくだろう。価値観に多様性が無ければ争いも生まれない。皆が同じ考えだからだ。けれども価値観の多様性のおかげで人が繁栄した節もある。つまり人と人との争いを否定することは、今ある人のそれを全否定することにも繋がると思う。そう考えれば人と人との争いは決して社会問題ではなく、限りなく自然現象に近いと思えて仕方ないのである。

ただ、炎上のきっかけは回避できたかもしれない。価値観の過ぎた押しつけがあったようにも見えた。それを見て心を揺さぶられた人がいても不思議ではない。涙してしまった人もいるだろう。行動せずにはいられない衝動に襲われた人もいたはずだ。それが大多数側の正義であっても、配慮が必要なこともあると思う。

だがしかしだ、それを踏まえると問題は更に難しくなる。「知らせる権利」があるからだ。もちろんそこには自由がある。あくまでも権利だ。義務ではない。「知らせない権利」があるのもそのためだろう。それならば「知らない権利」もあると思う。いや、権利や義務という難しい話ではない。そのような選択肢があると思う。それが自由だ。もしそうだとすれば、配慮を用いて炎上は回避できたと思う。

複雑である。スッキリしない。こんなにも人とは惑わる存在なのか。もっとシンプルな答えがある気もする。僕は24時間ぼっちだ。考える時間は豊富にある。考えなくてもいいが、考えてもいいはずだ。考えろ。なぜならそこに僕の自由があるからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?