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震度7

元旦に起こった「震度7」の能登地震。
日々メディアやSNSを介して入ってくる情報に、なんだか気が重くなる。
というのも、前職で2~3年ほど輪島市や穴水町の仕事をしていたことがあり、あの辺りには思い入れがあるからだ。それに北陸には仲の良い母方の親戚がいる。
それでも「遠くのこと」といえば「遠くのこと」ではあるし、自分の日常生活に何か支障があるかといえば、防災の意識が以前より少し高くなった程度で、特段大きな変化もなく、去年と変わらない日々を送ることができている。


そして日曜日の今朝。
妻の張り上げた声で目覚め、ベッドから飛び起きる。
声のする方へ、リビングに駆け込むと、ソファに息子がちょこんと座っており、リンゴのようなほっぺで目をパチクリと開けて、意識を朦朧とさせている。
手も硬直しており、「ちちやで!わかるか!?」と呼びかけてもこちらを見てるだけで反応がなく、反応しても声が声にならないような言葉で何を言ってるか分からない。これはダメなやつだと思い、救急車を!となった。が、その次の瞬間に魂が戻ったかのように意識が戻り、つたなくも正常にコール&レスポンスができるようになった。

7歳の息子が、妻も私も認識できない赤ん坊みたいな状態になってしまったその時の衝撃といえば、「震度7」のようなものだった。
急に「死」という文字が脳内を埋め尽くす。
非常に短い時間だが、日常が一瞬で崩れるような出来事。
私の世界だけで起こったその衝撃は、当然だが私と関係のない人の世界には全く響かない。私の世界、私の心にだけ大きな振動と波を与えた。
その波は記憶となって、まだ私の心をゆらゆらさせている。
おそらく妻も同じ心だろう。

救急外来でインフルエンザと診断された息子。
あの朦朧とした時間、彼はどんな世界を見たのだろう。すべてが傾いて溶けていく感じだろうか。私の世界ではイメージできても感知できない。

私的な「震度7」で、身近な大切な人が変わり果てた姿になる。
大地の「震度7」で、思い出のある町が変わり果てた姿になる。
万物が移ろい変わっていくことは仕方がないが、瞬間的に変わり果ててしまうこと、急激なエネルギー差、物理的・精神的な「震度7」には、やはり生死を意識せざるを得ない大きな衝撃・破壊力がある。物理的な例としても、冬の冷たい脱衣所からの熱湯風呂、急激な寒暖差による「ヒートショック」で死に至るという。
そして精神的、心の震度計は、その人の世界によって感知するものが異なり、震源地から遠くとも「震度7」、マグニチュードが小さくとも「震度7」をはじき出すことがある。例えば、海の向こうの戦争で繰り広げられている「人とは思えない残虐な行為」。そういった「遠くのこと」も実際にリアルで見たものでなくとも、そこに想いを馳せて自分の世界に取り込んだならば、高い震度でその人の心は震える。奮い立ち、涙したりする。逆にそこまで世界線がなければ、その人に何も響くことはない。

今日私の心はすごく震えた。
でも歴史上どこにもこの出来事は記録されない。
あまりにも私的で無名の瞬間的な「震度7」。
きっと私だけではなく、毎日世界中の人の心は揺れているのだろう。
そこらかしこで「震度7」が発生しているのだろう。

スピリチュアルな話で、この宇宙も人も生きものも石っころもすべて「振動」で形成されていると聞いたことがある。職場の研修でさえも、人どうしが集まって「場」を形成するところにも「振動」があると聞いたことがある。
そう考えると、とことん人は「振動の生きもの」だなぁと思う。

とにかく今日はすごく震えた。
これが生きている証なんだな。


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