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夢と死【偽装エッセイ】

 車のクラクション、急ブレーキの音、横断歩道で立っている男が目をひん剥いている。右を向くとそこに車があった。運転をしている人の食いしばっている顎が見えたと思う。右の膝と太ももが車に当たりはね上げられたように感じた。
 プチ、ツウーーーーーーー
 誰もが必ず死ぬし、いつでも次の瞬間死ぬかもしれないのに、そんなことはないように生きている。僕もそうだ。いや、死を想像できなかった。死を体感を持って感じられなかった。
 死にたいといつも考えていたし、僕が死んだ後の生き残った人のことも想像した。でも死ぬ瞬間のことはリアルに想像できなかった。イメージが浮かばない。すぐに思考がよそに飛んでいく。
 意識が途切れる瞬間を毎日体験していたのに、リアリティはない。眠ることは死と同等だ。リアリティは言葉にしようとした途端に、なくなる。それは言語化してはいけないものなのかもしれない。
 キーボードを打ちながら考えている。爪をかみ、インスタントコーヒーを一口すする。
 死ねば無になる。記憶も意識も、僕というよくわからない受容体、感じるだけの存在もぷつりといなくなる。そもそも存在しているのかも怪しい。本質的には死と生は何も変わらないのかもしれない。
 とにかく僕の机は、いろんなものが溢れていて散らかっている。埃も溜まっている。少しイラつくがいつもそのままだ。使わないものは、仕舞うか捨てればいいのにそのままだ。
 変な夢を見たことを思い出す。田舎にあるゲームセンターにいる夢。ゲームをしないのにコインゲームの間をうろついていると、コイン両替機から勝手にコインが出てくる。よくみるとスマホからお金が二千円支払われていた。冗談じゃないと店長らしき人を見つけ必死で説明するが、一度購入したコインを現金に戻すことはできないと言われる。しかししつこくお願いする。雇われ店長は僕を店の裏に連れて行き、自分の財布を取り出しそこから僕に二千円を渡すと店内に戻っていった。少し申し訳ない気分になる。僕は車に乗り河川敷を走らせた。そんな夢だ。
 たぶん夢のそこら辺で目を覚ましたのだが、はっきりとは覚えていない。いま思い出しても別にいまとなってはその夢が現実でしたと言われても、何も変わらない。夢が現実で、現実が夢でも僕の人生は何も変わらない。
 夢はオムニバスで、登場人物や出来事との関係は目が覚めれば終わるが、現実は長い物語で登場人物とはまた会うし、起こった出来事の影響もつづく。ただその違いなのかもしれない。
 死は夢の終わりを意味する。目が覚めても目が覚めない。

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