西に満月、東に朝日、鳥の囀り、呼吸の音、そして灰色に濁った小川、

今朝も朝5時に起きそのまま体操を10分ほどし外に出る。大きなどんぐりの生い茂る葉の隙間から満月の光が見える。月がもうこんなに満ちていたことに気づかなかった。今日は朝から久しぶりの晴天だ。冷んやりとした空気が心地いい。

足を数歩踏み出すと自然と体が走り出す。車が来ていないことを確認し信号を無視して道を渡る。右を見て月を確認する。左を向きピンク色の空を背景に浮かび上がった山を眺める。

スマホで満月の写真を撮る。分かってはいたが肉眼で見えているようには写らない。なぜいつも写真に撮りたがるのだろう。SNSに投稿して誰かに見せたいのか。あとで見返したいのか。ただ記録として残しておきたいのか。過ぎ去るしかないこの瞬間をどうしても撮りたくなる。写真の中の世界は別世界だというのに。

いつものコースをスロージョギングで行く。前半は北から南に向かって流れる小川に沿って走る。澄んだ綺麗な水だ。途中から東から西に流れる少し大きい小川に沿って走る。こっちの川の水は汚い。灰色だ。うっすらと緑がかっている。泡ぶくも浮かんでいる。臭いはしない。上流に工場でもあるのか、工事をしているのかわからないがいつも汚い。

こんな汚い川にでもときどき青鷺がいる。ということは魚もいるのだろうか。魚は呼吸ができるのだろうか。川は全面をコンクリートで固められてはいるが、草や雑木が生い茂っている。

西に満月、東に朝日、鳥の囀り、呼吸の音、そして灰色に濁った小川。この川を写真に撮りたいと感じたことはまだない。魚や鳥、そして草木に対して人間として申し訳なく思う。人間は地球を汚さずに生きることはできない。そしてオレはそんな人間のひとりであることを受け入れている。美しい自然に魅了されつつも、同時にそれを汚しながら生きながら得ている。

オレが子どもだった頃、ほんの40年前はアスファルトで舗装されていない道はそこらじゅうにあった。川や小川、用水路もコンクリートで固められていなかっった。田んぼの畦道だってコンクリートは一切なかった。

しかしそんなことを憂いてみてもしょうがない。人間は自分たちで自然を汚すことを止めることはできない。これは致し方のないことだと確信している。環境を守ろうと頑張ってくれている人たちも、環境を破壊している。一般人に比べて少しだけ少ないだけだ。オレも地球を汚したくはないから気をつけてはいるが、昔ほどでもなくなった。

オレはあきらめてしまっている。人間は快適さを求め、発展することを止めることはできないと。たとえその発展が将来的に後退だったとしても。というか人間の進歩が自分たちの首を絞めていることぐらい自明のことだ。誰もが分かっているはずだ。ただ見ないようにしている、知らないふりをしている、気づいていないように演じているのだ。意識的なのか無意識なのかは知らないけれど、オレもそうだ。

しかし地球は大丈夫だ。植物や動物は大変だと思うけれど。
そして遅かれ人間は間違いなく自滅する。止めることはできない。だからもう少しだけ植物や動物たちには我慢をしてもらうしかない。ひたすら申し訳ない。

オレは悲観主義ではない。現実主義だ。

地球は人間にどんなに汚染されても、100万年後、1億年後、10億年後、新しい美しい姿でそこにいる。そこに人間はいない。

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