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活動記録 001 『花』

はじめに

 『活動記録』では、僕が岩手県住みます芸人として2011年4月30日に初めて岩手県を訪れてからの経験や感じたことを過去、現在ランダムに綴り、残していくものである。
 なぜ、そんなものを綴ろうと考えたかというと、単純に結構忘れてしまっているからである。毎日SNSや日記を更新していれば楽に振り返ることができるはずなのだが、僕は残念ながら長らくSNSを更新していなかった。実に9年も。僕のTwitterアカウントはスーパー放置プレー状態だったのだ。なぜここまで放置していたのか。理由は「面倒くさき所業」というダメ人間ならではの発想のみである。残念極まりない話だ。
 ほぼ化石かミイラと成り果ててしまっていたわけだが、2年前に思い切って呼び起こしてみた。アカウントもびっくりしたことだろう。この9年の間に変わっていることと言えば『#(ハッシュタグ』が当たり前のように存在することくらいだった。昔はハッシュタグなど付けてつぶやく輩はそう多くなかったと記憶する。
 さて、この空白の9年間。いくつの出来事が思い出せるだろうか。

2011年5月某日

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 このテキストがアップされる日は2022年3月11日である。
 やはり、この日は特別な思いが込み上げる。しかし、正直どう向き合えば良いのかわからないという複雑な気持ちもある。なぜか。何もできなかったからである。
 2011年3月11日14時46分。僕は東京都中野区の中野サンモール商店街にいた。朝イチからパチンコを興じ、大敗を食らい、頭が真っ白になりながら、なけなしの金で『かつや』でカツ丼を食らい、「打つ前に食えよ」と自分に憤りながら、店を後にした直後だった。
 まさか、ここから2ヶ月もしない間に岩手県を訪れ10年以上も住み着くことになるとは考えてもみなかった。
 住み始めた直後の2011年5月。我々は幸運なことに岩手めんこいテレビの情報番組『はちきゅん』のレギュラーをいただいていた。そのおかげで様々な経験をさせていただくことになる。おそらく、空白の9年間の大半が『はちきゅん』での話になりそうだ。そしてその中で、当然沿岸被災地にも取材で何度も訪れさせていただいたのだ。
 その日は大船渡市越喜来で「浜のミサンガ『環(たまき)』」なるものの取材であった。震災で仕事を失った浜の女性たちが漁具である網を使ってミサンガを手作りし販売するというプロジェクトだった。
 絶望的な瓦礫の山が山脈のように並んでいる。眉間の奥に鈍痛が走るほどの強烈な異臭が漂い、丸々と肥えたハエが重そうにゆっくりとその周りを旋回している。非現実的な光景ではあるが、リアクションすることができない。リアクションすることでそこに暮らしている被災者の方々を傷つけてしまいそうだから。
 我々の仕事は、プロジェクトに参加している浜の女性に被災当時の話や現在の状況、プロジェクトへの思いなどを伺うわけだが、ただでさえ不慣れなインタビューである。思い出したくない記憶を聞き出すのだ。つい2ヶ月前までクソみたいな、いやクソそのものであった男がである。
 先述したように、番組では様々な経験をさせてもらった。田んぼに突っ込んだり、氷点下15度の中での裸祭りに朝まで参加したり、スキージャンプを飛び大転倒したり。しかし、その中でも一番きつかったのがこの日だったのではないかと思う。
 作業場での取材が終わり、参加女性の自宅にお邪魔して再度取材をさせてもらった。幸いなことにその女性宅は津波が到達しなかった場所にあり被災を免れていた。
 自宅を訪れると小学校低学年と思われる女の子がいた。見たことも聞いたこともないはずだが、「東京からやって来たお笑い芸人」を名乗る僕らに「嵐と会ったことある?」と聞いてきた。僕は堂々と「ある」と答えた。あるわけがない。しかし、希望を持ってほしいと思ったのだ。目を丸くして驚く女の子。しまった。罪の意識が湧き上がる。しかしそんな罪の意識とは裏腹に嘘が止まらない。「ともだちだよ」何を言っているんだ。「昨日も一緒だった」おい。「飯おごった」いい加減にしろ。
 「嘘だ」呆気なく女の子に嘘がバレてしまった。僕は「でもあいつら『俺たち嵐だぜ』って言ってたけどな」とはぐらかし誤魔化した。
 取材が終わり、移動車に乗り込んだ。取材を受けてくれた女性が見送ってくれている。あの子はどうしたんだろうと思っていると、パタパタとこちらに走ってやって来た。そして、僕に一輪の野花を手渡してくれたのだ。僕が感激しているとその子は僕に向かってこう告げた。
「それ、貧乏草って言って持ってると貧乏になるんだよ」
女の子はケタケタと笑いながらまた家の方に走って行った。僕はその背中に「コラ!」と言いながらもその貧乏草を持ち帰ったのだった。
 数日後、住みます芸人になってから初めての給料日が来た。僕は東京に住んでいた頃の主な収入源であるアルバイトを辞め、岩手に来ている。吉本からの給料のみでの生活が始まったのだ。吉本の給料は完全歩合制。仕事をした2ヶ月後の月末に振り込まれる。つまり、3月分が5月に振り込まれることになるわけである。2011年3月、僕は何をしていたか。そう、クソみたいな、いや、クソそのものに成り果てていただけである。僕はATMの画面に表示された「500円」の文字に気絶しそうになった。
「あの子すげぇ」僕は晴れてスーパー貧乏くんになったのだった。

 あれからもうすぐ11年。おそらく成人になったかどうかくらいだろうか。元気でいてほしいなと思う。そして「君のせいで大変な目に遭ったんだからなんか仕事くれ」と言いたい。

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