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2021年をふり返り、noteに思うこと

2021年9月末にnoteでの投稿を開始して3ヶ月が過ぎた。3ヶ月間マイペースで更新してきて、noteに対して期待通りだったことと、裏切られたことがはっきりしてきた。そこで、日々の生活で今年をふり返る反省会は個人的に行うことにして、ここではnote的観点での反省会をしてみようと思う。

反省会をする上で欠かせないのは、なぜnoteを始めたのか、という大前提の見直しである。実はその見直し作業は比較的簡単。なぜならしっかりと最初の投稿の自己紹介で書いているから。

「日々、日記に記すようなことを、あとで見直せるようなフォーマットで書く」。当初の目的を一言にすると、つまりはそういうことだ。そこに自分の趣味的なトピック(たとえば海外生活だとか読書だとかテクノロジーだとか)を混ぜ込んで、備忘録にしたい、という野望があった。自分しか見ない日記はどうしても殴り書きになってしまい、あとで見返せるような代物ではないと悩んでいたからだ。

さて、その後3ヶ月、実際は何を書いたのかというと。

  • 読書ノート

  • コンテスト投稿(読書の秋、エンジニアでよかった、お金について考えていること、2021年買ってよかったもの etc)

  • 娘たちの学校生活で思うこと

日記ひとつもないじゃん、という(笑)。なんなら日記はこれまで通り、プライベートな日記アプリに殴り書き(殴りタイプ?)している。笑えるほど初志不貫徹。

言い訳タイムを開始しよう。誤解を恐れずに言えば、noteという媒体は日々のなんでもないことをツラツラと書くのには向いていないと思う。あわわ、言っちゃった。まず第一に、noteアプリを開くと、いろいろな方の読書記録、エッセイ、そしてハウツー系などの良質な記事が目に入ってきてしまい、あっという間にインプット&思考モードに突入してしまう。「今日作った納豆オムレツが美味しかった」と書こうと思っていたのに、フォローしている三好優実さんの「ココロを添えた仕事がしたい」なんて記事(←とても良かったのでぜひ読んでみて!)を目にすると、「私にとって仕事とは?生きがいとは?」と哲学的な押し問答が脳内で繰り返される。納豆オムレツはどこへ行った?

難しい哲学をどうにか頭の隅に追いやり、納豆オムレツのためのエディタを開ける。そこでまた新たな問題が起こる - そのエディタが優秀すぎるのだ。noteのエディタは書くための物理的な苦労が皆無な優秀設計だ。思考フローを止めることなく、溢れ出てくるアイデアや言い回しをすぐにエディタに反映できてしまう。太字も引用もリンクも大見出しも、自然に(←ここポイント)1クリックでできてしまう。このような複雑な機能を簡単かつ自然にユーザーに使わせる大変さを理解しているエンジニアの私は、noteはさぞかし優れたチームに支えられているのだろうと信じている。

noteが日記に向かないとすると、何をするのがいいのか、という話になるが、私はnoteは思考の言語化に最適なツールだと思っている。たとえばこれまでも本は読んでいたが、そこでプロセスは終わっていた。今では、読んだ本の内容を記録し、さらには自分の思考の一部にするため言語化していく。そのアウトプット作業があるからこそ内容への理解が深まるのはもちろん、言語化した自分の思想を発見できるようにまでなった。思想はふわふわした状態だとあまり使い道はなく、言語化してからがActionableとなることを踏まえると、そこでnoteの果たす役割は大きい。

読書や経験を通してのミニ思考フローの積み重ねを経ての、ある意味集大成と言えるのが、コンテストへの投稿だ。各種インプットを続けて、それをコツコツとnote上で言語化していると、いつの間にかコンテストのキーワードに沿った自分のストーリーが書けるようになっていたのは大きな収穫だった。コンテストは受賞を目指すのではなく(受賞したら喜ぶけれど)、言語化という修行を続けていく上でのマイルストーンという位置付けがしっくりくる。

殴り書きを続けているプライベートな日記を将来読み返せるようなものにしたいという野望は未だにある。でもこのnoteには「私、あの時こんなこと考えていたんだ?」と、その時々の思考回路を辿る旅に出るためのツールとしての期待度がマックスだ。来年も最大限に活用していこうと思う。


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