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【短編小説】恋愛物語

運命の相手はいると思う。40代にもなってくだらないって言われるかもしれないけど、私ほど運がいい女はいないと言い切れる。

私は旅行中に夫と運命的な出会いをし、大恋愛を経て、結婚に至った。かわいい子供たちにも恵まれ、夫は家族を守るために気に入らない職場でも一生懸命働き、一方で私は家庭に入って家族の健康を守っている。大学に行かなかった私がもらえるお給料と家事・育児のバランスを考えた上での夫婦の決断だった。

夫の職場は人間関係での成功が出世競争で加味されるようなコミュニケーション重視な社風だ。成果主義だったら高学歴な夫にもチャンスはあったのだろうが、人に取り入ることが苦手な真面目な夫は苦労している。そんな中で家庭を守りたい一心でお給料を勝ち取ってきてくれることには感謝しかない。

この前、駅前で高校時代の友人の晶子にバッタリ会った。外資系企業でバリバリ働く彼女は育児をも一手に引き受けているそうで、発熱の連絡を息子さんが通う保育園から受け、仕事を早退して迎えに行く途中だった。「ワンオペは大変!」という彼女がかわいそうで、旦那さんへの怒りすら湧いてきて、言葉に詰まっていると、「また気分転換に飲みに行こうよ!」と言い残して小走りで去って行った。

飲みに行くのは難しい。というのも夫は晶子が苦手なのだ。一度晶子夫婦を家に呼んで夕食を共にしたことがある。昔から気が強くて弁が立つ晶子はご主人に対しても言いたい放題だった。「その言い分めっちゃ間違ってるよ。謝ったほうがいいよ。」なんて、人前で堂々と言い放ってて、私たちは固まったんだっけ。晶子たちが帰った後、「敬意をお互いに払いあえない夫婦は長続きしないよね」と夫はぐったりした様子だった。私もそう思う。

夫は敬意を忘れない。苦労しつつも家族を養う全責任を負うこと自体が敬意そのものだし、私と子供たちに生きていく上で大切ないろいろなことを教えてくれる。専業主婦の私には知らないことや理解できないことがたくさんあるので、子供たちは優秀なパパと暮らせて幸せだと思う。私は難しいことがよくわからず、夫によく正される。子供たちには優秀になってほしいので、子供たちは私よりパパから多くを学ぶのがいい。

そもそも私だって大学に行って優秀になるチャンスはあったのに、それが叶わなかったのは実家の両親のせいとも言える。大学に行くと婚期を逃す、なんて時代錯誤なことを言うからいけないのだ。両親とも高卒で頑張って育ててくれたことに感謝しているが、大学進学の大切さを教えられない親というのはよくない、と夫ともよく話す。いつもそんな風にのほほんとしている実家とは自然と疎遠になってしまった。

私は出産してからも仕事は続けていた。でも女性が仕事と育児を両立するのは至難の業だ。出勤する前から朝ご飯や保育園の準備が山ほどあるし、帰宅してからはもっと大変。独身の頃は料理が趣味だったが、出産してからは毎日の食事の支度は苦痛そのものになった。朝はパンとご飯を曜日毎にして、昼は4人分のお弁当を詰めて、夜はシンプルだけどバランスの取れた食卓にする。これを仕事と育児の合間に休みなく続けるのは地獄だった。多忙な夫に頼れる部分は少なく、私の給料は夫ほど多くなかったため、仕事は辞めることにした。そもそも夫は私の同僚の多くが「ケバい」からと、その悪影響を心配していたしね。ケバいって死語だから(笑)。

そうそう、この前夫と喧嘩になったんだっけ。「部下がなかなかついてこない」と悩んでいる様子だったから、「自分のドジ話とかして自虐ネタで盛り上げたり、相手を信頼してマイクロマネージメントしないようにするのはどう?」とつい言ってしまったら、「何知った気になってるの?」なんて言うんだもん。「そんなつもりはないよ」と言い返しちゃった。夫はプライドが高いので自虐が大の苦手。夫くらいいい大学を出ると、自分を下げる方法が分からないんだと思う。私から見ると、ドジしてることは時々あるんだけど、たいてい言わないでおく。夫は怒らせるとめんどくさい。ネチネチと何時間も文句を言い続けるせいで、げっそり疲れる。結局いつも私が間違っているんだから、なんでそもそも意見を対立させたんだっけ?と後悔して終わるパターンばかりだ。私はいつになっても学ばない。大学では、Critical Thinkingなんて思考法の授業もあるそうで、夫はそういう講義をいくつもとって今の思考法をマスターしたらしい。私も大学でそう言うのを勉強して、夫と有意義な会話ができたらよかったのに。

夫が外敵から守ってくれているおかげでのんびりしすぎてるのか、物覚えが悪くなった気がする。社会から隔離される専業主婦あるあるなのか(笑)?この前スーパーで大柄な店員さんが棚の上にある大きなトイレットペーパーの束を私の頭上から渡してきて、背筋が凍るほど萎縮した。なんならちょっと尿もれまでしちゃった(笑)。怖がる理由に結びつく出来事があった気がするんだけど、そしてその出来事は最近だった気がするんだけど、覚えていない。

昨日、高校時代の別の友人の夕美とマクドナルドでお茶した。最近の子はスタバに行くらしいけど、夫が頑張って稼いだお金で高いコーヒーを飲むのは申し訳ない。夕美と晶子と私は高校3年間同じクラスで、毎日のように遊び歩いていたんだっけ。結婚してからは忙しくて会う機会は激減したが、夕美と晶子は時々会ってるみたい。ふたりともワンオペ育児で仕事も続けていて忙しそうなのにすごいなぁ。思い出話をいくつかした後で、「この前晶子から駅前であなたにバッタリ会ったって聞いたんだけど」と夕美がおずおずと切り出す。「これ、役に立つかと思って」と小さな名刺を差し出してきた。名刺には「トラウマ専門心理カウンセラー」とある。

・・・信じられない。帰宅して、昼間なのについ缶ビールをグイッと飲み、名刺を破り捨てた。私の気がおかしくなったとでも言うんだろうか。確かに物覚えが悪くなったと感じることはあるが、カウンセラーにかかれだなんて、人をバカにするにもほどがある。夫にも言いつけなきゃ、と思ったが、昨日も夫と喧嘩したばかりで夫はまだ気が立ってる様子なので、またタイミングを見て話そう。あ、この名刺も見つからないほうがいい気がする。破り捨てた名刺をポケットに入れておいた。

社会から隔離されると自信を喪失しがちなのが問題だ。育児と家事だけの生活を送っていると、頭を使わなくなり、自分の言動に対する自信が激減する。子供の学校の先生への連絡帳のメッセージすら何時間もかけて書くようになった。私はバカだから考えるのが苦手で、さらにはワガママな性格だから全てが自分中心で、家族がその犠牲になっている。夫のいう通りだ。

今夜も夫に同じことで注意された。バカでワガママでモノを知らない私にできることは家族のために決められたルールに従うことだけだ。口答えをすることはルール違反だ。ああ、またそのルール忘れちゃったよ。やっぱり専業主婦は物覚えが悪い。でもこの手の喧嘩になると、なぜか内容も夫の言葉も忘れてしまうのだ。

お風呂に入る前に、ズボンのポケットに手をやると破り捨てた名刺に触れた。夕美のいう通り、物忘れを改善するためにカウンセラーに会ってみた方がいいのかな。でも夕美ったら変なこと言ってたな。晶子が私の手首のあざのこと話してたって。そうだ、お風呂に入るとき痛むことがよくあるんだっけ。手首とか腕とか。どうやって怪我したんだっけ?ああだめ、思い出そうとすると頭の中に靄がかかる。

「おい!」と大声が聞こえて、思考が中断される。お風呂を出て夫とテレビを観つつもぼーっとして話を聞いてなかったら、夫が呼んでたみたい。部下と飲みにいって、妻の私がいかに役立たずかを自虐ネタとして披露していたら、部下に嗜められたとイライラした様子で話してくれた。「そういう言い方はやめた方がいいですよ、だってさ。アイツ、絶対クビにしてやる」と言いつつ、ビールを煽り飲みする。「自虐ネタを部下に言うのがいいってお前のアドバイスがどんなにクソか分かっただろ?」とますます眉間に皺が寄っていたので、「そうだったね。また間違っててごめんね」と素直に謝る。ほんと私はバカだ。夫の会社はこんなくだらないコミュニケーションを重視して人事を決めずに、成果主義に徹底して、夫のような有名大学を出た人を出世させればいいのに。

ビールを何本もあけてソファで寝てしまった夫を起こしてベッドに運び、後片付けを済ませて私も寝室に向かう。破り捨てた名刺が入っているズボンのポケットを探る。夫がこんなに頑張ってくれてるんだから、物忘れくらいでカウンセラーにかかって出費を増やすのはバカげている。夫に見つからないようにさらに細かくちぎって、ゴミ袋に入れた。

明日はゴミの日だ。

#創作大賞2022

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