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グッチさんと愛

最近公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』。

英国のロックバンドQUEENの名曲を冠したこの映画が、自分の周りで小さなさざなみを立てているのを感じる。

私はQUEENが昔から好きだ。
記憶にある限り一番最初に友達に借りたCDは、福山雅治とQUEENだった。
QUEENはJewels、福山雅治は虹のアルバムだった。
(福山が上裸になっているジャケットで、小学生がこんな色っぽいCDなんか持ってていいのか…と子供ながらに恥の意識を覚えたことすら思い出す。)

自分の音楽、という世界を知ったのもこの2枚がきっかけだったと思う。
この後、私は地元のツタヤで会員証をゲットし、音楽への愛とツタヤへの奉仕の日々を送ることになる。

なんていったって、それまではテレビとラジオと父親が趣味で流している邦楽くらいしか音楽として聞いたことがなかったのだ。邦楽といっても山下達郎と忌野清志郎と井上陽水くらいしか見分け(聞き分け)のつくミュージシャンはいなかったのだ。全員おじさんだ。

しかし引っ越しと誕生日を機に私は新しい世界を知った。
父親が当時としては最新のPanasonicのMDコンポを買ってくれたのである。

(MDコンポ。もはや郷愁の漂うことばになってしまった…うちのはCD5枚入れられるのに。MDからテープへの(謎の)ダビングもできるのに…)

そうして機材は手に入れたものの、肝心の、流すべき音源を持っていなかった。だから私は冒頭に戻って、友達に初めてCDを借りるというスキルを発動することができたのだ。

なぜそこでQUEENだったのか。

たぶん、あれだ。
みんなの「ハッチポッチ・ステーション」。

グッチさんが、ジャーニーやダイヤさんやトランクやエチケットじいさんとかとコントやったり歌ったり踊ったりしゃべったりする、NHK教育の夕方の番組。2005年まで放送とのこと。

ちなみにジャーニーの本名って「ジャーニー・タビスキヤネン3世」らしい。めっちゃいい名前やん。

その中で、グッチさんが著名アーティストのMVをパロディーで再現するコーナーがあった。覚えているのだけでも、マイケル・ジャクソン、ABBA、マーヴィン・ゲイといった錚々たるメンツ。
彼らの音楽を、日本の童謡とMIXしたパロディである。

毎日このコーナーで母が爆笑していたっけ。
Wikipediaには、<グッチ裕三曰く「子供は親が笑うと幸せを感じる」ことを狙っている為>という記載あり。すごいなグッチさん。

そして彼のパロディMVの中で、私が一番度肝を抜かれたのがQUEENのボヘミアン・ラプソディだったのだ。(長い前置きですみません)

とりあえず見たことのない方にはYouTubeで見てもらうことをおすすめするとして、絵面は最高にばかばかしいのに、音楽はいろいろな要素がぎっちり詰め込まれていて、かつ雑に作られた部分が一つもないというのは、かなりの驚きだった。

しかも、QUEENの映像を見る前にグッチ裕三版のボヘミアンラプソディを見てしまったがために、しばらくの間わたしは本物も知らずにいた。それでもクイーンってすごいなどと思っていたのだ(その頃はYouTubeは概念すらなかった)。

ある時家族とテレビを見ていたら、QUEENの特集が流れた。ようやく本物を拝顔したのだ。
なんか、想像してたのと違って服がぴちぴちだ…!だがそれがどうでもよくなるくらい、歌がすごい。と思った。

そのメロディは心の琴線に触れる。歌声は心をゆさぶる。
その瞬間に、ロックという音楽をなんとなく敬遠していたそれまでの短い人生をちょっと後悔。
とにかく、雷に打たれるような経験だった。

少し経って、友達からQUEENのCDを借りて毎日のように聴いていたら、母が突然、「この人ゲイなんだよね〜」と。

ゲイもその他のセクシャリティも正直よくわかっていなかった私は「はぁ」という感じの受け答えをしたと思うが、その話し方に微量の毒が含まれていたことに、ずっと引っかかりを感じていた。

私の考えは「だからなんなんだ」というところが大きく、その一言で彼の創作に対する敬意が薄れることは一切なかった。それでも家庭内の些細な会話に「人がセクシャリティをどう表現するか」という話題が陰とともに出てきてしまうことに動揺したし、実の家族であっても思想が相容れないことはあるということを考えるきっかけになった。

それは、マジョリティでいることに安心と少しの驕りみたいなものを抱いていることの危うさを感じさせた出来事だった。私は両親に特段大きな不自由もなく育ててもらったが、その一瞬でこの世界のアンバランスな部分が垣間見えた気がした。自分の親に対してすらそう思うんだから、この世界にはどんなに諍いが溢れてるんだろうと。

そういうネガティブな記憶があれど、繰り返しにはなるが私は彼らの音楽が好きだ。今に生きていてほしかったと思う。ライブも行きたかった。
この音楽はこの人でなければ作れない。彼のセクシャリティが「普通」ではなかったことが、この音楽に影響を与えたかもしれないし、与えていないかもしれない。それがどうでもいいということではない。それを断じることではなく、ただ聴くことに価値があるんだと言いたい。

巷で噂になっている冒頭の映画、私はまだ観に行っていない。上記のような文脈で、賛否両論が出ていると聞く。見に行くかどうかも決めてないけど、映画というフォーマットで安易に感動することは、彼の音楽の核となっているものを見失ってしまう気がする。

"I was born to love you" は死ぬほど熱くて好きなんだけど、この曲を含めQUEENの作品のベースラインを流れるテーマは「愛」なんだと勝手に思っている。
フレディほど強烈に愛を叫ぶ人に、私はこれから会えるだろうか。

どんな形の愛も救われてほしいと思う。その愛が誰かを傷つけないかぎり。

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