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春待つ陸前高田で桜を植えた

新幹線の窓から曇り空の下の都会を眺める。
ちょうど見頃を迎えた今だからこそ、都心には、実は桜の木がとても多いことに気づく。

前日の夜、たまに行く居酒屋で飲んでいて、大将に「明日から桜を植えに行く」と話をしていたら、近くに座っていた初老の男性に「なんで桜なんでしょうね」と話しかけられた。

やっぱり桜が好きな日本人は多いですしねえ。
あと、植えたら放置できるようなものではなくて、ずっと人間の世話が必要な樹ってところが、ずっと後まで気持ちを伝えるためには大事なんじゃないでしょうか。
という話をした。

そのやりとりを思い出しながら、眼下を流れていくピンク色のかたまりを見ていた。
一本で凛と立つ大きな木や、川沿いで競うように咲く桜並木を。

東京を離れるにつれて、空の向こうの端が明るくなってきた。
そして、桜は見えなくなった。まだこのあたりでは開花の季節を迎えていないのかもしれない。

私はその夜もまた徹夜で帳面を写したのだが–––そして私にはいささかの悲痛感があったのだが、外はよい月夜で、家の前は入海、海の向うは低い山がくっきりと黒く、海は風がわたって、月光が波に千々にくだけていた。その渚のほとりで、宿の老婆は夜もすがら夜なべの糸つむぎをしていた。「月がよいので……」と月の光をたのしみ、夜風のすずしさをたのしんで仕事をしていた。

「忘れられた日本人」宮本常一 著

雉がいた。

一ノ関で新幹線を降りて大船渡線に乗り換え。
ワンマン2両編成の列車でガタゴト山あいを抜けていく。里山のような場所を通るとき、線路横にたぶん雉がいた。目があった。

気仙沼で、さらにBRTに乗り継ぎ。もともと電車が走っていたところを道路にして、バス路線に替えている。

今度は、カモシカがいた。
駅を出てすぐ、線路脇のちょっとした崖の上にたたずんでいて、最初は何かの剥製だと思ったけどこっちを向いたので生き物だとわかった。


陸前高田に着く。3年前よりも新しい建物がいろいろできて、いっそうきれいになっていた。

街の中心部は平らで、道はまっすぐだし凸凹もない。初心者には走りやすそうな道。私は、津波が引いたあとの街しか知らないけれど。

この街に、3年半前、そしてさらにその3年前くらいに来て、桜を植えてきた。今回も、津波が到達した場所に一本の桜を植える。


脇ノ沢という、中心部から少し行ったところにある民宿に泊まる。BRTの駅を降りて歩くとき、海が遠くに見えた。今は穏やかでどこまでも青い海だ。海苔かなにかの養殖いかだが浮いている。

前回も泊まったその民宿の女将は、なんと私のことを覚えてくれていた。「今回もあれですか?あの、桜の……?」

前回と同じ、「桜」という名前の部屋にしてくれた。嬉しかった。

夕食は相変わらずものすごい量で、やっぱり海鮮がとても美味しかった。日本酒の飲み比べセットを頼んでいたのだけど、あまりにお腹がいっぱいで一部を部屋に持ち込んだ。閉幕したばかりのWBCの動画をまた観てしまう。

明日は早起き、しかも運転と植樹があるのでばたばたと早じまい。


まだお腹いっぱいの状態で朝食(それでもやはり美味しい)をいただく。
あまりに満たされたので、宿を出るとき「また来ます」と思わず言ってしまった。そんなに気軽に来られるところではないのだけど。


街の中心部へ。

慰霊碑があった。
たくさんの方の名前が、まだ彫られたばかりのように真新しく、そこに記されていた。毎日丁寧に掃除されているのだと思った。
その向こうに広がる、一段低い平らな土地はこれからどうなるんだろう。ショベルカーがその日一日じゅう動いていた。

隣にあった隈研吾ふうの建物は博物館だった。ここがとてもよかった。
入場無料なのに人がぜんぜんいなくて、三陸の太古からの歴史や文化、生き物のことがとてもよくわかる展示だった。

入り口を入ってすぐ、何かの動物の頭骨と、震災のときに書かれたらしい書き置きが展示されている。
勝手に持ち去られないよう、誰かが市教委の名の下に残したメモだ。ここから展示品の果てしない回収と修復の道のりが始まった、と横に書いてある。

文化や文化財は、生きるのに必要不可欠なものではないけれど、それらを失った人間は浮島のようなものだ。人間が地に足をつけて生きるには、どうしても歴史が必要だ。

レンタカーを借りて、津波復興祈念公園のほうへ。

3年半前にはまだなかった、津波伝承館はすごかった。体験した人の声、声、大破した橋や車の残骸、津波の映像、

忘れたくても忘れられないできごとに、なんとか折り合いをつけながら、ほとんど何も残らなかった場所で残された命と思い出をつなごうとする人がいる。

大昔から津波の被害を受けてきた沿岸地域では、後世の人が同じ苦しみを味わわないことを願って、石碑が数多く立っている。その石碑の教えを守って、海に近いところに家を建てなかった村では津波被害を免れた、という話があった。

石碑では守りきれないものを、桜で守ることができるのか。答えは数百年経ってみないとわからないのかもしれない。果てしない活動。


復興祈念公園。広い。空が広い。
階段を登った先で、一気に視界が開ける。水平線が遠ざかっていく。
すべてを流していった波はなく、静かに揺蕩っている。ふり返れば歩いてきた一本道と資料館の建物が見える。

奇跡の一本松まで歩くことにした。
前回はこのあたりもまだ整理されてなかった気がする。道端にふきのとうみたいな植物が大量に咲いている。

曇天を一本松の黒いシルエットが裂く。最初に見たときは本物だったけれど、枯死してしまったあとの今はレプリカが立っている。

その隣にユースホステルの廃墟があった。波打つように建物がぐにゃりと縦にゆがみ、先端は地面と水たまりに突っ込んだような形。
水のエネルギーのはかりしれない強さを感じる。

気づいたら植樹の集合時間まで1時間を切っていた。ぎりぎりだが、せっかくなので初めて植樹をした場所をめざす。

しかしどうやらカーナビが古い。というより、道路が日々更新されるので、カーナビのほうが追いつかないのだと思う。かなり頻繁に、道なき道を示してくる。

Googleマップでピン留めした場所の近くまで車を走らせたが、下の道路に降りる道がなくなっており、結局到達できなかった。

残念だけど今回はあきらめ、集合場所に向かった。


前回までは他の参加者とグループを組んで複数本の桜を植えたが、今回は完全に私一人での植樹だった。サポートしてくれるスタッフさんに挨拶して、現地に向かう。

植樹地はぱっと見では、山の中の農村というかんじ。その場所からは見えない後方から、鬱蒼とした杉林を超えて波が浸水したらしい。

植えたのはエドヒガンザクラのまだ若い木だった。まず黙祷をして、手順やコツを指示してもらいながら作業を進める。

スタッフさんに当時の話をきいた。
前回は同じグループの北海道からきたおじいさんたちが主導してくれたのでおとなしく指示に従うだけになってしまったけれど、今回は一対一なので、体を動かしながらもいろいろな話を聞くことができた。

里山は決して暖かいとは言えない天気だったが、足元には福寿草が咲き、ふきのとうが開花していた。あのぽつぽつ群れている小さい緑色の植物、やはりふきのとうだったらしい。
これから福寿草がどんどん咲いて、そのあたり一帯に一気に春がくるのだという。

植えた桜は、何年後に花を咲かせるのだろう。

来る前は一人で作業をやりきれるかとても不安だったけれど、なんとか無事に植えられてほっとした。

植樹のあとは、近くにある温泉に行くつもりだった。そのことを話したらスタッフさんがそこまで先導してくれると言うので、ありがたくお願いした。

到着した先の駐車場の目の前に海があった。下は絶壁。
近くに展望台があるよ、と告げてスタッフさんは帰っていった。何度もお礼をした。

先に展望台まで歩く。林を抜けると着いた。見晴らしがよくて、展望台ごと吹き飛ばされそうなくらいの風が吹いていた。あの水平線から10mを超える波が来たのか。

温泉は昔ながらの雰囲気だった。お湯は少し熱め、硫黄臭がそこまで強くないところがよかった。


Googleマップを見ながら街に戻る。さえぎるものがない夕日がまぶしかった。

レンタカーを返して、それでも気仙沼行きの電車まで時間があったので、2回目の植樹地を見に行こうと思った。そちらは比較的街中にある。

Googleマップにピン留めした場所は、今も空き地だらけで何もなかった。たぶんこの木かな?と思いながら近づくと、足元にころころしたフンみたいなものがある。

周りを見てみたら、近くでシカが2頭、草をはんでいた。こんな街中にもいるのか、とびっくりした。
植樹のときにシカ除けネットを幹に巻くのだけど、その必要性をこんなところで実感してしまった。

とにかく、(たぶん)3年前に植えた木が育っていたことは嬉しかった。
こうして数年おきに活動に参加しながら、成長を見守れたらいいと思う。


浸水した平地に夕日がうっすら落ちる。陸前高田を去るとき、あたりは晴れていた。
また来ようと思った。


3日目の夕方、新幹線で帰京。
都心が近づくにつれ、満開の桜が明らかに増えてくる。
東京は、春だ。東北にも、春が来ますように。




これは先日、陸前高田で「桜ライン311」という活動に参加したときの記録です。

この活動では、東日本大震災のときに津波が到達したラインに沿って桜を植えることで、万が一、同じくらいの津波がきたとしても人々がその桜並木をめざして避難できることを目指しています。

植える予定の桜は17000本。現在までに植樹が完了しているのは2000本。

前々職の会社のCSR活動の一環で初めて植樹に参加し、以来3回目の参加となりました。この7年ほどの間に土地の嵩上げがほぼ完了した陸前高田では、徐々に本来の街が形成されつつあります。

土を運んできて数メートルの高さまで積み上げて均すという、果てしない苦労を経ても、なおこの場所で根を張って生活している地元の人たちの思いに頭が下がると同時に、桜という命あるものを皆で手入れしながら、津波のことを語り伝えていくという運営のみなさんの意志に心を打たれます。

細々とではあるけれど、これからもずっと応援しています。


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