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日本百景にも選定されている展望が望める|朝熊ヶ岳(三重)

更新日:令和3年5月30日|登山口から山頂まで2時間位|体力★★☆☆☆・展望★★★★★・静けさ★★☆☆☆・技術★☆☆☆☆・危険度★☆☆☆☆・初心者向け|三重県の伊勢の志摩半島の最高峰である朝熊ヶ岳に元職場の同僚だった今村さんと一緒に2004年5月26日に登った山行です。低山なので初心者でも気軽にトレッキングと日本百景にも選定されている展望が望め、金剛證寺参拝が楽しめる山旅となっております。

朝熊ヶ岳(555m){アサマガダケ} 一等三角点    


◆都道府県:三重県(伊勢)
◆登山日:2004年5月26日
◆同行者=今村さん 

津軽半島の山旅を1週間後に控え、京都の徳本さん企画で湖北の百里ヶ岳・三国山へ山行して、2日置いて山梨のロッジ山旅企画で静岡の篠井山に山行する計画が組み込まれていた。


再度出直しするのもおっくうなので、伊勢に在住の今村さん元職場の同期に電話して、何処か良い山は無いかと問い合わせ、伊勢はお参りしたかと言われ、行ったと答えると案内してくれたのが朝熊ヶ岳であった。

それは、ようこそ朝熊岳道へ「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」登山口の案内板には右の通り記してあり、お陰でこの山行で片参りが解決できる。

朝熊山あさまやまは、伊勢市と鳥羽市の境界にそびえる朝熊ヶ岳を主峰とする連山の総称で、伊勢志摩国立公園(戦後第一号に指定)の中で最高峰を誇る景勝地。


山上に、伊勢神宮の鬼門を守る寺として、「伊勢神宮の奥之院」とも言われる「金剛證寺」があり、その昔は伊勢神宮を参拝した際には必ず金剛證寺も参詣する習わしがあった。


往時は、四方から5本ほどの参詣道が有り、ほとんどが江戸時代に建てられた丁目石や巡拝塔・石仏等の石造遺物が佇んでいる。


当時は東洋一いわれた「朝熊登山ケーブル」跡など御覧なりながら登って下さい。この様に説明板があり、その中の一本の道である朝熊ヶ岳道から入山した。

朝熊岳道登山口

舗装された桧木立の薄暗い登山道を進んで行くと、
コアジサイやヨメナが咲き誇り新芽のシダ類が林床を埋め、
ひと時の安らぎを与えてくれる。


中には桧の大木に太い根が一巡していて、
自然の力強さと生の積み重ねが凄い。

桧に絡んだ蔓

ゴロタ石や岩盤が露出している箇所もあり歩き難かったが、
やがて明るく開けた尾根に上ると、黄色い小さな花をつけたウマノアシガタやタニウツギが咲く先に伊勢湾が望めた。


暫く進んで二十二丁目石や石仏が佇んでいる場所に到達した。

二十二丁目石

ここにも説明版が有り、この下を当時(大正十四年)
東洋一の施設としてケーブルカーが敷設されていた。


また、ここは貴重な道路遺産として、山頂駅から「とうふ屋旅館」を経由して金剛證寺に至る参拝客をボンネットバスが運行していた。
バスと言っても乗客は精々15人ほどで満員だったであろうと推測。

やがて真珠王の御木本幸吉の別荘跡を過ぎ、宇治岳道と合流して左へと進み、緑濃い常緑樹が林立する広い山頂では、ホトトギスやウグイスそしてホオジロたちが囀り山上の楽園らしい雰囲気だ。

山頂にて

山頂は八大龍王社の境内で、ここから奥之院を結ぶ道に下り、
極楽門を右に上ると山名表示石と一等三角点標石が真中に構えていた。

一等三角点


その奥の植込みの中に大きな水準点標柱石もあった。

水準点

山頂を踏んでから、伊勢湾台風で薙倒された大木が散乱する経塚を経由して、金剛證寺に参詣して両参りを結願して次の訪問地である掛川へと向かった。


それにしても金剛證寺のおびただしい限りの塔婆には驚いた。

金剛證寺にて 今村氏と

後日の今村さんによれば伊勢地方では人が亡くなると、
岳参りといってここ金剛證寺に卒塔婆を奉納する。

特に漁師町であるので一本何十万円もする卒塔婆を立てるのも珍しくないとの事だった。前夜は四十数年振りに同期の松井氏と3人で親交を温めた。


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