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墓参りが人格形成に影響を与えているかもね

こんにちは。墓参りをすると夏を感じます。たむです。

気温も上がってきてお墓参りの季節になりました。
皆さんはお盆やお彼岸にお墓参りに行っているでしょうか。
私は毎年祖父の家に行くついでに必ず連れていかれました。何のために行くのかもわからないけど父がうるさいので従っていました。
都市部であれば霊園が近くになくあまり行っていない人も多いのではないでしょうか。また仏壇などが身近になくご先祖様への意識が高くない人もいると思います。

別に行こうが行くまいがその人の勝手なので別にどうでもいいのですが、ある興味深いアンケートを見て墓参りの意味について考える必要があるなと思いました。

そのアンケートとは受刑者の心のケアを行っているお坊さんが「お墓参り」について受刑者に取ったもので、受刑者の98%がお墓参りをしたことがないと回答したそうです。

ただデータの信ぴょう性に欠け、お墓参りの経験以外の収入などの介在変数が必ずあるのでこの結果を盲目的に信じるのは良くないですが、言っていることは一理あるのかなと思います。

僕は先ほども述べたように毎年のように墓参りに連れていかれました。高校の時は行く理由が全く見当たらず拒んだこともありましたが、父親がどうしても連れていきたそうにしていたのでなんだかんだ20年間墓参り皆勤です。

ただお墓掃除をして線香をあげるだけではなく、僕の父は必ずだれが曽祖父で何歳の時に亡くなったということを説明してきます。これも毎回同じような話をされるので何の意味があるんだろうと思いながら聞き流していました。

しかしそのような話を聞いているとばあちゃんの良く言う「ご先祖様が見ているよ」という話が信ぴょう性を増してくるんですよね。見たこともないひいじいちゃんですがそこにいるような気がしてなりません。
この商品取ってもばれないんじゃないか?といったようにごくまれに魔が差すことがあります。そんなときも誰も見ていないようで神様とかご先祖様には見えているんだよなと思って踏みとどまったことがありました。

このように墓参りをすることで、墓参りをしない人に比べてご先祖様を身近に感じられ、潜在的に悪いことができないように植え付けられている気がします。感覚的なものなのでエビデンスはありませんが同じようなことを思っている人は少なからずいるのではないかと思います。

時間の無駄だとかこの世にいない人にあーだこーだしても仕方がないと言われればその通りとしか言いようがありません。しかし幼少期にご先祖様の大切さを知ることのできる墓参りは決して無駄ではないと思います。
墓を建てるのはかなりの費用が掛かるためなくてもいいのかなと思いますが、すでにお墓がある人は時間とわずかなお金をかけてお墓を掃除してみてもいいのではないでしょうか。
何か人として大切なことを得られるのではないかと思います。

当初思っていたよりもスピリチュアルな話になりましたが要するに言いたいことは墓参りする機会があるなら文句を言わず黙っていってみたほうが良いということでした。

読んでいただきありがとうございました。ではまた!!!

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