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『魂の光』解説年間講座 第1回レポート(後編)

前回に引き続き、『魂の光』解説年間講座の第1回目で学んだことを書いてみます。


著者による違い

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『魂の光』はアリス・ベイリー(+ジュワル・クール大師)が秘教的観点を加えて『ヨーガ・スートラ』を解説した書、でしたね。

『ヨーガ・スートラ』は多くの解説本が出版されていますので、その違いを比較したものを教えていただきました。

講座内では、『魂の光』と比較する本として、向井田みお(神尾先生も一時期所属されていたアンダー・ザ・ライト・ヨガスクールのヨガ哲学の看板講師だそうです!)著の『やさしく学ぶYOGA哲学ヨーガスートラ』と、スワミ・サッチダーナンダ(おもろい名前!)著の『インテグラル・ヨーガ』と、伊藤 武(普通の名前!)著の『図説・ヨーガスートラ』の3冊を見ていきました。

それぞれの解釈に行く前に、下記で表現の違いを比較してみてください。

スートラ解釈比較

さすが秘教、『魂の光』だけ圧倒的に意味不明ですね!


向井田さんのヨーガ・スートラ解説

向井田さんの『やさしく学ぶYOGA哲学ヨーガスートラ』の特徴は、神尾先生曰く、「目次が良い」とのことです。目次の題目がスートラの中身をうまく要約していて、目次を見ているとスートラが思い浮かぶそうです。

『やさしく学ぶYOGA哲学ヨーガスートラ』では、サマーディ(先週説明した、ラージャ・ヨガの8つのステップの最終段階の悟りの境地のこと)について下記のように説明しています。

サマーディとは考えを止めることではなく、深い理解やひらめきを得るために、考えや感情を静かにし、穏やかにしておくという意味です。もし、サマーディが超越状態などという特別な現象やイベントだったら、平和で穏やかな自分でいることを維持することは難しくなってしまいます。
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どんなときも、常に穏やかな自分自身でいること、それがYOGAの目的です。

そして、常に穏やかな自分自身でいるには「心を収める」練習をする必要があると言っています。

「心」は自分自身ではなく、本当の自分は心が動くことを可能にしている意識の源。
自分と心の違いを見極められず、2つを混同して考えの動きに翻弄され、心が捕まえていることに自分まで一緒になって悩み苦しむのが「人の苦労のはじまり」なのだそうです。

このように、変化して流れる存在である心を収めるには、心の動きを1つの対象に定め、意思で心を1つの方向に流し続ける練習をすること、その練習を普段からしていると日常生活の場面で応用が利き、心が乱れ暴れそうなときに冷静に対処できるようになるそうです。

瞑想ってなんのためにしているのかよくわかっていなかったのですが、自分と心を切り離す練習をしていたのですね。


サッチダーナンダのヨーガ・スートラ解説

サッチダーナンダの『インテグラル・ヨーガ』は、ゆるめの雰囲気で書かれていて、独学の人はまずこれを読む、と言われている本だそうです。

『インテグラル・ヨーガ』でも、ヨーガの定義、そしてその実修の定義として下記のように書かれています。

心の波立ちを制御することができたら、その人はヨーガをしていることになる。

そして、外界のすべては、自分の思考(想念)と心理状態に基づいている、としています。

心という湖が濁っていたり色がついていたりすれば、自分自身が濁っていたり色がついていたりするように見えるので、本当の像が見えるように、その水をいつも澄んだ、穏やかな波のない状態にしておかなければならない、ということだそうです。

本当の自分はいつも同じだ。だが、歪んでいるように見える、つまり心とごっちゃになって見えるー。
だから、心の汚れを落としてきれいにすると、「これで戻った」と感じる、つまり、自分が現状を回復したかのように見える。


伊藤さんのヨーガ・スートラ解説

伊藤さんはインド好きで、インド文化にも造詣が深いそうです。独特な手書きの絵が説明補助になっていてわかりやすいです。

『図説・ヨーガスートラ』では、『ヨーガ・スートラ』を知るためには、まずサーンキャ哲学を知らねばならぬ、と書かれています。

サーンキャ哲学とは、ヨガの目的「自分自身でいること」の ”自分自身が何か” を説明した哲学です。
よって、ヨガ探究者には必須科目とされているわけですが、

が!我らが神尾 学先生は気づいてしまいました。「そんな難しいこと学ばなくても、秘教さえ学べばOK!」だということを。(いや、秘教で十分難しいのだが、と突っ込みたいですがね。)

神尾先生の大発見(『ヨーガ・スートラ』の理解に「サーンキャ哲学」は必須ではない!)の詳細を知りたい方はこちらを是非ご覧ください。


アリス・ベイリーのヨーガ・スートラ

先週説明しています『魂の光』でも、上述の本と同じように、本当の自分は心でなく魂であること、知性フィルターの動きをしずめて直観へのルートを開発していくことがヨガであることが語られていました。

しかし、『魂の光』の序説にはもっと興味深いことが書かれていました。
秘教の壮大な世界観が見えて面白いのですが、なんと1000万年以上前からヨガが存在していたというのです。

これは別でちゃんと説明をしようと思っていたのですが、私たちって何人種か知っていますか?
今この地球上で生きている人類は「アーリア人種」です。

ちょっと何言っているかわからない? ですよね。

いずれ詳細を説明しようと思いますので、まあ深く考えずに受け入れてみて欲しいのですが、
秘教的には今の私たちは「第五根本人種:アーリア人種」であります。

その1つ前は「第四根本人種:アトランティス人種」(約10万~1200万年前)で、その更に1つ前は「第三根本人種:レムリア人種」(約1200万~2000万年前)です。

『魂の光』によると、そのレムリア人種に当時のアデプトたち(達成者≒大師)がハタ・ヨガを教えていたそうなのです。(ただし、このハタ・ヨガは、肉体のヨガではありますが、今行われているものとは全く違ったもののようです。)

当時のアデプトたちの課題は、ほとんど動物と変わらないそのときの人々に、様々な器官の目的、意義、使用法を教えることで、彼らがそれらを意識的に統御できるようにし、人体という象徴の意味を教えることであった。そのため、この初期の時代において、人間はハタ・ヨガの実践を通してイニシエーションの門に到達したのである。

そして、更にアトランティス時代のヨガについては下記のように書かれています。

アトランティス時代には、人の子らの進歩は二つのヨガを課すことを通して獲得された。最初にラヤ・ヨガと呼ばれるヨガが課せられた。それは人間のエーテル体とセンターを安定させ、アストラル的なサイキック性質の発達を促す、センターのヨガである。後になって、情緒体つまりアストラル体の発達から生まれたバクティ・ヨガがラガ・ヨガと合体し、他ならぬ私たちアーリア根本人種にとって基礎になる刺激である神秘主義と献身の土台が築かれた。

そして、我々アーリア人種においてのヨガについては下記のように書かれています。

アーリア人種において、メンタル体の征服とマインドの統御をラージャ・ヨガの実践を通して成し遂げること、そしてアデプトになるイニシエーションである第五イニシエーションが、進化を続ける人類の目標になっている。

面白いですね。それぞれの時代には、それぞれの目的~進化に適した、役割を持ったヨガが与えられ、そして実践されて次の段階に進化してきたということなのですね。

なので、例えば、今ハタ・ヨガを実践したりセンターを目覚めさせようとする訓練への回帰は、秘教的には「退行」と言えるのでしょう。

アーリア人ならラージャ・ヨガを実践せよ!ということでしょうか。

もうひとつ面白いことが書かれています。

このラージャ・ヨガは、インドで生まれましたが、どうやらこのアーリア時代に西洋でその頂点を向かえるらしいです(1965年から2025年の間に最高潮に達するであろう、と予言風に書かれています)。

パタンジャリもビックリ!?な予言ではないでしょうか。


ヨガの世界も面白そうですね。
ということで、『魂の光』解説年間講座、第1回だけ様子見での受講のはずだったのですが、続けて受講する所存です。ここでもレポート続けていきますのでお楽しみに~!

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