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『魂の光』解説年間講座 第11回レポート(後編)

今日は『魂の光』解説年間講座、第11回レポートの後編を書きます。

前編では哲学で言うところの「存在論」的なお話でしたが、後編は「認識論」的なお話になります。
よってもって理屈っぽくて難しめな内容が多いのですが、はりきって?参りましょう。


過去・現在・未来は存在しているのか?

大乗仏教で語られている「唯識(ゆいしき)」の見解では、「一切は空であり、過去・未来は存在しない。すべては実体のない、識のなかの出来事である。」としています。
現象世界および心は、すべて認識という姿をとっているのであり、刹那刹那に滅し、そして生じている。したがって、それらは実在ではない。現在のみが在り、過去・未来はない、という考え方です。

一方『ヨーガ・スートラ』では、「三世(過去・現在・未来)は在る」とされています。
現象は未来からやってきて、過去に去ってゆく。しかし、過去のものであれ、未来のものであれ、直観知の対象となるので、過去・未来はそれ自体として存在している、という考え方です。

現実世界を生み出した元素であるプラクリティを構成する要素である三グナ(サットヴァ・ラジャス・タマス)は実在しており、それゆえ、三グナから作られる一切も三世にわたって実在する、とされています。


ふたつの道

進化にはふたつのラインがあります。

ひとつは「死の道」。これは魂が自分自身を形態と同一化している状態です。まあフツーの人間はこの状態ですね。自分の肉体=自分だと思っています。

もうひとつは「光と生命の道」。これは魂が自分自身に気づき、形態との同一化を終えて自分自身の道を歩むようになる状態です。自分=肉体ではなく、自分=魂だと気づき、魂の方向に歩んでいる人たちがこれです。

これは、どちらもそれぞれにとっては正しい道であって、肉体やアストラル体に潜んでいる衝動は、それ自体は悪ではありません。正しい使い方から外れた時に、ある観点から見て悪であるということになります。

自らの形態の進化は、まずは形態との同一化を拒絶することによって、次に形態を刺激することによって手助けすることができます。


意識と形態

思考者のマインドが物体を形成している限り、物体は存在し、形態になり、活動を続けます。
言い換えれば、私たち自身の思考原理の変異によって私たちは自分自身の世界を築き、自分自身の環境を創造するのです。

他の人々が私たちの見るものを知覚するのは、彼らのマインドの変異のいくつかが私たちと似ており、彼らの反応や衝動がいくつかの点で私たちと同じだからだそうです。

しかし、物体が同一であっても、マインドと物体を生み出す原因は様々なマインドに違いがあるため別個のものになります。物体という存在はマインドの外にある対象なのです。


自分と神は相似形

多くのマインドは、(科学が認める)原子のマインドから神自身のマインドに至るまで、あらゆるレベルの思考者とあらゆる段階の認識を通して、私たちの太陽系のあらゆる形態を生み出す原因となっています。

私たちが無限に小さいものから無限に大きいもの、小宇宙から大宇宙へと考えを進めるにつれて、意識状態が斬新的に拡大し、認識状態が着実に増大していくことが明らかになります。

人間が自分自身の想念形態について理解するにつれて、そして自らの環境を創造し自らの人生を色づける方法を理解するにつれて、神の偉大な想念形態である太陽系とその維持についての理解は成長するのです。

自分をよく観察すれば、神のこともわかってくるということですね。


私たちは私たち自身であるものを見る

なんだか問答のようになってきましたが…

私たちは自分自身の中に発達させたものを他の形態の中に認識します。
私たちが他の人の中に魂(第2様相)や生命(第1様相)を見ることができないのは、私たちの中ではまだそれらの様相が未発達で潜在したままだからなのです。

マインドが対象の色に着色されるか着色されないかに応じて、対象は知覚されたり知覚されなかったりします。

例えば、私たちが同胞の中に神性を見ることができないのは、自分自身の中にある神性にまだ接触していなのから気づけないということです。


マインドは仲介者

『ラージャ・ヨガ経典』では、マインドは単なる道具として位置づけられており、上から流入するものと下から影響を与えるものを感知する感光版でしかないとみなされています。

例えば、目は私たちの主要な感覚のひとつであり、それは知識を得るための物であり、私たちが見るための媒介です。
しかし、私たちは、目そのものを光の源、啓示を生み出すものとはみなしていません。目は物質界に関する情報を脳に伝える特定の光の波動に反応する道具、物質界にある素晴らしい受信版であることを私たちは知っています。

それと同じように、魂にとっては、マインドもまた、情報を得るための目つまり窓として機能するが、光やイルミネーションの源そのものではないのです。

マインドは二重の機能を持った単なる道具にすぎず、二つの方向のうちの一つからの接触を感知し、その知識を魂から脳へ、もしくは低位人間から魂へと伝達する役割を持っています。

このマインドという道具を最大限に活用できる状態、サンヤマが目指すのはこの状態のことなのです。


マインドから直観へ

マインドが仲介者になることによって、「知る者」と「知識の領域」と「知識そのもの」は一つに結合します。
いずれは直観がマインドにとって代わり、メンタル知覚に変わって直接的な霊的知覚が起こるようになります。

この段階になると、三重の低位人間全体が浄化され、支配され、肉体と情緒体(アストラル体)とメンタル体が聖なる光を伝える単なる経路になり、神の愛と生命を顕現するための媒体になっているため、もはや霊的フォースと知恵が脳へと降下するのを妨げるものはなくなります。

直観降ろしまくり状態ということですね。この「全知になる」ということが第四の書のゴールとなっています。

次週のあと1回分で第四の書も終わります。この人間超越編、どんな締めくくりなのか楽しみです。

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