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『魂の光』解説年間講座 第7回レポート(後編)

今週は『魂の光』解説年間講座 第7回のレポート後編です。


第二の書終了

今回で『ヨーガ・スートラ』の「第二の書」で書かれている部分が終わります。

先週はラージャ・ヨーガの八支則の最初の2つである「ヤマ」と「ニヤマ」について具体的な説明をしてきましたが、今日はその続きの3つ、「アーサナ」「プラーナヤマ」「プラティヤハラ」について説明します。

ここまでが瞑想に入るまでの準備段階となっています。
逆に言うと、この1~5までのステップが出来ていないと効果的な瞑想はできず、サマーディ達成は見込めません。


アーサナ

快適で安定した楽な姿勢のことを「アーサナ」と言います。

瞑想をするにはこの正しい姿勢を達成する必要があります。
安定していない姿勢で瞑想を始めても、「なんか腰が痛くなってきたな」など、身体に意識が行ってしまいます。肉体の存在を最も早く忘れることのできる姿勢が最良なのです。

『魂の光』では正しい姿勢について具体的に書いてあります。

一般的に言って、快適な椅子に背筋を伸ばしてまっすぐに座り、足を自然に組み、手は膝の上で組み、目を閉じ、あごを少し引くのが西洋の熱誠家にとって最も良い姿勢であると言えるであろう。

「西洋の熱誠家にとって」と書いてあるのは、これが椅子に座るバージョンということですね。東洋人なら胡坐をかくのが一般的でしょうが、こんな緩い感じでもいいんでしょうか。まあ、西洋人が無理に胡坐をかいて足が痛いとかで集中できないと意味ないですものね。


アーサナは肉体だけの話じゃない

『魂の光』では、アーサナは肉体だけの話ではないと書かれています。
つまり、瞑想中の安定した不動の肉体の姿勢、という意味合いだけでなく、アストラル体的にも堅固で安定した揺るぎない状態であること、メンタル体的にも完璧に統御され動揺することのないしっかりとしたマインドであること、を「正しい姿勢」だと言っています。

多くのヨガ解説本では「アーサナ」は肉体的な姿勢にフォーカスして説明がされていますが、秘教的には肉体、アストラル体、メンタル体の3つのうち最も重要でないのが肉体の姿勢だ、とのことです。肉体にフォーカスしていると肉体の存在を忘れることができませんからね。


プラーナヤマ

プラーナヤマは「呼吸を整えること」です。アーサナで正しい姿勢を達成した時、吸息と呼息は適切になります。

ヨーガの呼吸法はいろいろあるようですが、「スカー・プールヴァカ」は簡単で快い呼吸法で、吸息と呼息の割合を1対2で行うそうです。5秒で吸って、10秒で吐く。。そして秒数を徐々に伸ばしていく。10秒で吸って、20秒で吐く。。。ちょっと苦しそうですね。
そこまで行ったら、間に保息(息を止めること)を挟みます。10秒で吸って、5秒息を止めて、20秒で吐く。。。

やってみたけど、20秒かけて吐くのは難しいですね。あと、何秒だか数えたりしていると永遠に無心になれない気がします。。


ケーヴァラ・クンバカ

瞑想が深まると、意識的に保息しなくても、無作為の楽な保息が自然におきるそうです。それをケーヴァラ・クンバカと言い、瞑想時の理想的な状態とされています。

無作為の保息。例えば、読んでいる本が面白くて引き込まれているような深い集中の時も息が止まっていることがあるようです。突然悪い知らせを受けた時なども息が止まってしまうことがあります。

ジャパや瞑想が十分に深ければ、息は2、3分止まることもあるそうで、サマーディでは何時間も止まることがあるそうです!そんなに息をしないで死なないでいられるのでしょうか?

深い瞑想状態だと、そこにはエネルギーの消費がないので、酸素などのエネルギーを補給する必要がなくなるのだそうです。脳の活動にたくさん酸素を使うって言いますものね。思考を止めることができれば、酸素も少なくてすむということですね。

でも、もし寝た姿勢で瞑想している人がいて、呼吸がとまっていたら、死んだと思っちゃいますよね。


呼吸法の重視は危険

『魂の光』では、呼吸という肉体的な行為を重視しすぎるのは正しくないと言われています。

極めて必要なことは、パタンジャリ先生が示す順序に従ってヨガの方法を行うことだそうです。呼吸によってエーテル体を調整しセンターを目覚めさせようとする前に、ヤマ・ニヤマ・アーサナを重視すべきとのこと。

クンダリーニに関する注意点でもありましたが、準備体操なしにハードな運動をすると怪我をしちゃうということですね。


プラティヤハラ

プラティヤハラは「抽出」という意味です。
プラーナヤマによって心を落ち着かせたとしても、まだ完全な適性には至っていなく、心をあちこちへ引っ張ろうとする感覚がまだ残っています。心が静寂に包まれた状態になっていたとしても、カレーのいい香りがただよってくれば、鼻は心をそっとしておいてはくれないし、お腹も鳴ってしまいます。

感覚を統御するのはとても難しい。1年や2年の修練でそれが習得できたなどと思うのは早計なのだそうです。

感覚的な享楽を避けることで何かを失うと考えてはいけないそうです。
感覚を満足させてしまうと、一時の楽しみは得られるだろうが、後でもっと大きな落胆が訪れる。統御によって得た喜びは、一時的な喜びよりも長く続くとのこと。
感覚に振り回されず、必要な時にコントロールして使う感覚の主人となることが、本当の自由であり、真の勝利なのだ、ということです。

秘教的に言うと、感覚がマインドに同化することがプラティヤハラで、これができたとき、真の瞑想と観照が可能になるということです。


第三の書

次回からは第三の書に入ります。
第二の書まででマインドを統御するところまで行きましたが、マインドを統御し、熱誠家が低位人間全体の完全な支配者になるための方法が第3の書で書かれているようです。
残りの3ステップ、「ダラーナ」「ディヤーナ」「サマーディ」の具体的実践方法ですかね。

『魂の光』では、『ヨーガ・スートラ』は厳密な科学の教科書である、と書かれています。
サマーディに至る道筋に関して、段階を踏んだ正確な方法が示されているからです。

再現性がある科学的な実践方法であるということは納得でき、やるべきことも具体化されだいぶ理解が進みましたが、やっぱりゴールまでの道のりが長すぎて最初の一歩がはばかれる、と思ってしまうヘタレな私。でもマイペースに歩んでいこうかと思います。

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