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「豊かな食」に大切な1つのこと

僕は、人生を豊かにするために食の時間を削るのはもったいない!

なぜなら人間は唯一、料理をする動物だからです。料理によって人類が発展してきたと言っても過言ではありません。そこにある文化に目を向け、それを楽しむことが人間としての豊かさにつながります。

しかし、豊かという言葉は抽象的な言葉であり、人によってもその定義が違います。例えば、大勢で食べることに豊さを感じる人もいれば、そうでない人もいます。毎日の白米に豊かさをこれでもかと感じている人もいれば、豪華なレストランでしか、豊かさを感じない人もいるでしょう。

だから、食の豊かさについて、こうだと決めつけることはなかなか難しいことですが、僕が思う豊かな食について1つだけ書いていきたいと思います。

安全やおいしさなどの基礎、基本については、これまでたくさん言われてきたことだと思いますので、それ以外のことを今回は書いていきます。もちろん、これがすべてではありませんが、これがないと豊かだと感じることができないと確信しています。


結論から言うとそれは「時間」です。

豊かさにはある程度の時間が必要だと思っています。それは豊かだと感じるためには、余裕が必要になってくるからです。南国のリゾートを思い浮かべてください。青い海に白い砂浜、豊かに見えるのは、時間の流れがゆっくりしているからです。

逆に、他人から「早くしろ」とせかされながら、行動するとき、豊かさはあるのでしょうか。僕はないと思います。食事の時も、時間をかけながら、じっくり味わうことにこそ、食の豊かさは生まれると考えています。

少し、過去の話をさせてください。

僕が、中学生で野球部だったころ。土日には練習試合がありました。午前中に1試合目が終わり、くたくたになってから昼ご飯の弁当を食べます。しかし、そこには時間が全くと言っていいほどありませんでした。

弁当は早く、残さず、全部食べる。これがそこのルール、正義でした。早い人だと、3分くらいで食べていたのではないでしょうか。

この時、味のおいしさを感じたのは一口目ぐらいで、ここに食の豊かさなんてものは一ミリも存在していませんでした。ただただ栄養をとるという行為になってしまってしまい、それでは他の動物となんら変わりありません。

人間が人間であるためにも、食事にはじっくり時間をかける必要があると思うのです。

しかし、こう偉そうに言っている自分ですが、給食の時間は早く食べないとやっていけないのが現実です。それぞれのクラスを回り、配膳の手伝いや、給食指導などを行うために、自分の食を犠牲にしていたんだなと、書きながら反省しています。


食べる時間におわれない、そんな生活を実現していきたいものです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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