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好きなことをして生きていく

好きなことをして生きていく

YouTubeの影響か、ここ最近でこのような言葉を耳にすることが増えた。個人でメディアを持てるようになり、多様化した生き方を送れる時代になったのは確かだと思う。だからといって幸せになれるチャンスが広がったかと問われれば、答えに窮してしまうのが正直なところだ。「個」の力を尊重するあまり競争が激化し、自己責任論が理不尽に蔓延る世の中を見ると恐怖を感じずにはいられない。

一昔前の、いい大学に行って、いい会社に入って、、といったレール主義は結果的に沢山の人を救ってきたかもしれないかもなぁとも思ってしまう(昔は協調性というものに辟易してきたものだが)しかしもうその時代には戻れないし「自助・共助・公助」を掲げた政治家が総理大臣になるあたり「自分の身は自分で守れ」という方向性が加速していくことは自明の理だろう。

情報や選択肢が増えていけばいくほど、能動的に生きていく必要がある。「好きなことを生きていく」のは抽象概念ではなく、とことん細かく「好き」の部分を分解して、幸せの形を自分でデザインする必要があるよねーということだと思う。

例えるならビュッフェを目の前にしてハッピーになるには、全部食べることでも、よく分からないものをちょっと食べることでもなく、自分の好きなものと適量を把握して、自分のペースでゆっくり食べることだ。

このように考えれば「好きなことが見つからない」という言葉は、溢れるような情報の中から探しきれていないだけということだ。自分の「好き」を分解しきれていないだけでもう見つかっている。現代人にとって大切なのはインプットではなく内面を見つめる瞑想の時間なのかもしれない。

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