雨子

【シークエンス】

 

 わたしは雨女だ。
 ここ一番のときには必ずと言っていいほど雨に降られる。クライアントとの大事な会合、好きになりそうな男性との初めての会食、学生のとき卒業旅行で初めて行った海外でも滞在中ずっと雨に降られた。
 子供のときからそうなのだ。七五三ではお宮参りで転んで着物が泥だらけになり、ピアノの発表会ではぐっしょりと雨を含んだ冷たいドレスのまま、「エリーゼのために」を弾いて最後にくしゃみを3回した。小学校の遠足では春秋12回のうち9回が雨、そのうち5回は中止に追い込まれるようなどしゃ降りだ。
 自分が何か非日常な状況になると雨が降る。そのことは子供の頃から気づいていた。初めのうちはそんな運命を呪ったものだが、中学に入った頃には諦めの境地に達した。ただ、そのくらいの年になると、だんだんとまわりの友達が気づき始める。わたしと何か特別なことをしようとすると雨が降るからだ。ディズニーランドに行く機会は2回台無しにしたし、東京に遊びに行くときもみんなに傘を持たせた。そしてわたしは友達から雨女と言われるようになり、いつの間にか雨子と呼ばれていた。
 だからわたしは日常から逸脱するような行動を徐々にしなくなっていった。

「週末の花火大会いこーよ」
「でも、わたしが行くと雨降るよ」
「あ、そっか」

「隣町でやる野外ライブに行こうよ」
「わたしは行かないほうがいいよ」
「あ、そうだった」

 徐々に友達から誘われる機会が減っていった。

 高校に入ってからも同じようなものだった。わたしは一人でいることが多くなった。でも、ある日を境にわたしの心持ちは一変した。

 ある晴れた日の放課後、図書館で本を読んでいるとテーブルを挟んだ向かいに人の影が立った。
「ここ、いい?」
 同じクラスの藤沢くんだった。まわりを見まわすと席はどこでも空いている。
「あ、いいけど」
 彼はもう椅子に腰を掛けて鞄のなかから参考書やノートを取り出している。わたしは読んでいた本に再び目を落とす。
 そのまま10分ほど黙ってわたしは本を読んでいたが、どうにも気になってしかたない。だいたいなんでほかの席に座らないのだろう。そんなふうにただ文字面だけを目で追いながら考えていると、藤沢くんが口を開いた。
「竹内って、雨女なんだって?」
 わたしは藤沢くんを見るが、彼は参考書に蛍光ペンをひいている。
「オレも雨男なんだ」
 わたしが黙っていると彼が続けて言う。
「雨男の宿命ってさ、みんなが楽しみにしているハレの日を台無しにすることじゃない」
 藤沢くんはようやく顔をあげてわたしを見る。
「でもね、中学のときに一度、雨男だったことを感謝されたことがあるんだ」
 わたしが何も言わずに次の言葉を待っていると、「聞いてる?」と彼は尋ね、すかさず「まあ、いいけど」と自己完結した。
「聞いてるよ。それで?」
 わたしの興味の度合いを確かめるように彼はわたしの目を覗きこむように見つめる。
「うん、それで、水泳大会の日だったんだよ。その日。その子が、あ、女子だったんだけど、どうやら水泳大会に出たくなかったらしいんだ。理由は知らないけど。朝のうちはどんよりした雲がひろがっていて、天気予報では昼頃から晴れることになっていたんだ。だけど、大会開始30分前にやっぱり来たんだよ、しかも風も巻きながら特大なやつが。オレは予想していたからギリギリまで着替えずに教室にいて、その子もまだ制服のまま教室にいた」
 興味深い話だった。わたしは黙って聞き入った。
「おもしろくないか」と独り言のように言い、彼はテーブルのうえのものを片付けようとした。
「おもしろいよ!」思わず大きな声を出したわたしに「しっ!」と彼は指を立てる。わたしは「続き聞きたい」と小声で言う。
 藤沢くんとはあまり話したことがなかったので妙に間合いが難しい。
「それで、荒れだした天気に心底ほっとしたように、その子が言ったんだ。藤沢くんのお陰だよ、本当にありがとうって。手を合わせて拝まれたんだぜ、オレは神様でも仏様でもないって」
 わたしが声を殺して笑っていると藤沢くんが真顔でわたしを見た。
「竹内がそんなふうに笑った顔って、初めてみたよ」
 そう言われて驚いた。わたしってそんなに笑っていなかったのだろうか。
「オレはね」と彼は続ける。
「雨、好きなんだよね」
 雨が好き、いままで一度も考えたことがなかった。雨はこれまでのわたしにとって呪縛でしかなかった。わたしを苦しめ続けてきた雨を、この人は同じ立場にありながら好きだと言う。
「えーと、この話、意味があったかな?」
ちょっと困った顔をして藤沢くんが訊く。
「ありがとう。本当に聞いて良かった」
わたしは精一杯の笑顔をつくって答える。

「突然、雨降ってきちゃったよー」
 入口のほうで誰かが話す声が聞こえた。
 こうして雨子であるわたしは、雨が好きになったのだ。

(おしまい)

tamito

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