深海より愛をこめて ⑤

【小説】

 

 夜空に輝く星々は、日が昇るとどこかへ消えてしまう。昔むかしの人たちは、昼と夜をまったく別の空だと考え、まるで二幕の芝居を見るように日々を過ごした。
 とっぷりと日が暮れて夜、地上にはちいさな篝火ほどのひかりしかなく、月の欠けた部分を見るように、地球は漆黒の宇宙にひっそりと浮かんでいた。
 ヒトは食物連鎖の上位に座し、あらゆる生き物の生態をつぶさに観察し、防御と攻撃を頭ではなく身体で覚えた。まだ、ヒトが動物の一種だった時代の話だ。
 それから20万年以上の時が過ぎ、ヒトは生存のための純粋さを失った。生きるための〈食〉が、護るための〈衣〉や〈住〉が、遺伝子を繋ぐための〈性〉が、洗練され、娯楽化され、ともすれば弄ばれた。ヒトが生命の木のひとつの枝であったことを忘れて。
 複雑な構造をした不純な欲望が世界を支配し、膨れあがった民衆のほとんどがそれに従い、従わないものを排除するシステムまでつくられた。教育課程は長い年月をかけて不純な欲望の構造を叩き込み、それを理解しないものを非とした。社会は〈構造〉そのもので、うまくまわっていたときはよかったが結局は破綻した。当たり前だ。そもそも無理があったのだ。洗練も娯楽も何もかもが行き着いてしまった。これ以上先なんて何もない。あとは『ちびくろサンボ』の虎のように、バターになるまでまわり続けるしかないのだ。行き着いた果ての夢を持てない〈構造〉は形骸化するしかない。
 そして、闇が生まれた。闇は、弱者を理不尽に攻撃あるいは嘲笑する強者を自認する人の心に生じ、高層ビルの影に潜んで人を襲い、流行りのハンバーガーのパンズに挟まれて急速に拡散した。
 だから僕らは、ペンを持つ者は言葉を操り、筆を持つ者は絵に思いを込めた。歌える者は淀んだ空気を震わせ、楽器を奏でる者は旋律で風を起こした。でも…。
 それさえも集団になれば結局のところ、不純な欲望の構造が生まれてしまう。では、真に純粋な〈生〉はどこにあるのか。ヒトはこれからどこへ向かえばいいのか……。

 

「んーーー、長っ!」

ん?

「我慢の限界よー!!」

え?

「長すぎる独り言なら、海の底じゃなく月にでも行って吐いてくれる? あそこには頬っぺたがプルプルっとしたかわいいお姫様がいるから、いくらでもやさしく聞いてくれるわ!」

ああ、とびきり美人の人魚の君か。

「だいたいあなたは考えすぎるのよ。よろしくて! 純粋な〈生〉を求めるなら、ただただ、あなたのやりたいようにやればいいのよ」

みんながみんな、やりたいようにやったら、世界はいまよりもっとひどくなるよ。

「世界なんて関係ないじゃない。それともまさか!公平を求めているなんて言わないわよね?」

真に公平な世界なんて存在し得ないよ。でも、世界がより良くなれば、とは思うよ。

「だったらやることはひとつね。あなたが正しいと思ったことをするの。頭で考えるんじゃなくて、心で感じてね」

考えるのじゃなくて感じる……ん?

「その結果、もし人を殺してしまったとしても、あなたは堂々としていればいいわ」

物騒な考え方だね。例え、どんな状況に置かれても、心で感じた結果として人を殺すなんてことはないよ。

「ふ~ん、別にそれを煽るわけじゃないけど、たかだか200年前までは、世界中で仇討ちが認められていたのよ。たかだか200年よ! あたしの年齢よりもずっと少ないんだから! じゃあさ、じゃあ、もし、あなたの大切な人が100%の完全な悪意によって殺されたらどうする?」

僕の大切な人…。んんんんん……。

「ねっ! 実は洗脳されっぱなしで、そのナントカいう構造を真ん中で支えているのはあなた自身なんじゃないかしら」

え……そうなの…かな? 僕が〈構造〉を支えている……?!

「だからね、あなたは過去の行いをやり直して練習するの。正しく、そして自由に生きるためにね」

でも、あれ、結構きついんだよね。エロ猿の件ではとっても嫌な思いをしたよ。

「きれいごとだけじゃ済まないのよ! よろしくて? 闇を払拭して世界をより良いものにしたいのなら、どぶ川にだって飛び込まなきゃならないんだからっ♪」

そんな楽しそうに言われてもね。

「問答無用だわ。さあ、行ってみよう!」

 

〈ゴォーー〉
え? ここは……。

  

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