欠けた月 後篇

【小説】


同級生たちが修学旅行から戻るまでの残り4日間を、僕らはありとあらゆる話をして過ごした。

水原月子は、地球での一般的な子ども時代の過ごし方に興味を持ち、特に月の街にはいない虫や生き物の話を好んだ。

夏の朝のカブトムシや川の上流での岩魚釣り、梅雨時の通学路のカタツムリの話などだ。

彼女は執拗なほどにディテールにこだわり質問を繰り返した。それはまるで、言葉を通して僕の記憶のなかの情景を自分のものにしようとするかのようだった。

はじめのうちは、自分の記憶が奪われるような気がして少し怖かったが、怖さは徐々に心地好さへと変わっていった。

記憶が他人と完全に共有されることの安堵感。僕がひとりではなくふたりになってゆく、ふたりの記憶がひとつになっていく不思議な感覚。

彼女と話をしていて僕は孤独ではなかったし、そしてたぶん彼女も同じ感覚にあることが、自然とわかった。

僕らは同化しはじめていた。


「それで、その初恋はどうなったの?」

ふたりきりでの特別授業の最終日、話は僕の初恋へと進んだ。月で同世代の異性がいなかった彼女は“男の子”の気持ちを知りたがった。

「小学生のときだからね、僕も相手の子も、自分が本当に相手を好きなのかなんてわからないんだよ。だから一度だけデートをして、その後なんとなく疎遠になっていった」

「ふ~ん、そんなものなんだ。私が葉月を好きなのとは違うのかな? 好きな気持ちって、同性と異性とでは違うのかな?」

「水原さんと葉月さんの関係が実際どういう種類のものかはわからないけど・・・」

「あのさ、よかったら月子って呼んでもらえる? 月ではみんなから名前で呼ばれていたから」

唐突に話を遮り、彼女は何のてらいもなくそう言った。

「そう言われても、僕は女の子を名前で呼び慣れてないから、すぐには呼べないよ」

彼女は不思議そうに少し顔を傾けて、「そうなんだ。じゃあ、そのうち呼んでね」と無邪気な笑顔を見せた。黙っていれば年齢以上に大人びて見えるが、飾らぬ笑顔は驚くほどに幼い。

心臓の鼓動が少し早くなった。僕は顔が赤くなっているような気がして、トイレに行くふりをして教室を出た。

廊下の窓から風を受けながら、僕は水原月子を好きになってしまったのかな、と自問した。

しばらく考えてみたが、答えはでなかった。

そのうちにわかるだろう、と結論を先に延ばし教室に戻ると、彼女が机に伏していた。

「水原さん、どうしたの?」

肩を揺すっても返事はなく、呼吸が荒い。

僕は職員室に走った。

すぐに救急車が呼ばれ、彼女は病院へと運ばれて行った。

僕は上履きのまま校庭で水原月子の乗る救急車を見送り、しばらくその場から動くことができなかった。

動悸が治まらず、胸の奥がズキンと痛んだ。

そして、彼女がいなくなったら嫌だ、という思いが湧き起り、激しい孤独感に襲われた。


彼女は1週間の入院を経て学校へ戻ってきた。

彼女が救急車で運ばれて行ってから僕は何も手につかず、彼女がいなくなったらどうしよう、という不安な気持ちに捕らわれていた。そして、彼女が生まれ育った月の街に一人ぼっちで立ちすくみ、やるせない思いで遠く青い地球を眺めていた。

病院に見舞いに行こうかと迷ったが、状況がわからず行ってよいものか判断がつかなかった。親や友達が僕の様子を心配したが、理由を話すことはしなかった。誰かに話してしまえば、ふたりだけのあの数日間の濃度が薄まってしまうような気がした。

そうして独りもがき苦しみながら1週間が経ち、彼女が学校へ来た。


僕は放課後になるとすぐに水原月子の教室まで行ったが、彼女の姿は見あたらなかった。

しばらく様子を窺い、誰かに尋ねようかと思ったときに、後ろからふいに肩を叩かれた。

振り返ると彼女が笑顔で立っていた。

「やっと来てくれた。待ってたんだよ」

まわりにいた何人かが、彼女の言葉に反応してざわついた。

僕は彼女の笑顔を見ただけで、安堵して全身の力が抜けた。

「よかった。いなくならなくて」

彼女は青い目を細めて、楽しそうに言った。

「いなくならないよ。こんなこと慣れてるから」

「僕は慣れてないよ!」

彼女の平然とした様子に少し声が大きくなった。まわりで冷やかしの声があがる。

「そうだよね。ごめん、心配かけちゃったね」

「そうだよ、もう僕は・・・」

言葉を継ぐことができなかった。

僕は情けないほどに彼女のことが好きで、いつの間にか涙を流していた。

泣きながら何も言えない僕を、彼女はただ微笑んで見つめていた。


こうして僕らは独りではなくなった。


あれから半年が経ち、僕と月子は高校3年の春を迎えた。

ふたりはいつでも一緒にいた。気圧の低い日には月子は学校へ来ることができず、僕は重い頭をかかえてそれでも学校へと向かい、帰り道には必ず彼女の家に寄った。

そして僕と月子の同化はますます進んでいた。

僕らは一見してどこにでもいる高校生の恋人同士に見えたが、どこかデートに出かけるでもなく、放課後の教室や公園のベンチ、そしてどちらかの家にあがり、ただただ言葉を交わし続けた。

僕らは抱き合うこともなく、代わりに、これまでに見たもの聞いたもの感じたことなどを、どこまでも貪欲に求めあった。

僕のなかには月で生まれ育った記憶があったし、月子のなかには地球で平凡に育った記憶があった。だから、今では彼女の考えが手に取るようにわかり、そして、それゆえにつらい思いも増した。

互いが互いに対し他者という枠が外れ、喜びも悲しみも100パーセントで受け入れ合った。特に月子のほうにその傾向は強く、記憶のなかの幼い僕の悲しかった気持ちにさえ、狂わんばかりに動揺した。

僕はこの関係に多少の不安を感じながらも、それでも月子の存在を求め続けた。

僕らは互いに欠けた月のようだった。ふたり重なり合うことでしか満たされることがなかった。

もう、月子のいなかった頃の自分に戻ることはできなかった。


tamito


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