いつか街で会ったなら

【小説】

 

 〈いつか街で会ったなら〉を聴きながら吉祥寺を歩いていたら、ふいに泣きそうになった。

 この街には、1994年の秋から2001年の春まで住んでいたんだ。6年半。長いような短いような。人生でもっとも一人を噛みしめていた時期でもある。だからいまでも一人で在ることを確かめたいときにはこの街にきて、通りを歩き、公園のベンチに座り、近江屋でコーヒーを飲む。
 交差点を行き交う人たちを眺める。学生、親子、恋人、老人。やわらかな酸味のコーヒー。すると人の一生涯が見えてくる。人のよろこびが見えてくる。人のかなしみが見えてくる。そこに在るべきものと在らざるべきものとが見えてくる。
 そうして見続けることで僕は一人を確かめる。

 

「また、どこかへいってる」

 隣りに座る彼女がいう。

「ごめん、人波を見ているとどうしても思考が止まるんだ。川の流れを見ているときと同じなんだ」

 彼女はまだ吸いかけの長い煙草を灰皿に押しつける。

「わたしといるときは思考を止めないでくれない。お願いだから。わたしより街並みや川に興味があるなら別だけど」

「ごめん、ごめん、気をつけるよ」

「気をつけるくらいならもういいよ、今日は帰るね」

 

 僕らは新宿のある喫茶店でふとしたことで知り合いになり、何回かのデートを重ね、週末には吉祥寺の僕の住むアパートの部屋で過ごすようになった。お互いほかに恋人はいなかったので、僕らは恋人関係といってもよかった。でも、ふたりとも「好きだよ」とは言わなかったし、一緒にどちらかの友人に会うときも互いを「友達」と紹介した。
 でも、レンタルビデオで映画を見るときには自然と手をつないでいたし、ベッドのなかでは別々であるはずのふたりの身体が溶けだして完全にひとつになるまで激しく求めあった。
 たぶん、欠けかたの違う互いの孤独の断面を、無理やり合わせようとしていたんだ。そのことにふたり気づいていたし、気づいていながらもやめようとはしなかった。

 色や形や方角や思考、ある一定以上近づくには明らかに無理があると見るからにわかるふたつの孤独は、結局、三ヵ月と続かなかった。食事をしているときも、お酒を飲んでいるときも、散歩をしているときも、抱きあっているときも、いつでもふたりはそれぞれに一人だった。
 後から知ったことだけど、彼女は血液に深刻な疾患があって、僕と別れてすぐに郷里の病院に入院した。そしてその一年後には死んだ。
 それを聞いたのは別れてから三年後のことで、彼女の友達と街でばったり遇って、偶然知ることができた。

 あの頃、彼女は僕に何を求めていたのだろうと改めて考える。そして僕は彼女に何を求めていたのだろうと。明らかに欠けかたの異なる孤独同士だとしても、それがなんだっていうんだ。どんなに断面がピタリと重なるふたつだって、しょせんはひとつとひとつだというのに。

 僕は吉祥寺の街を離れて、その後、結婚をした。二人の子供にも恵まれ、どこかのカフェの窓からぼんやりと眺めている人から見たら、理想的な家族に映るだろう。実際にその通りなのだと思うし、それを否定する要素はなにもない。
 ただ、ときおり、この街に来て、一人を確かめる。通りを歩き、公園のベンチに座り、近江屋でコーヒーを飲み、交差点の人びとを眺める。
 そこに在るべきものと在らざるべきものとが見えてくる。そうして見続けることで、僕は一人を確かめる。

 

tamito

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