相合い傘

【シークエンス】

「過去形を丁寧語だと信じて疑わないヤツは即刻処刑するとして、いくらそれが店のマニュアルだとしても、間違った用法だとわかっていながら従うことないんじゃないかと思う」

「でも、それって割りきってるのだから、いいんじゃない?」

「いや、わずかな時給のために割りきって使っているうちに、口癖になるよ。それに」

「それに?」

「あの気色の悪い『よろしかったですか?』を聞くたびに、目の前に置かれた地鶏の照り焼き風サンドを握りつぶしたくなるんだ」

「でもね、あの店で働く限りわたしは、よろしかったですか?と言い続けなければいけないの。だから地鶏の照り焼きサンド、ああ、"風"に思えるかもしれないけど"風"ではないの、その地鶏の照り焼きサンドを握りつぶすのなら別の店でしてね。それから、ポテトはよろしかったですか?と聞かれて、あなたと以前ポテトについて話したことはないですよ。と答えるのはほんとにやめたほうがいいよ」

「じゃあ、どうすればいい?あと、あのサンドはローストしたチキンに照り焼きのタレをつけただけだから、照り焼きしていないんだ。だから照り焼き風と呼ぶべきなんだ」

受け流すのよ!いいえ、ポテトは要りませんって。そして多少実態と違ってたとしても、メニューに書いてある通りの商品名で頼むの。"風"とかつけずに」

「質さないわけだ」

「そう、質さない。世の中には間違ったことや不条理なことは星の数ほどあるの。それを一つひとつ質していくわけにはいかないよね?」

「僕は極力そうしようとしている。これは言葉の使い方の問題だけじゃないんだ。道徳や思想、善悪の軸を曲げることにもつながりかねないからね」

「ふぅ」彼女は全身で大きくひとつため息をつき、グラスをストローでかき回し、アイスティーの残りを一気に飲みほした。

そこへ、西野カナ風のかわいらしい店員の女の子がやってきて、僕らに聞く。

「空いたお皿をさげてもよろしかったですか?」

よろしくないです!」彼女が真顔で答える。

僕らは会計を済ませ店を出る。

「雪が降ってきたね」と僕が言う。

「これ、みぞれだよね?」と彼女が質す。

僕は傘を広げて彼女に差しだし、彼女は当然のようにそれを受け入れ、ふたり通りを歩きはじめる。

tamito

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