船を見に行く
【小説】
朝、教室に入り、席に着いたとたん、隣のクラスから笠原が飛んできた。
「藤沢、今日の夕方、JAXAの最新船が港に入るってさ、なあ、見に行こうぜ」
笠原は目敏いやつで、新しいものに目がない。特に船への執着は凄まじく、何十万円もする精巧な模型を部屋に何台も飾り、この前なんて間近で船を見るために港の立ち入り禁止区域まで入り込んで、警備員にこっぴどく叱られたほどだ。
「行くのはいいけどさ、この前みたいな無茶するなよな。あの時、待ってたオレまで怒られたんだからな」
「ああ、悪かったよ。もう、あんなヘマはしない。でも、これだぜ、これ」
笠原は、携帯端末機の待ち受けにしている船の写真を嬉しそうに見せた。"ヘマ"をしたとき警備員に捕まる寸前に撮った写真だ。もう何度も見させられている。
「この正面煽りでのアップ。これ以上美しいものなんて世の中にあるか?あーもう、早く中学なんて卒業して、高校で専門的に勉強してぇ」
船の設計師になりたい笠原は、造船科のある5年制の国立校を目指している。すでに我流で何枚ものイラストを描き、出来上がるたびに僕のデータBOXに重いファイルを勝手に放り込んでくる。
「わかった、わかった。お前は船を作れ。とにかく今日は学校が終わったら港に行こう」
「5時に入港予定だから、30分前には着きたいんだよね。もし船が早く着いちゃったら最悪だからさ。6限終わったらすぐ出るから、そのつもりでいろよ」
笠原は言い放つと教室から出て行った。
僕自身は船にも新しいものにも興味はない。ただ、船が港に入ってくる光景は好きだ。笠原に誘われるまでもなく、休日を一日港で過ごすこともある。だから、目的は違うが僕らふたりの遊び場はいつだって港だ。これは小学生の頃から変わらない。
ほかに遊び場がなかったからじゃない。この街にも地球同様に映画館もゲームセンターも遊園地もある。塾だってサッカー部だってデートに適した丘の上の公園だってある。そう、たぶん、地球と変わらない、はずだ。
でも僕らが生まれるずっと前、父さんや母さんが子どもの頃は何もなかったらしい。街自体も今の10分の1くらいのサイズで、できることはかなり限られていた。
親の世代は、地球の政府やメディアから「ファースト・チルドレン」と呼ばれ、良くも悪くも注目を集めた。何かことがあると記者が大挙して遠路はるばる訪れ、子どもたちの写真を勝手に撮っては親にコメントを求めた。
病原菌への抗体を持たないだの、自然界の電磁波を受けていないだの、酵素が異常値を示しただの、いまとなっては解決済みの問題に、親の世代はいちいち付き合わされた。
そして僕らは、彼らの子どもたちとして「セカンド・チルドレン」と言われているらしい。なぜ「らしい」かというと、それは地球の人間が勝手に呼んでいるだけで、ここでは誰も意識していないからだ。
だけど、いまでもたまに、僕らのことを研究したニュースが地球で流れるたびに、何とも言えない歯がゆい気持ちになる。大声で「月生まれで何が悪い!」と叫びたくなる。
だから僕は地球に行くつもりはない。むしろ、さらに遠くへ。新たに開発が始まったばかりの火星に、いつか行きたいと思っている。
そして月面に設置されたニュー・ハッブル宇宙望遠鏡など、何の役にも立たなくなるような写真を撮る。
あの赤い星に立って、宇宙の果てにファインダーを向けてやる。
6限終了の鐘が鳴り終わらないうちに笠原がやってきた。
僕らはホームルームをパスして教室を飛び出し、駅へと走った。
街を走る行為は、歩行者安全条例で禁止されている。街角に立つ交通監視ロボットにしっかり形状を記録されるため、奴らの立つ場所を極力避け、その上で僕らは顔をすっぽりフードで隠し、体型をカムフラージュするために靴に厚めのゴム底を装着し、マントを最大に広げて走る。
空気抵抗がマントを膨らませる。風のない街で風を感じる唯一のときだ。
僕らは走るスピードを上げ、坂のない平坦な道をさらに加速して、全力疾走となる。
全身が空気抵抗を大きく受ける。
笠原が、途切れ途切れに叫ぶ。
「風だ、風になる、風になるよ」
ふたりとも既にカムフラージュを気にもせず、マントを背中に靡かせ、両手を広げ、全身で風を感じた。
港には4時20分に着いた。
エレベーターで展望室に昇ると、立派なカメラを三脚に取り付けたプロやアマチュアの写真家たちが、手すりを乗り越えそうな勢いで滑走路にレンズを向けている。
僕らも正面からは少しずれるものの、まずまずの場所を確保し、撮影の準備をした。
(あのボケたじいさん、また来てるよ)
笠原が小声で言い、目で(向こう)と僕らから少しだけ離れた右側を指した。
例のじいさんだ。
白髪で杖をつき、いつの時代のものなのか重そうなのコートを着ている。
月の開発当初、一通りの生活環境が整い、民間企業に門戸が開かれた際に、単身乗り込んできて月で初めてのBarを開いたという伝説の人物だ。僕らが生まれるずっと前のことだが、この街で彼を知らないものはいない。
(よほど船が好きなんだろう)
僕も小声で答えると、じいさんのところへ背の高い女の人が近づいて行き、折り畳み式の椅子を差し出した。
僕らの親と同じくらいの年だろうか、黒いスーツを着て港の関係者らしいバッチを胸に付けたその人は、じいさんにこう言った。
「お父さん、今度の船はすごいのよ。この後、燃料と物資を積み込んだらね、火星まで行くの」
僕と笠原は目をあわせた。
(じいさん、家族いたのかよ)
(おどろいた)
「『今度は火星でBarを開く』って言ってたけど、無理だったね」
じいさんは黙って真っ暗な闇を見つめているままだ。
「でもね、私が代わりに行くから。そして遥か彼方の地球や月を見ながら、お酒を飲むの」
「だから、今までありがとうね」
その女の人は、座っているじいさんを後ろから長い腕をまわして抱きしめた。
抱きしめて横に傾いた顔がこちらを向き、一瞬、僕と目が合った。
(青い・・・)
(えっ、何?)
(目が、瞳が青かった)
(ふーん、ハーフか?)
その時、群衆が歓声を上げた。
船が見えたらしい。
僕らも望遠カメラのピンを合わせたり、双眼鏡を手に取って、暗闇に光る船を捉えた。
レンズの左端には、地球も現れた。
「おい、地球と重なった画が撮れるぜ」
笠原が興奮して叫んだ。
船は近づくにつれ徐々にその形状を露にした。
港から滑走路が腕のように伸び、同時に光の点滅が2本、船に向けて放たれた。
「おー」と歓声が上がる。
船のセンサーがそれを感知しシンクロすると、2本の光が港と船を繋いだ。
近づく船の後ろに、地球が覆い被さるように重なる。
「スゲー、地球と直列して影になるぜ」
「それに船、大き過ぎないか?!」
巨大な船の黒い影が港に近づき、やがて滑走路の光を受けて全容が明らかになった。
「こんなでかいの見たことないよ!」
笠原は連写で撮り続ける。
すでに、肉眼でも大きさがわかるほど、船は目の前まで迫っている。
やがて、ドックのシールドが開くと船は大きなため息を吐くように停止し、再びシールドが閉じられた。
観衆からは拍手が沸き起こり、船はその威風を誇示するかのように、何度も警笛を鳴らした。
ふと右側に目を移すとじいさんがひとりで座っていて、女の人の姿は見あたらなかった。
帰りのリニアカーのなかで、興奮冷めやらずの笠原の横で、僕はあの女の人のことを考えていた。
じいさんの、いや、父親の夢を果たしに火星に行くと言っていた。
僕が火星に行く頃まで、あの人もそこにいるだろうか。
それにしてもあの瞳の青さ、どこかで見たことがある。
僕はリニアカーの透明なルーフ越しに空を見上げた。
そこには、青く輝く星があった。
そうだ、地球だ。
あの人の瞳は、地球に似ていた。
tamito
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