宿題
【小説】
世界から嫉妬というものがなくなれば、どれほど平和で生きやすい世の中になることだろう。戦争や犯罪は、つきつめればすべてが嫉妬というやっかいな感情に起因する。
「幸せとは優越感だ。他者との比較の上にしか存在しない」
そう言った高校の友人は、大学在学中に自ら命を絶った。遺書には「私の内に棲む嫉妬と矜持の狭間に立ち、存在自体を無にするしか術がなかった」と書かれていた。
たぶん、彼女にとってそれは真実だったのだと思う。そしてそれはとても悲しい真実だ。
多くの人にとってこうした問題は「やっかいなこと」の範疇に入り、なるべく立ち入らないようにしてテレビや漫画を見て無かったことにしようとする。
あるいは「はいはい、その話ね。知ってる知ってる」と表層の理解でやり過ごそうとする。
その方が生活する上で賢いことはわかっている。
でも私たち(彼女と私)は、放課後になるとあの少女趣味が大半を占める文芸部の部室に籠り、または理科棟の屋上の手すりにもたれかかり、ふたりで『二十歳の原点』を音読する会を催し、その後の人生に多くの宿題を残した。
そして彼女は、宿題に真正面から取り組み、私は生活との折り合いをつけながら、少しずつ取り組んだ。
大学に入って初めてできた彼は、半年間という交際期間のなかで、本当の私に触れたことは一度もなかった。
彼の知性や理性は、その年頃の男の子たちに比べれば遥かに上等だったが、ひとつのベッドで寝るようになっても私は、私の本当を彼に見せることはなかった。
それは「独りでいること」だった。
就職活動をするなかで、面接官は聞いた。
「将来の夢は何ですか」
将来に明確な夢を持つほど現実を生きていなかったし、カネ、モノ、名誉などに興味はなかった。
「幸せ」になりたいとは思ったが、その幸せがまだ定義できていなかった。そう、宿題がまだ終わっていなかった。
「適当に答えておけばよかったんだよ」と適当な付き合いの同級生に言われたが、思ってもいないことを答えにすることはできなかった。
社会に出るには、あまりに「未熟」だった。
それでも小さな出版社が私を拾ってくれ、社会人にはなることができた。
仕事は驚くほどに忙しく、休日の7割は出勤し、平日は毎日終電で家に帰り寝るだけの生活が3年続いた。
それは私にとって、現実の社会に適合するための行だった。少しずつ宿題の存在が体のなかから消えてゆき、たぶん私のなかで、それまでの「私」が死んだ。
そして、30歳を目前にして私は結婚した。
相手は、死んだ「私」なら絶対に選ばないタイプで、カケラも「未熟」ではなかった。
そして、いま、私は生活をしている。「二十歳の原点」から10年以上を経て。
死んだ高校の友人は、確かに「独り」であり「未熟」であった。私を含め何人かの友人が彼女のまわりにはいたが、誰ひとり彼女の孤独という名の鎖を外してあげることはできなかった。
それはあまりに強固で、それだけ生きることに真摯に向き合っていた。
私たちは、いまでも時折生きる意味を考える。
近親者の病気や死、災害で一瞬のうちに奪われる大量の命、自らの残された時間。
「独りであること」に変わりはない、「未熟であること」に変わりはない。
彼女は死んでしまったが、私はもうひとりの自分を「死なす」ことで、こうして生きている。
世界から嫉妬というものがなくなれば、どれほど平和で生きやすい世の中になることだろう、とは、いまでも思う。
彼女に冥福を。もしあの世で幸せを定義付けできているならば。そうでなければ、あまりに悲しすぎる。
tamito
※引用:高野悦子『二十歳の原点』
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