国籍や言語、土地、家、お金と、自分の命。どっちが大事ですか 3

 たぶん、誰でもよくある間違いで、ほとんどの考え方が自分とは全く相容れない人の記事でも、一つ一つの記事、あるいは一つの文節だけ見れば、同感できると思って、後でじっくり読もうと反射的にフォローしてしまうことはあるんじゃないだろうか。今日私は、自分がどうやらその間違いを犯してしまったと思って反省している。

私は別に構わないのだけど、間違ってフォローした人からコメントを頂いた場合、どうしようもないと感じる場合がほとんど。 全く噛み合わないし、そもそも何がいいたいのか実際のところ私は理解できない。せっかくコメントいただいたのだから、相手の気分を害さないように心がけるのだが、相手が何をいいたいのか、正直私には全くわからない。

戦争に行かないで、若者は絶対に逃げろと書くと、ブチャの大虐殺を持ち出されても、私には反応のしようがない。 逃げれない、かつ相手を押し返すだけの軍事力がないなら殺される、そうだろう。そりゃそうだ。私は戦争に参加しないと言っているのだから。

私にブチャの大虐殺を止めれるわけがない。 一方で、軍隊があるから戦争が起こる。戦いが起こる。人が徒党を組んで、自分たちの利益を求めた時、あるいは人に徒党を組ませて武器を与えて戦わせた時、当然その集団な暴力を振るう。規模が大きくなれば戦争だ。

つまりは、武器など持たねばいい。集団で戦うのをやめればいい。だが、無理だろう。 そこで選択肢は2つだけである。自分も同じように集団で
(軍隊として)戦うか、自分はその集団に参加しないかだ。

私は絶対に参加しない。 ブチャでの大虐殺など上げる必要もないほど、世界中でおそらく、他国のあるいは他グループの一方的な暴力や虐殺は起っている。つい昨日、今のミャンマー情勢を見た。

私は個人で考えるので、自分ならミャンマーから一人でも多くの人を安全な場所に逃したいと思う。だが、彼らに武器を与えたいとは思わない

もしも、本当に信頼できる、公平と思える、国連に変わる組織があり、そして参加国が合意した、平和維持軍などがあるのなら、その軍隊はミャンマーに送られるべきだろう。 私が、軍事力を肯定するとしたら、そのような組織ができたときだ。あるいは、日本がそれを目指したときだ。
一部の大国のための軍隊ではない、自国のための軍隊ですら無い。人類の紛争を止める、虐殺を止めるためだけの部隊だ。

もちろん、それはほとんど絵空事だ。少なくとも日本がそれを訴えることなど絶対にないだろう。ずっと前に、より大きな構造に取り込まれてしまっていたのだから。 なので、日本国民である私は、軍隊という集団の武装組織に関与しない。 絶対に肯定しない。 

だが、自分がもしも逃げれなければ、勝手に隠れるし、ゲリラのように動くかもしれないし、結果的に捕らえられ拷問されたとしても、それはそれで仕方がないだろう。そう自分が決めたのだから。

また、だからこそ、若い人に私が言いたいことは変わらない戦争には何が何でも反対し、止めれそうになかったら、逃げろだ。もしも不安に感じているなら、逃げる準備を本当に、今からしておいたほうがいい

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