フェア・シェアが日本の民主主義

かつて日本経済が絶好調の時、危機感を持ったアメリカの学者が日本を精緻に分析した本がある。
エズラ・F・ヴォーゲルの「ジャパン アズ ナンバーワン」だ。
今読み返してみると、当時日本の強みと言われた点は、官僚や企業でも大きく変貌しているように見える。
その中で政治のところで興味深い点があったので紹介したい。

政治に多様な利益を反映させ、それらの利益を達成する統治能力があることが民主主義の定義であるならば、日本はアメリカよりも民主主義がずっと効果的に実現されている国家といえよう。

日本では特定の目的をもつ集団は少なく、その代わりに、村、町、会、職業団体など多目的に組織化された集団が、そこに属する人たちの意見を総合的に代表して政府や地方自治体に働きかけることが多い。

日本のこのような集団組織は、アメリカの特定の利益集団に比べてはるかに統制がとれ、より組織化されている。
さらにこうした集団はお互いに頻繁に連絡を図っており、したがってより多くの人々の利益を集約しやすく、そのため協力して一つの目的に向かって政府に働きかける場合には効果的である。これを利益(広い意味での権利や金銭的利益も含む)の分配の側面からみると、日本ではフェア・シェア(公正な分配)がなされているといえる。

総合利益と同じく、公正な利益分配が可能なのは、これらの多目的集団の団結があるからである。

(ジャパン アズ ナンバーワン)

新幹線の路線や駅設置など地方の利益誘導と呼ばれている政治的解決がある。
あまり政治的には誇れない問題だと思っていたが、見方によればアメリカより民主的であるという。

単純化しすぎることを恐れずに言えば、アメリカの政治を動かす基本原理は「フェア・プレイ」だと特徴づけることができ、日本の政治を動かす基本原理は「フェア・シェア」である。

アメリカでは、ゲームの規則にのっとって戦わなければならない、すなわち、フェアにゲームが行われれば、よきスポーツマンとして敗者は勝者をたたえ、戦利品は勝者のものとなり、また敗者は勝者をたたえるのがよいスポーツマンとされる。

しかし日本では、勝者はパイを独り占めせず、勝者が決まる以前から、パイをながめつつ、どうやって切ったものか、最適な分配方法はどれかを考える。
日本人にとっては、規則ばかりでなく、結果が問題なのだ。
最も適切なフェア・シェアのためには、規則も変更される。
そして競技が終われば、参加者全員で分配を受ける。
もしも、勝負の決着の仕方に疑問があったり、分けようのないパイが一方的に与えられたりした場合には、次回のパイの分配のさいには、利益をこうむらなかった側が優先的に大きい分け前を得る権利があるのである。

(ジャパン アズ ナンバーワン)

たしかに、日本では一方的に利益を独占すること美徳とはされない。
この公平な利益の分配のため、政治家は各方面の根回しをする。
そして官僚がどちらかといえば全体のバランスをとる側にまわる。
どうも日本の政治家は長期ビジョンを語るというより、かれの周りの関係団体の公平な利益配分を行うことに注力するようだ。

日本は昔から災害が大きな脅威で、災害に出会うとすべてを失い、みんなゼロからの再スタートとなる。
戦争が主な脅威であった西洋と違い、相手は自然であり、その前では人間は無力である。
リーダーに求められるのは、皆と相談しながら協力して、再出発していくことなのかもしれない。
現下の能登の地震からの復旧をみているとそう思う。


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