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日米開戦を巡る黒い空気

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#戦争

日米開戦をめぐる「黒い空気」 (菊澤研宗「指導者の不条理」から)

菊澤研宗「指導者の不条理」から そして日米開戦の場合に言及する。 ここで菊澤氏は不条理の説明に入る 日本にとって存亡の危機となった開戦の決定。 国として合理的な決定ができなかったことは、陸軍、海軍の損得計算に帰着するのは痛恨の極みである。 問題は、国の重大な決定の場に陸軍と海軍の意をくむ人間しかいなかったことだ。 いつの間にか、国の立場を第一に考えられる人物が、重要な場からいなくなってしまったことが敗因だ。

「新版 日本官僚制の研究」辻清明、 「官僚亡国」保阪正康

保阪正康氏は戦時下の官僚の責任を問う。 辻清明氏は、昭和22年10月の時点で、日本官僚制と「対民衆官紀」の論文に問題の所在を次のように述べている。 何が問題だったのか。 民衆に対する特権的な意識であるという。 明治維新いらい、近代化は表面的には進んできたが、民衆の意識のなかには依然江戸時代の意識が根強く残っていることだ、という。 保阪正康氏はその著書で、軍事官僚のトップの東条英機が、国民に対してどう思っていたかを述べている。 戦前の官僚制が問題だったかもしれないが、

「憲法原論」小室直樹 明治憲法はなぜ天皇中心なのか

明治憲法はどうしてこうなったのか。 天皇を中心に統帥権の独立など後の陸軍の暴走に繋がった。 その理由が明らかになった気がした。 西洋の追いつけで苦しんだ明治政府。 キーとなるのは民主主義、デモクラシーが西洋にはあった。 その秘密はキリスト教だった。(マックス・ウェーバー) デモクラシーも大正時代に少し花開いたが、本当の民主主義は続かなかった。資本主義もつぶされたが戦後は花開いた。 明治維新は人類としては大きな実験だったようだ。

「そして、メディアは日本を戦争に導いた」半藤一利、保坂正康

戦前メディアが戦争にどう向き合ってきたか。 昭和史で有名な二人が対談している。 さらに軍部よりの記事が濃厚となるのは満州事変以降だともいう。 反戦の新聞もあった。 さらに世の中が物騒になり、それに対応するかのごく、統制がさらに進んでいく。 そして二・二六事件後になると日本の新聞ジャーナリズムは軍と官警(内務省と警察)の両方からの圧力で完全にペンを封じられる。 昭和初期にメディアがもう少し頑張っていたら、歴史はもっと違ったではないかという。 しかし新聞が売れない事態も