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日米開戦をめぐる「黒い空気」 (菊澤研宗「指導者の不条理」から)


菊澤研宗「指導者の不条理」から

防衛大学校の教官として教えることになってから、戦史を研究する機会があり、当時、新しく注目されていた新制度派経済学を用いると、合理的成功と非合理的失敗といった二分法を超えて、「組織は合理的に失敗する」という第三の現象が存在することを発見した。そして、このような「合理的失敗」のことを、私は「不条理」と呼んだ。
「F・H・ナイトやH・A・サイモンたちによって主張されてきた人間の『限定合理性』や人間の『不完全性』の議論が注目されている。彼らによると、現実の人間は完全情報のもとで合理的に行動するのではなく、限定された情報のもとで合理的に行動しようとするという。
そしてこのような人間の限定合理性の仮定を受け入れると人間は非合理だから失敗するのではなく、むしろ合理的に失敗するという不条理な現象が起こることが明らかになる。つまり、合理的成功と非合理的失敗といった伝統的な二分法の世界を超えて「合理的失敗」という第三の現象が存在することが明らかになる。
とくに、この限定合理的な世界では、人間が何を行う場合でも、必ず「コスト」を伴うことになる。それゆえ、このコストがあまりにも大きい場合、人間は次のような合理的失敗、つまり不条理に陥ることになる。
◆「不条理」の定義 その一
 たとえ現状が非効率的であっても、より効率的な状態への変化・変革する場合、コストが発生し、そのコストがあまりにも大きい場合、あえて非効率的な現状を維持する方が合理的となるという不条理<非効率の合理性>
◆「不条理」の定義 その二
 たとえ現状が不正であっても、正しい状態へと変化・変革する場合、コストが発生し、そのコストがあまりにも大きい場合、あえて不正な現状を維持隠ぺいする方が合理的となる不条理<不正の合理性>」

そして日米開戦の場合に言及する。

1941年9月になると、日本は対米戦を意識しはじめた。そして、そのために日米の国力分析が行われた。分析結果は、国力も軍事力も数字の上では米国にまったく勝てないということであった。

こうした状況で、日本の指導者たちはジレンマに陥った。
一方で、米国との戦争を回避し、日本軍が中国大陸から撤退すれば、米国から石油をもらえるが、日中戦争のためにこれまで多大な経済負担を強いられてきた国民から強く非難されることになる。しかも、軍の内部からも2.26事件のような青年将校によるテロが起こる可能性もある。

他方、南方の石油資源を独自調達しようとすれば、勝てないことが確実な米国との戦争になる。
そして、このジレンマを避けて、何も決定しないまま時間を過ごせば、日本の石油の備蓄は減少し、日本軍は戦わずして自滅することになる。まさにトリレンマの状態だった。」
東条内閣でも、戦争を回避し、石油輸出禁止解除のため米国との外交交渉を続けた。しかし、1941年11月26日米国が日本に突きつけた最後通牒、つまり日本の大陸政策を否定するハル・ノートが送られてきた


ここで菊澤氏は不条理の説明に入る


〇「取引コスト理論」に従って、当時の日本の指導者たちをめぐる人間関係上のコストを分析すると、当時の指導者たちにとって勝てない戦争に突入したほうが、陸軍にとっても海軍にとっても合理的だったという見方に導かれる。
換言すれば、米国との開戦は日本全体にとっては非効率だったが、陸海軍にとってはそれぞれ個別合理的だったのである。
1)日本陸軍にとって、当時、米国との戦争を回避するために、中国大陸から全面的に撤退すれば、明治以来の陸軍の大陸政策すべてが否定されることになる。そして、満州国と満州にかかわる権益つまり南満州鉄道、旅順、大連などをすべて喪失する。
・それらは、日露戦争の結果、何十万人の英霊が血を流して得た権益であり、ポーツマス講和条約で決まった正当な権益でもあった。それゆえ、企画院総裁の鈴木貞一によると、靖国神社に行くたびに、満州は捨てられないという気持ちになったという。
・また、中国大陸で戦死した兵士の遺族会にしばしば参加していた東條英機も、「絶対に手ぶらでは帰れない」と言っていたのである。
・このように、もし米国の要求を受け入れて満州から撤退すれば、陸軍の存在意義が否定されるとともに、中国における日本の正当な権益をすべて失うことになる。
2)さらに、満州から撤退すれば、陸軍内部で反発が起こり、2.26事件のような青年将校によるクーデターが起こる可能性もあった。天皇陛下もクーデターを恐れ、ご人身も殺されるかもしれないとすら思われていたようである。
それゆえ、陸軍の上層部にとって陸軍内部を説得する取引コストは非常に高いものであった。
3)そして、長引く日中戦争で、国内では食料・物資不足が起こり、疲弊している国民に対して、国家予算のほとんどを軍事費に使っていたため、もし中国大陸から手ぶらで撤退すれば、国民からの反発も大きく、国民を説得するコストは異常に高かった。
4)以上のような様々なコストの大きさを理解し、損得計算をすれば、陸軍にとって中国大陸からの撤退はほとんど不可能だった。

5)他方、石油が輸入できない海軍は時間とともに弱体化し、最終的に自滅に導かれる運命にあった。とくに、石油を大量消費する戦艦を保有する海軍にとって、石油の備蓄は1年余り、1年も経てば海軍は戦争がしたくともできなくなり、自滅する運命にあった。
6)海軍が自滅を避けて、米国から石油を輸入するためには、満州から撤退するように陸軍を説得する必要があった。しかし、その交渉・取引コストはあまりにも膨大で、ほとんど無限に近いものだっただろう。
7)こうした状況で、もしいま米国と戦えば、不確実ではあるが、確率的には短期的に米国に対抗できる可能性はゼロではなかった。とくに、いますぐにでも開戦すれば、軍備増強に遅れている米国に数年間は対抗できる可能性があった。というのも、当時、日本海軍はすでに対米7割5分の戦備の完備状況にあったからである。
8)日本海軍は、常に対米戦を意識していたため、実は半年以上も前から、平時から戦時へ移行する準備を発令し、1941年4月10日には、すでに対米臨戦態勢がある程度整っていた。それゆえ、中止となると、膨大な埋没コストが発生する状況にあった。
9)こうして、石油を確保できず自滅して無条件降伏するよりも、有利な方向で米国と講和に持ち込めるかもしれないという可能性を求め、真珠湾を奇襲攻撃することは、海軍にとっては、損得計算上、合理的だったのである。米国には勝てないとしても、開戦前より政治的に有利な形での引き分けを目指して戦争に突入する方が、海軍にとっては合理的だったのである。
10)さらに、政府の各大臣たちには、戦争回避するために陸海軍を説得する取引コストはあまりにも高かった。それゆえ、彼らの意見に従う方が合理的だったのである。
11)刻々と変化する情勢のもとで日本の指導者たちは徹底的に損得計算し、最後の大本営政府連絡会議で勝つ見込みなき戦争を行う方が合理的であるという形で、彼らの計算の結果は一致した。
当時の日本の上層部は、決して無知でも非合理的でもなく、状況を徹底的に分析し、見えない取引コストの存在を意識して損得計算した結果、最も非効率的な戦争を合理的に選択した。
つまり、当時の日本の指導者たちは合理的に失敗したのである。

日本にとって存亡の危機となった開戦の決定。
国として合理的な決定ができなかったことは、陸軍、海軍の損得計算に帰着するのは痛恨の極みである。
問題は、国の重大な決定の場に陸軍と海軍の意をくむ人間しかいなかったことだ。
いつの間にか、国の立場を第一に考えられる人物が、重要な場からいなくなってしまったことが敗因だ。

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